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2008/12/05(Fri.) 馬鹿な [長年日記] この日を編集

[雑感] 12/5記

忘れたいことは、もっと忘れたいことで上書きできる。そう思っていたが、単に忘れたいことは大したことではなかっただけのことではないか。

きょうがきょうであったことに思いも至らず、きょう読んでいた本に愕然としてしまったきょうの日に考えたのはそんなこと。


2008/12/14(Sun.) 聞きとうない [長年日記] この日を編集

[Diary] 吉祥寺へ

わたしは、吉祥寺で生まれ、育った。育ったと言っても、6歳のときまでだが。

吉祥寺や井の頭公園のあたりが、わたしにとっての聖地である。行くと、幼かった頃の記憶がよみがえるのか、少しだけ元気が戻る…気がする。盛岡で過ごした時間もおだやかで、わたしにとって盛岡は大事な街であるが、吉祥寺の街には残念ながら敵わない。一番最初の恋人を、わたしは忘れられないでいる。

その手のドーピングにあまり手を出すと効果が薄くなると思って、頻繁に行くことはやめて控えている。今回、思うところあって久々に吉祥寺の街を歩くこととした。


いつも吉祥寺に来ると、つい井の頭公園周辺や、今はなくなってしまった出身幼稚園のあたりにも足を伸ばしてしまい、吉祥寺の街を深く歩くことが出来ない。そこで今回は、「吉祥寺のデパートを歩く」にテーマを絞って街歩きすることにした。

最初に、伊勢丹吉祥寺店へ。吉祥寺の伊勢丹と言えば、石造りの滝。小さい自分は手を水につけて遊んだものだが、今はそのモニュメントはない。その新館へ入ってみて気づくのは、伊勢丹のわりに広くないということだ。おまけに見渡してみると人も多くない。催事場でやってる北海道物産展もいまいち盛り上がりに欠ける。デパートの催しというのは、もっと威勢の良いかけ声が聞こえて然るべきという気がする。伊勢丹は好調な百貨店だという。しかし、この吉祥寺の伊勢丹は、わたしが地方へ行くたびにしばしば出会う、寂れた百貨店と同じスメルを感じる。となりのロフトの方が人の入りが多い。西武スポーツ館時代とは隔世の感がある。

大丈夫か、伊勢丹。

そう心配をしてしまう。

次に向かったのは、東急百貨店。ここは流石の風格。…吉祥寺の中ではという、限定つきであるが。かつての町田東急のほうが賑やかだった気もする。賑やかすぎない百貨店こそが吉祥寺なのかもしれぬ。だが、流石だなという思いは長くは続かなかった。階を上っても、あるべきはずの紀伊國屋書店吉祥寺店がない。一番上のレストラン街まで行って見たものは、半分程度に規模縮小された紀伊國屋書店の無惨な姿であった。

こんなの吉祥寺じゃない。

その街の書店の多さ、広さをわたしはひとつの指標にしている。吉祥寺は紀伊國屋書店ひとつ抱えきれないのか。吉祥寺の知性はどこで満たされているのか。もう、俺は吉祥寺に住むことは出来ないな。そうとまで思った。

冷静に考えてみれば、吉祥寺は簡単に新宿や渋谷に行けてしまうのである。百貨店にせよ書店にせよ、新宿の方が規模も大きく目新しい。そちらへ流れてしまうのは当然か。逆に言えば、自分が小さい頃はなぜそちらへ流れていなかったのだろう。

さらに、京王電鉄系の啓文堂書店が今は吉祥寺では一番大きい書店だという。こちらのほうが駅前で便利なのかもしれない。

とは言え、電鉄系の書店と全国展開の書店では、棚作りに違いがある。ふらっと歩いていけるところにある程度の規模の書店がないことは、吉祥寺にとって大きなディス・アドバンテージだと思う。

ぼうっとした心持ちで東急を出る。あれ、サンロードに戻る道はどこだったっけか。少しばかり迷ってしまう。ふと気がつくと工事中の立て看板。なんと東急チェリーナードのアーケードがなくなっている! 恒久的なものではなく一時的なもののようだが、撤去工事中に引火火災が発生して引越を余儀なくされた店舗があったり、このあたりも変化が激しい。チェリーなー度には、昔懐かしロヂャースがそのまま残っていたり、ヤマダがあったり、行列のできる肉のサトウがあったり。変わってたり変わってなかったりということだ。もっとも、アーケードがないので昔なじみの店も随分と変わって見える。肉のサトウに昔は行列なんてなくて、家で食すフツーに肉を買ってた記憶がある。生まれて初めてサイコロステーキを食べたのはここの2階だ。近くには、よく家族で行った焼き肉屋が健在だ。ここは随分と人気の店らしい。ここで食べ終わると、店のエスカレータは止まり、普段と違うビルの雰囲気が溜まらなく子ども心に新鮮に思えたものだった。このコスモビルにはサイゼリアなど入って変化はしているが、エスカレータなんぞはそのまんま。嬉しくなる。

サンロードの方へずっと向かうと、ヨドバシカメラがある。わたしは家電量販店マニアで、ヨドバシやソフマップを地方都市で見かけると必ず店へ入っていくものであるが、このマルチメディア吉祥寺だけは入る気が起こらない。ここは、近鉄百貨店なのであって、近鉄以外のものは認めたくない。

西友吉祥寺店へ。GMSの苦境が伝えられているが、この西友も例外ではないようだった。30年近く経ってなお今でも現役の冷蔵庫とクーラーはこの西友吉祥寺店で買ったものだという。無印良品のような強力と思われるテナントがあってなお活気にやや欠ける。この西友でお子様ランチなんぞを食べていたのが歴史のように思えてきた。

駅への帰り道、ハモニカ横丁を横切る。不二家や果物屋にはお世話になったものだが、中のお店には小さいこともあって縁がなかった。この界隈を使いこなしてこそ、吉祥寺に関わる大人としては一人前なんだろうが、そういう機会がなく残念である。

パルコへ。とりあえず地下2階のリブロへ。明るい店内にはそこそこの書籍が。リブロで一番お世話になったのは、町田の西友の中にあるリブロで、どうしてもそこと比べてしまう。平積みのセンスなど、リブロは好きなのだが、地下2階という立地が惜しまれる。

駅構内を通り、公園口へ出る。吉祥寺駅は意外と複雑な構造をしている。よく小さい頃は迷わずにすっすと抜けれていたものだと感心する。

住んでいた家が公園口のほうにあったので、吉祥寺はこちらの丸井側のほうがなじみ深い。家族でパチンコへ行ったりしゃぶしゃぶを食べに行っていたビルの2階にあるルノアールに入り人心地する。丸井の前の横断歩道を行き交う人を見ながら喫すウィンナ・コーヒーもまた格別。それにしても路線バスの多い道で、ついでに交通量も多く、大変に混雑しているところである。ここのルノアールはEdyが使えないルノアール、現金払いで店を後にする。

丸井吉祥寺店へ。なんでも丸井吉祥寺店は今年で30周年だそうである。それを記念して往時の吉祥寺の街の写真をパネル展示していた。もともといまの無印良品館のあるところに丸井は店舗を持っていたようだが、いまの新店になってから30周年とのことのようである。わたしが住んでいたころは、無印良品館は閉まっていたのではないかという気がする。その頃は、丸井の屋上も遊園があり、盆踊り大会をやっていたりもした。自分で書いていてもとても信じられないが、本当である。

昔の吉祥寺の写真を集めたパネルが各階に展示されており、しばし見入る。自分も知っている頃の写真もあり、懐かしい。最後に、ロンロンへ。ここだけはいつ入っても往時の雰囲気がある。弘栄堂書店で本を買う。Suica対応レジはJR東日本の駅ビルならでは。井の頭線で家路へ戻る。


この街を去るとき、いつの日か吉祥寺の街に戻ってきたいと思っていた。その間に街は変わり、地方出身のあとからこの近辺に移り住んできた友人連中の方が、吉祥寺の街に詳しかったりする。自分の方が昔から関わってきたのに、生み落とされた街であるのに、それが悔しくてたまらない。みんながいい街だと言うと、ひねくれて自分だけのいい街を他に発掘したくなる、そういう性分である。吉祥寺を自由に扱うには、わたしは子ども過ぎるときにこの街を離れてしまった。

思い出のふるさとには住んではいけない。大切にとっておくべき土地であって、移り変わりを楽しめる余地は少ない。心のサンクチュアリとして、いつまでも大切にするのが妥当な線だ。


[Diary] 12/14

乗換で泉岳寺駅に降りたら、「泉岳寺は品川より階段です」というアナウンス。ああ、きょうは12月14日か。

…でも討ち入りは旧暦の12月14日だからとかいうのは、きょうはやめておく。


[雑感] インプット偏重になる

旅は現実逃避でしかないというのはそうだと思うのだが、列車の席に揺られて本を読むのは、また格別なひとときである。眠くなったら寝ればよい。かといってネットの誘惑もないので、次々と情報詮索してしまうこともない。インプットに専念できる。

だが、おかげでアウトプットが圧倒的に少なくなったのは大いに気にかかっている。

さすがにノートパソコンを持ち歩くのは重い。昨今話題のネットブックは、キーボードが小さく打ちづらくて却下である。だが、HPのやつだけは満足できそうなサイズである。もっと割り切ってポメラという手もあるかもしれない。

HP Mini-Note スタンダードモデル (日本語キーボード版) FR083PA-AAAA

[Train] レッドアローで長瀞へ

西武池袋線の単線区間、飯能から先へ乗ってみたくなった。思い立ったが吉日、実際に行ってきた。


池袋駅へ。ビックカメラの歌は便利だが、東武と違って西武はいまいち場所が分かりづらい。

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券売機でレッドアロー指定券を購入。が、それは1本後の列車のものだった。なんでも、次に出る列車の指定券は改札内でないと買えないらしい。小田急文化圏とはだいぶ違うものだ……なげきつつ有人窓口で変えてもらった。罠だ。ついでに、西武池袋駅には、改札の中にトイレがないようだ。いいのか?

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レッドアロー。レッドアローは初代5000系のイメージが強いのだが、いまのはだいぶすっきりとした感じだ。むしろ物足りなさすら感じる。座り心地は、JR普通車のグリーン車よりはなかなか良いといったクラス。カーブでJRの線路を渡るため、発車からはゆっくりしたスピードだ。西武池袋線は住宅街を突き進むが、清瀬市に入った当たりから畑が広がる。のんびりとしていて、かつ東京にも近いのは悪くないかも知れない。

飯能で逆向きに発車。正丸トンネルをくぐるあたりからはだいぶ山中を走る。山手線から放射線状に延びる路線では、一番早くローカルに突っ込むことが出来る路線かも知れない。それも秩父へ入ると工場や住居が多数見えるようになる。


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西武秩父へ到着。観光色強い拠点駅だった。

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御花畑駅へ歩いて移動。途中の車道に横断歩道がないのが気にかかる。

御花畑駅は観光客であふれていた。きょうはSLパレオエクスプレスが走る日らしい。私の興味は、SLよりも末端の三峰口駅と、秩父鉄道全線乗車に傾いていたため、急行券で急行・秩父路へ乗る。

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急行車両の6000系は、200円とは思えないほど快適な座り心地だった。

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途中、SLで行き違い。家族連れで列車は大賑わいのようだった。


三峰口駅到着。

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登山客が多い。広い駅構内と山のセットが気持ちいい。

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折り返しの列車は古い1000系。国鉄→JRの101系にはほとんどお世話にならなかったので、目新しくは感じるが、座り心地にはやや疲れた車両の悲哀を感じる。古くても新しくても、居住性を私は重視する。


長瀞駅で途中下車。長瀞渓谷をチラ見して、急行で羽生まで行こうという魂胆である。

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と、これがまた美しい。商店街の雰囲気の良さも相まって、客であふれるのも当然のように感じられる。

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長瀞の駅はだいぶ混雑していた。ここで来た急行は旧都営車の5000系。まさかこんなところでまた会えるとは… 先ほどの快適な6000系を期待していたので「急行券代返せ」とも思わなくはないが、この客数なら長瀞からではとても座れなかっただろう。


羽生駅到着。悔しかったので、東武特急で帰ることに。

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東武の特急は、レッドアローよりイスがふかっとしていて気持ち良かった。東武浅草駅へりょうもう号は滑り込む。隅田川を渡るときの夜景が美しい。

浅草の街を歩いていい気持ちになったものの、都営浅草線の駅へ行くのにすこしばかり迷ってしまった。あんな位置にあるのか…いや、案内分かりづらいだろ。

[Train] レッドアローで川越へ

西武新宿線は乗った記憶がない。思い立ったが吉日、実際に行ってきた。


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西武新宿駅へ。BeBeの近くはたまに行って友人らと飲むが、西武新宿駅を使うのは初めてだった。西武新宿線は似たような商店がきちんとある駅をいくつも通過していき、あっという間に所沢へ。改札口から見える所沢市街は広々としている。実は至便な街なのかも知れない。

本川越駅へ到着。

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この後、JR川越駅から高麗川までの区間を乗り通すつもりでいる。クレアモールを通って移動することにしたのだが、この商店街がいい。古い商店も老舗百貨店の丸広も、ソフマップから紀伊國屋書店まで全部ある。人通りも多い。郊外型ショッピングセンターに大絶賛ファックされ中の郊外にあって、このような商店街に出会えることは貴重である。

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帰り道は川越線と埼京線に乗ってきた。川越線は、川越-高麗川よりも川越-大宮の方がローカルな香りがした。これは意外であった。


[Train] メトロホームウェイで唐木田へ

地下鉄にロマンスカーと言うことで話題のMSE60000形。思い立ったが吉日、実際に行ってきた。


霞ヶ関駅へ。時間的には結構ギリギリだった。指定券の発券は列車発車までと言うことだが、案外列の途中で買えないって人も多いのではなかろうか。

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MSEがゆっくりとホームへ入ってきた。窓側の席を選択したが、隣には人が来なかった。そろそろ物珍しさで乗る人は多くなくなってきた頃か。新宿発のホームウェイよりは乗車率が高くないということになる。写真で見ていたよりも、車内は明るい。

小田急は何度も乗ってるので、車窓に気を取られず本でも読めるかと思ったが、見る度につれ変化がだいぶあって面白く、集中は出来なかった。


唐木田駅へ到着。唐木田駅前も、ケーヨー、東急ストア、マクドナルド、ファミマが出来たりしてだいぶ変わったものである。ステンドグラスしか見るものがなかった頃とは様変わりしている。女子大があるせいか、だいぶ客層も華やかに見える。


多摩センターで下車。ちょうどイルミネーションの時期らしく、街が華やかだ。

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実は、多摩センターの街を歩いたことがないので、少し散策してみる。多摩センター三越へ入ってみた。……百貨店ぽくなくなくないですか? 入ってすぐが化粧品売り場でないこともあるが、テナントビル化しているありがちな三越というところだった。

パルテノン多摩まで歩いた。

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ママと子どもたちが、こぞって写真を撮っている。微笑ましい。キティにあふれた街なのも多摩センターならでは。


帰りは京王相模原線の急行で新宿へ戻る。先頭と後方車両は空いていて快適だ。調布駅と新宿駅の入線で時間がかかった。新宿駅のホームは、準特急に長蛇の列が出来ていたものの、急行橋本行きに列が出来ていないことに驚きを感じた。


2008/12/19(Fri.) 一族郎党 [長年日記] この日を編集

[時事ネタ][Train] 夜行列車

「ダイヤ改正」の中の、ありがちな「改悪」の部分。

東京駅発のブルートレインが来年3月に姿を消す。

[東京駅発ブルトレ全廃へ=来年3月、半世紀の歴史に幕 JR東(時事通信) - Yahoo!ニュースより引用]

確かに青い列車は消えるけど、「サンライズ出雲」「サンライズ瀬戸」は残るようだから、ちょっと「全廃」という見出しにしっくり来ていなかったり。

それはそれとして、いくら新幹線だ飛行機だで、朝移動開始しても早い時間に着けるのは確かとして、その場合は「朝早く起きなければならない」わけで、寝坊リスクはまったく軽減されていない。夜行バスは確かに需要に応じたキャパシティを柔軟に提供可能で良いのだが、この「フルフラットで横たわっていける列車の消滅」という問題はなぜもっと重大視されないのかねぇ。戦前の寝台車がなかった時代に逆行しているのではないか。プレミアム号のプレムアムシートですらフラットではない。寝台付き夜行バスがあるのなら、別に文句も言わない。


飲食業の話になってしまうが、「新宿駅最後の小さなお店ベルク(井野朋也著、P-Vine Books)」の最後、押野見喜八郎氏の解説にこんな一文がある。

繁盛店といわれる多くの店の出発点を見ると、ほとんどのケースで経営者自身が、自分ならこうされたら喜ぶ、という思想のもとに店作りをしている。

新宿駅最後の小さなお店ベルク
井野朋也

言い訳かもしれないが、設備産業ではなかなかその通りにいかないと痛感する。多客期はともかく、閑散期はわずかな乗客のために莫大な人件費が、「はやぶさ」に、「富士」に、「ムーンライトながら」に、「ムーンライトえちご」にかかってるわけだ。とは言え、貨物列車がある限りは営業扱いの駅員はともかく、運転のために駅に人がいなければならないことには変わりない。川島令三ではないが、JR貨物がブルトレを引き継げば良かったとかぼやきたくもなる。このままでは、北海道新幹線とともに(下手したら東北新幹線新青森開業とともに)「北斗星」「カシオペア」も消滅だろう。雑誌でこれだけ寝台特急がもてはやされる時代になったというのに、なんということだろう。たとえ多客期と言えども、使える列車はスピード優先の新幹線か、興奮して(?)寝られない夜行快速のどれかになる*1。しゃらくせえので飛行機を使わざるを得ない。

夜、楽に(快適にとは言ってない)移動出来る手段は、大切なインフラだと思う。寝台列車が無理ならば、まじめに寝台バスを検討して欲しい。だいたい、夜行列車が1本でも残る限りは人件費ってがっつりは削減できないのではないのか。そんなに列車新造コストがないのだろうか。


最後に、「ムーンライトえちご」が臨時化するのは意外だったが、急行「能登」はそのままなのか……さすが、東北本線を切って岩泉線を遺すJR東日本である。

*1 足が長い私としましては、夜行バスは足が完全に伸ばせないため「却下」でございます。


2008/12/21(Sun.) クズ [長年日記] この日を編集

[Diary] 最近

品川区の個性的なお店を必死に開拓中。

[Diary][Train] 都営浅草線大門駅ホームにて――東京都交通局の安全意識を問う

都営地下鉄「冬」のワンデーパスが使える日のため、戸越から新宿まで、大門経由で移動することに(都営地下鉄浅草線、大江戸線利用)。

泉岳寺駅で乗り換えた列車を大門駅で降りると*1*2、時間が夕刻だったこともあってか同じく大門で降りる人も多く、浅草線のホームはやや混雑していた。大江戸線に乗り換えようと階段の方へ歩いていってると、女子中学生数人が列車に乗りこもうとしている最中だというのに車掌がドアを閉めているではないか。ドアに挟まれる女子中学生3人。体が挟まれているのに加えて、彼女らはラケットか何かショルダーから荷物を提げており、それがドアの中に挟まれている子もいる。軽い悲鳴をあげる女子中学生。ドアが少し開くも、1人は完全に乗車し、2人のうち1人は外(ホーム)に出たものの、最初に挟まれたときに荷物だけが挟まれていた1人は乗ろうとして、またドアに挟まれる。ドアが全部開かれたので、ホームに残された1人と2度挟まれた1人が再度乗ろうとするも、やはり乗っている最中にドアが閉まり、1人の荷物だけがドアの中に挟まれる。挟まれた荷物を必死に取り出そうとする女子中学生。再度ドアが少しだけ開き、荷物を出すことが出来ようやくドアは全部閉まった。哀れ、みんなで乗ろうとしていた列車に全員が乗り切ることが出来ず、彼女たちはグループをバラバラになった*3。済ました顔で半身を乗り出して進行方向をまっすぐ見据えている男性車掌が、呆然と立ちつくすホームに残された女子中学生2人の横で、乗務員室のドアをバタンと閉める。最初にドアを閉めたときから、1発でドアを閉められたときの2.5倍の時間がかかっていただろうか。


……朝の通勤時間帯なら分かりますよ、客が乗ってる最中にドア閉めるの。閉めないと本当に発車できないし。しかし、大門駅の時計は17時を少し過ぎた頃。別に後ろの列車が詰まっていると言うことはない。その女子中学生が駆け込み乗車をしようとしていたというのでも分かりますよ、乗ってる最中にドア閉めるの。別に彼女らは駆け込み乗車をしていたわけではない。おそらく大江戸線乗換階段が近いこともあり、降りる客が多かったのであろう。それで、降りる人が皆降りるのを待っていたら、他のドアではみんな乗ったのにまだ乗り終わっていなかったと言うことなのだろう。女子中学生は部活の試合帰りか、単に部活帰りか、とにかくも複数人(4~6人くらいか?)だったようだから、とくにドアに別れて乗車するということも考えなかったのだろう。

その時の大門駅ホームには駅員はいなかったようで、「一カ所に固まらず、空いてるドアからご乗車ください」とか放送は一切なかったし、ホームに駅員がいないときは車掌が車外スピーカで放送する鉄道会社もあるけど、そんなことはしていないようだった。

早く発車するために、客が乗ってる最中にドアを閉めるのはいい。それで客がドアに挟まれず、ドアの内側にさっさと入ることが出来るのならば。ところが、結果として女子生徒がドア挟まれ、その後、開いて閉めて開いて閉めて開いてまた閉める…ということをして大幅に時間をロスしているのである。馬鹿ではないか。最初からドアを全部開いて、彼女らが乗り切るのを待てば、その開け閉めをやる時間の2/5の時間ロスで済んだのである。

なにせ、あの鉄道好き女子の酒井順子でさえ、中学生の時にクラブ活動の対外試合で一人で電車に乗らなくてはいけなくなり「試合よりも一人で電車に乗ることの方が、ずっと緊張した」と書いてらっしゃる(「女子と鉄道」)。中学生くらいだと、電車に乗り慣れていないというケースは十分有り得るのである。そういう客層をドアで挟むのはいかがなものか。

そもそも、降りる人が多くて乗降に時間がかかり定時に列車が発車できないのは、当該時間帯の列車本数では乗客を捌き切れていないという、輸送見積もりのブレであり、本来は輸送頻度を上げて解決すれば良い話である。しかし、それでは採算上見合わない、車両運用上不都合がある、客がいない日もあってその時は過剰な列車本数・車両数となるというのであれば、混雑時には多少の遅延には目をつぶるしかない(乗客がそれに対してどう思うかは別)。それを踏まえて、ゆとりあるダイヤを組むしかない。だいいち、定時運行より乗客の安全、輸送上の安全を優先すべきなのは、福知山線脱線衝突事故のJR西日本の例を引くまでもないだろう。

東京都交通局は、列車に乗りかけの女子生徒を3,4回近くドアで挟んだ挙げ句、列車の発車を遅らせたのである。危険きわまりないとともに、何度もドアを開け閉めして列車の定時運行を乱すことをしておる。


釈然としない気分のまま大江戸線に乗ったら、2駅ごとくらいにお客様へのお願いとして「ドアが閉まりかけましたら、次の電車をお待ちくださいますようお願いします」とアナウンスしている。東京都交通局は、ラッシュでもない時間帯に、客が乗ろうとしているタイミングを見計らってドアを閉めて、次の列車に乗れと言いたいらしい。

宮脇俊三は「大都市の駅員はみんな感じが悪いが、とくに東京都営がよくないと私は思っている」と書いている(「汽車との散歩」)。駅員の態度が悪いのはサービスの問題だからよいが、安全の問題をおなざりにされるのは、都営地下鉄を普段使いしている人間としては大変に困る。東京都交通局の乗務員は、三島駅の新幹線ホームで起こった乗客転落事故を知らないのだろうか。同事故は男子高校生の駆け込み乗車が発端だが(それでもJR側の過失が認められている)、今日私が目撃したのは駆け込み乗車でもなんでもない、普通の乗車時に行っていた行為である。

自ら作ったダイヤで混雑をさせておいて、停車時間が長くなったので早く発車するために乗客をドアで挟んで、列車への乗車を諦めろと言う東京都交通局の姿勢には、全く同意できない。安全性の観点において、駆け込み乗車であれば乗客の側に非があるが、本項のケースでは非は東京都交通局に多くあるとしか思えない。東京都交通局の安全に対する考え方に、甚だ疑問を感じざるを得ない。

*1 京急線からの直通列車、普通 印旛日本医大行き、泉岳寺駅17時07分発。列車番号:1625T

*2 なお、本「TOKYO REVIEW SHOW」の「Diary」カテゴリは、時間がだいぶ経過してから更新することが大半であるが、このエントリに限っては昨日12/20の出来事である。

*3 話はそれるが、こういう離ればなれになったとき、ケータイ以前は対処のしようがなく困ったものだった。ケータイを各人が持っていれば、メールをすれば済むというのは有り難い話である。

[雑感] ↑上の記事

企業、サービス、モノに関する意見をブログに書く度に思うのだが、やはりクレームは直接当事者にぶつけるのが筋だとは思っている。以上の内容をリテイクのうえ、東京都交通局に封書で郵送した方がいいのかな、とも思う。手紙文例集には「クレームの書き方」なる文例も載っている。実際に手紙で丁寧に書いてクレームを述べる方もいるのだろう。企業としても、知らないでいるより、知る機会があるほうが望ましいだろう。改善するかどうかはともかく。

ただ、ブログに書くのは、事実を記録し、その内容をネット上の衆知に供するためである。その会社のサービスが悪いと思ったときに検索してみて、類型がたくさん検索結果に出てくるようなら、その感想は真実となる。逆に検索結果に1件しか出てこないような内容なのであれば、その異議申し立ては自然と淘汰される。

だからと言ってそのままというのもなんなので、考える。


2008/12/31(Wed.) 告白します!今年は……正直しんどかった [長年日記] この日を編集

[Diary] 大晦日らしく感じないがシメコメということで

幸せとか、順境とか、この俺には永く無縁だった。

私の行く手は、常に敵が立ちはだかっていた。

私は信じたい。道は切り拓かれることを。いままでそうなったように。


他人は私を嫌いかもしれない。あるいは好きかもしれない。だったら、好きなほうに賭けてみたい。



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