2005/10/05(Wed.) 届けなかったのは私です [長年日記]
■ [雑感] モチベーション
モチベーションなき仕事はここまで効率が悪いのかと改めて驚いている。9.30の資料作成も、以前ほどの意欲ではなかったな。なので、だるだるのテンションで本当効率悪かった。今の論文作成もしかり。
やらされる仕事よりも、やりたいとおもってやってる仕事のほうがいいに決まってるよな。限界もあるだろうけど、よくよく気をつけていかないと…
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■ [Diary] 軽く寒気
授業があるので、徹夜よりは少し寝ておくかと就寝。3時間で目覚めてみると寒さで震えが止まらない!(わら とても論文書く状態じゃないので、布団かけて2時間追加で寝た。熱っぽさも消えたけど、まだまだ少し寒い。毛布2枚じゃあかんかったかー。
■ [野球ネタ] 堀内監督クビ
山梨出身の堀内監督が尊敬しているのは武田信玄だそうだが、堀内監督は武田勝頼だったと思う。
武田勝頼自身は、それほど無能ではない。戦そのものは(まあ、無茶が出来たせいもあるが)、信玄より勇敢にして攻撃的。織田+徳川を敵にして14年も持ってるのだから、無能というレベルではない。
だけど、信玄の負の遺産を背負い込みすぎた。中世的な家臣制度や、兵農分離が進まず、一部の屈強な兵士に頼らずをえず*1、専門性を持った傭兵を育成できなかったし、甲信の国土では養い得なかった。
武田勝頼は無能の烙印を押されたが、信玄の時代にこそ原因は既にあった。まあ、歴史を知っているがゆえに吐ける理論ではあるが。
でも、旧武田家臣団は、徳川家康の天下平定に大きく寄与した。徳川幕府が織田政権・豊臣政権の模倣に終わらなかったわけで、その点で堀内監督の遺産、膿み出しが今後じわじわ分かる時が来るだろう。
正直、原監督といえど、今の巨人軍は修羅の道。決して明るい夢だけが続いているわけではない。……Mさんがオーナーの球団よりはまだナベツネさんのほうがまともな気がしている今日この頃だが、辻内も「生涯巨人」と言っているし、故郷を懐かしむ意味で遠く見守りたい。
*1 火縄銃を使わないとはそういうこと
■ [ETilog] 奥州市その後
驕る平家もなんとやら、早速2ページ目に落ちてる(毎日検索してるのか>俺)。
ところで岩谷堂羊羹って江刺の名物なんですね。なんでも、岩手のお土産は岩谷堂羊羹という新説を聞いたので…
羊羹は好みが別れるので、とりあえず実家にお土産してみることにしよう(で、自分で味を確認する)
■ [Review][TV] テレビ岩手の夕方に気象予報士
元東海テレビのアナウンサーだとか。ブログまで出来ている。
評価できる点:岩手では珍しく、雲の様子→天気図→天気予報という段取りを踏んでいる。気象衛星の解説がなくて不満だったのだ。
悪くなった点:屋内からの中継になったので、盛岡の天気が分からない。やはり、せっかくのテレビ岩手のテラスがあるからそこから中継して欲しい。夏は暑そうに、冬は寒そうにしておいてもらいたい。岩手に来る前に、関東ローカルの「ニュースプラス1」で平井直アナがうどんの紹介を寒そうにしていたのが印象的でした。あのテラスは良い!
悪くなった点2:タッチパネルでマーキングや低気圧アイコンをぽんぽん載せられる「お天気DJ」だかはたしかに面白いが、液晶かプラズマをそのままカメラで撮っているので、天気予報画面をそのまま映像で流すより不鮮明。ついでだが、まだ館道アナ(アナではないが)がカメラワークをつかんでいないのか、違うカメラを見ていた(火曜の時点)。
■ [Review][TV] 岩手ローカル・秋の改変
IBCでついに「イブニング・ファイブ」が打ち切られ、水戸黄門再放送に。やぱりIATとかぶって苦戦したのか。かといってレディス4打ち切るわけにも行かないしね。高知でも同様の措置になったらしい。イブニング・ファイブ自体は政治家呼んだりして意外と硬派にやっていたっぽいので、嫌いではなかった。
ついでに、「時事放談」も終了して、変わりに土曜に「みのもんたのサタデーずばっと」をネットするようになった。……日曜以外はズームイン派の俺には関係ないですがw
「別冊日曜5きげんテレビ」って終わっちゃたんですか? やってたりやってなかったりもしたので惜しくはないが、月曜の占いがorz
■ [Review][TV] 「ハルとナツ」
つい志田未来に吸い寄られ、見てしまっている。橋田脚本にしては、おしんや渡鬼ほどの味の濃さではない気もするけど。
志田未来は、「女王」の撮影前の撮影だったせいか、女王ほどの神演技ではない。まあ、十分すぎるけど。
「姉と妹の生き別れ」とかよりは、「ブラジル移民」というテーマもあるんだけど、むしろ北海道や東北の戦前の貧しさに思いを馳せている。戦後の繁栄はアメリカによってもたらされたものではないという。銀座や西日本でだいこんをかじっていた話は確かにあまり聞かない。しかし、東北や北海道はやはり「厳しさ」「貧しさ」を感じる*1。今話題の(?)朝鮮半島も、(良い言い方ではないだろうが)北海道や東北の貧しさと通ずる部分もあるのだと思う。満州や台湾は返って投資されていたところもあるようだし。
それが今では東北も貧しさは極端さはなくなり、北海道と言い、食材の宝庫になっている面がある。もちろん、経済の冷え込みは太平洋ベルトよりは厳しいだろうが、それでも西日本の企業より東日本の企業のほうが死に物狂いさがあるという。
戦前の「豊かな人もいれば貧しい人もいた」が、戦後解消傾向にあった(過去形にしておく)。このあたり、戦後史、東北史を見る上で、濃厚なストーリーがあるのかもしれないとか漠然と。
*1 あの「壬生義士伝」にも、江戸時代は南部藩だけで一気に困窮したけど、新政府の中央集権になって救済があるみたいな話がありましたね。
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