2011/03/19(Sat.) 堅い意志 [長年日記] この日を編集
■ [Diary] 東北地方太平洋沖地震に関して
私自身は東京都23区にある会社でふつうに働いていました。3/11は情報収集に徹し、地下鉄が動き出す頃に帰ったので徒歩帰宅はしなかったのです。
プロフィールにあるとおり、今回甚大な被害を出した地域の一つである岩手県には6年間にわたってお世話になりました。一度でも顔と名前を一致させた人の数は人生最高値の6年間になりそうです。当然、今でも連絡を取っている知己には東北関係者が多く、3/12,13の週末より安否に気をもむ日々が続いています。私自身の本籍は青森県南部地方ですが*1、現状親族は東北6県にはおりません。一親等の家族と連絡が取れない(取れなかった)状況は、私の想像を超える事態であるとだけは書いておきます。
「壊滅状態」と伝えられる三陸沿岸から福島県浜通りにかけては、岩手にいるときから東京に戻ってきたときにかけて結構な回数行っています。
- (参考)過去エントリ
改めてその時の写真を見返しているのですが、写っているひとは無事だったのだろうかと思うとじっくり見るのがやや辛いところです。美しかったあの街々を見ていると、心が痛みます。
まだ私のもとには悲しい知らせが来ていないこともあって、まだまだ安否不明者は連絡が取れていないだけと堅く信じているステータスです。人はともかく、現地が甚大な被害を受けたことは確かです。ボロボロになっていた私をまともにして東京に送り返してくれた岩手県。その恩返しを多少なりともすべく、長期にわたるであろう復興には力の及ぶ限り関わる所存です*2。
(補足)仙台の復旧も途上の宮城、原発事故も3.19現在進行形の福島、ほか東北他県、茨城、長野・新潟、静岡・山梨、余震や計画停電のつづく関東他県も被災地である認識はあります。ただ、私は経緯上深くコミット可能な岩手県に対して中心に復興へ関わるつもりです。復興に関しては、個々人によって「広く浅く」と「狭く深く」が共存されるべきだと考えています。
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