2004/11/01(Mon.) 夢見る少女じゃいられない [長年日記] この日を編集
■ [Diary] ぐるりん巣子
授業料納付へいく,まず巣子簡易郵便局でお金を下ろす.で,自分の通帳を新しいものにしてもらおうと岩手銀行巣子支店へ行くと,待ち人数19人! 待つのは馬鹿らしいので通帳切り替えはパスして北日本銀行へ.3人しか店の中にいない罠.えー,岩手銀行は立ち待ちの人もいたよー.まあ,こっちとしては大助かりだったわけですが.ご教授いただいたIさんありがとう.
ほんとうは,北日本銀行駐車場に停めようとして満車で停める場所に苦労したのは内緒だ.
■ [最近] わたしのこと
なんか,金曜日あたりから普通にもやもやしているんですよ.気分が.普通の無気力とは違うんですね.ただ,大学来る前1年のかなり鬱っぽい感じだったときよりはまともなんですけどね.十分,肉体的には休んでいるのですよ.おかしいなあ.
ただ,休んでもいられない←これが問題か.うーん,かといって前もってやっておけばよかったものだらけだしねえ←そして始まる自己嫌悪.
まあ,たのしく行きまひょ.うひ←変な言動が多い.
■ [時事ネタ] 今日から運転中の携帯電話使用罰金
…こちとら,はなっから「運転しながら携帯電話をみる」なんて芸当が出来なかったので,あまり関係ないですな.運転中に電話が来ても,それはご縁がないだけのこと.…ぬわぁんて,ビジネスじゃないから言えるんだろうなあ ※でも,無理は無理.だって,ようやくラジオかけながら乗れるようになったっつーの
2004/11/02(Tue.) 涙くんさよなら [長年日記] この日を編集
■ ま,しばらくは無理だろうな...
■ [年表] 独自ドメイン版完全戦国年表
じつは,もう3つまでに絞っていたり.jpドメインひとつ,.comドメイン2つ.ただ,運用の形態と.comドメインをどちらにしようかでずっと悩んでいるわけで.で,決まらない.でも,悩んでいる間が楽しいんだろうな.…内容は何も進んでないし大学入って.
■ [Diary] oisaショップ再入荷@oisaショップ広報部長
学祭でこっそり好評(発見できなかった人多かったようですが)oisaショップですが,今日,即席麺とアイス,缶コーヒーなど,充実の再入荷を行いました.ぜひ来てね(はぁと).
■ [時事ネタ] 楽天に決定
まあ,後だしジャンケンに間違いないし,長野を(意図はなかったにせよ結果として)虚仮にしたのも事実だが,東北が拒否られる最悪の事態は避けられたことは素直に喜びたい.
…こうなった以上は,山下大輔ヘッドコーチに期待age
■ [時事ネタ] えーッ?!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041102-00000065-kyodo-soci*1
生徒の血液使い理科授業 和歌山・橋本の男性教諭和歌山県橋本市の市立中学校の男性教諭(41)が2年生の理科の授業で、生徒24人に針で指を刺させて採取した血液を実験に使っていたことが2日、分かった。保護者の抗議を受けた市教育委員会は「配慮が足りなかった。今後、このようなことがないよう徹底したい」としている。
市教委によると、教諭は10月下旬、「血液とその循環」をテーマにした授業を実施し、2年の3学級計104人のうち98人が受講。熱消毒した針と消毒液を生徒に渡し、針で指を刺させて採取した血液をガラス板に塗り顕微鏡で観察させた。
4、5人のグループの中から話し合いやじゃんけんなどで針を刺す生徒を選ばせたという。針を刺し出血する様子を見てショックを受け泣きだす生徒もおり、保護者から学校に抗議があった。
中学1・2年のころ,授業とは別に,クラスを分けての「理科分割実験」なる授業があった.クラス50人を前半・後半で分け,1週おきに1分野の実験と2分野の実験を繰り返すのである.毎週のレポート提出が義務付けられていた.
やはり記憶に残るのは化学・物理の1分野の実験よりも2分野の,それも生物がらみの実験だ.牛の目玉やマウスを解剖したなあ…昼食の前に.
で,最後の分割実験の授業のとき,先生が「ネタがなくなった」といってやったのが「自分の指に針を刺して血を出してそれを顕微鏡で見る実験」だった.出席番号前半の私は,1分野→2分野の実験の順なので,まず経験してきた後半の人たちが「いやー,大変だった」「面白かった」というのをガクガクブルブルしながら聞いていたものだ.
で,その実験のときは来た.
実際覚悟を持って親指にぶっさすと,あっさり適度の血が出てきた.プレパラートに乗っけてみてみると,アーラ楽しい.スケッチをして無事実験は終了した.
しかし,まわりは意外と阿鼻叫喚だった.いや,大げさかそれは.ちょうど都合よく道で転んでいたために,そのかさぶたをとって血を採取する奴,緊張のあまり刺しても血が出てこないために,実験助手の大学院生に指の方に地を集められているヤツといろいろだった.なんでも,一緒にやった1年生はびっくりして倒れて,実験室のガラス戸を割ったヤツがいたそうだ.
私にとっては,いい思い出である.科学するこころも養われた感がある.緊張すると血が出てこないのを肌で実感した.
… 今 や る と 問 題 な の で す ね w
*1 共同通信配信のニュースは,元サイトに記事が見当たらないことが多いので,前文引用することにします.
2004/11/05(Fri.) 無気力だけど、やる事たくさん。 [長年日記] この日を編集
■ [研究] IPアドレスは劣化する
172.20.3.1だったら172.16.3.1に劣化します。脳内で。
同様に、170.16.120.30なんて172.16.120.30になるわけだ。
で、今回は211が210に、120が122に劣化しましたとさ。あぅぐぅ*1。
*1 MACアドレスも劣化するらしいぞ ex)3B→3D
2004/11/30(Tue.) On dit des jumeaux qu'ils sont l'incarnation des anges. [長年日記] この日を編集
■ [Diary] よく死ぬための記録
11月7日
高水寺城へ行く.詳しくは後述.紫波中央駅から古館駅を歩く.それに飽き足らず,古舘駅から矢幅駅までも歩く.岩手山登山ですらならなかった筋肉痛になった.だが,矢巾の開けっぷりには目を瞠るものがあった.…矢幅駅への行き方は少し迷ったケド
11月8日
午前中に起き,頑張って研究.そのメモをエティログに遺す.だが,昼ごろから猛烈に気が塞ぎ,洒落にならなくなる.
11月9日
ゼミに泣きながら出る.終了後,最後の力を振り絞って週間報告書を書き,先生と打ち合わせ.さっさと帰る.
11月10日
前日,きょうがカードの引き落とし日なのに口座にお金がないことに気づく.滞納だ! あわててカード会社に電話すると,午後6時までに振り込んでおけば大丈夫とのこと.*1.せっかく気分が落ち着いたと思ったら,「5きげんテレビ」の占いが最下位で一気に沈む.
11月11日
死ぬ気で英語論文ゼミに出ていた気がする.気分いまだ安定せず.
11月12日
FreeBSDインストールをなっちゃんらといっしょにやった記憶がうっすらある.
11月13日−14日
正直,何も覚えていない.
11月15日
サーバ移転をtakaとなっちゃん,研究センターの皆さんで行う.電源抜くのは怖いですね.確認作業で力尽きた.脆いものよ.
11月16日
研究ゼミ−>打ち合わせ.ついに「風邪」という理由を使った記憶がある.
11月17−19日
あきらめて研究,もとい作業を少しやった記憶がある.17日に本を借り,18日に論文ゼミ.19日も地道にサーバ設定
11月20日
蟹の宴.正確には,しゃぶしゃぶで野菜を摂取した.いろいろ話を聞けてよかった.このあたりから復調傾向.
11月21日
記憶なし
11月22日
サーバ移行/設定祭り.夜半に先輩方から相次いで「外部から見られない」という連絡が.対処しようとするもSolarisIP再設定の壁が… 結局作業はあきらめて,TEPCOひかりの速さに感動していた記憶がある.
11月23日
新サーバのデフォルトゲートウェイの設定がなぜか消えたようだった.直接的原因はそれだが,なぜそうなったのかはまったく原因不明.
11月24日
なんとか,新しいサーバの体裁が整う.でも違うサーバが不安定に_| ̄|○
11月25日
起きたら体が動かない.まあ肉体的疲労がきたわけですが,takaからの「風邪?」との電話に生返事したせいで,風邪と言うことになる.風邪の僕を置いて,みんなはどこかへ行ってしまいましたとさ.あしたには同窓会で帰省である.
11月26日
午後6時半から,友人が合唱のステージに立つので,東京カテドラル聖マリア大聖堂…へのはずが,急用で,午後5時まで動けず.「今日は行けない」という断りのメールを友人に泣く泣く出す.友人2人が揃って立つ最後のステージ,それも大変な練習を積んだ自信作にして大作(「ヨハネ受難曲」)だったのうえ,5年越しの約束でもあったのであるが……「俺が代わりに出しておくから行け」と言ってくれたひとがいて,こっそり泣けた.
新幹線に乗って,ステージ終了(21時)の8分後に東京駅に着く.…新幹線は3人がけの真ん中に当たった.よくない.「いちご弁当」を食べた.
11月27日
同窓会,である.かなり久々なメンバーと再会(後述).その後は,いつも私が帰るたびに会っているメンバーと飲む.岩手に来たおかげで,仲間内で集まるときの主役になりやすいの(笑).新宿東口はやはり混んでいる.その後,2時間カラオケ,気がついたときには小田急線で帰れなくなっている(江ノ島経由でないと帰れない).仕方ないので,湘南新宿ラインも終わっているので,山手線で品川へ.生まれて始めて,東海道本線の最終小田原行きに走って乗って,横浜駅で相鉄線の最終電車に走って駆け込んで乗った.
11月28日
みなとみらい線に乗りに行く.横浜から特急で元町・中華街駅へ.「港の見える丘公園」を散策後,元町商店街,中華街,山下公園をひたすらウォーキング.受験生時代,絶望に浸るまま歩いた横浜の街の空は,その日もとても青かった.その後,元町・中華街駅から一駅ずつ降りて,グッドデザイン賞に選ばれた各駅舎を堪能.みなとみらい駅のクイーンズスクエアに通じる吹き抜けは,思わず写真撮影してしまった*2.高校生の時分行った時には,まだ工事中だったのに.新高島駅は何もないことで開業時は有名だったはずだが,シネコンが近くに出来たせいでそこそこの人がいた.まあ,降りた人は滝沢駅以下だったけども.そんなわけで,450円の1日乗車券で,200円と180円5回で1100円のところが半額.十分楽しめた.
11月29日
次の日ゼミがあるので帰ることに.よく考えれば,そのゼミは休みだったのだがw 途中,私にとっては思い出深い町田に立ち寄り,その後,小学校に上がるまでをすごした東京都三鷹市・井の頭へ.いつもは吉祥寺駅で降りるのだが,久々に井の頭線・井の頭公園駅で降りる.変わったところ,変わらないところいろいろあるなあ,としみじみ.通っていたよう幼稚園は,駐車場になっていた.びっくりしたのは,住んでいたアパートが,新装しながらも残っていたところ.いまや高級住宅街になってるよ,と同窓会で言われていたのでてっきりなくなったかと思っていたが.そして,生まれた産婦人科へ.前中学生のとき来たときには見当たらなかったのでつぶれたかと思っていたのだが,takaの持っていた東京の地図にはまだ堂々と載っていたので見に行ったら,やはりない.…とおもったら,立派に改装されているじゃないですか! …改めて気づいたが,その病院はあの丸井の吉祥寺店のすぐ隣にある.私は丸井の隣で生まれたというわけだ.その割には… その,丸井吉祥寺店の屋上で盆踊りをしていたなんて,まったく隔世の感である.その後,吉祥寺市街をぶらぶら.よく言っていた西友や焼肉店など,そのまま残っている店も多く,懐かしさを感じる.その一方で,三越やロフトなど,自分が出て行ってから出来た店も多い.だが,古くからの商店が並ぶ「ハモニカ横丁」の魚屋や果物屋のおじさんの威勢の良い声が聞けたのは何よりの収穫だった.
原点に戻り,デフラグをすました私は,新幹線で北へと戻った.
■ [Diary] 高水寺城
気分転換に久々に城にでも行こうかと,ふらっと鉄道で*1,紫波中央駅へ.
無人駅のくせに有人の産直のあるJR東北本線紫波中央駅から徒歩.国道4号沿い.4号から入る道は人っ気がないが,けっこう車でみんな来ているご様子.御殿跡(本丸か)と,付随する御殿の跡が2つほど.石垣はちらっとしかなく,いかにも東北の城らしいつくり(盛岡城が例外過ぎる).
城からは紫波,盛岡を一望でき,確かに斯波氏が居城にしただけはある気がした.ちょっとだけ南部家の本拠になっていたのも頷ける思いだ.
家族連れあり,バーベキューやっているおっちゃんあり,高校生のカップルありでわけわかめな城山公園であった.ちなみに,遊具もある(笑).
階段はぼろぼろで手入れされておらず,紫波町のやる気のなさを感じさせた.それでもこれだけ人が入っていればおいしいが.
岩手にいるうちにもっと城跡見に行きたいなあ.差し当たり九戸城とか.行く人ー?
*1 とても運転が出来る精神状態ではなかった
■ [Diary] 同窓会
いつも,帰るたびに固定されたメンバーでは飲むことが多いのだが,今回は結構毛色の違うメンバーが集まっていた.昔はもっと話していた気もするのだが,どうもやはりグループっつーのがあって(笑)そっちとの会話が優先される気もする.まあ,それなりに「卒業後始めて」会う人も多かったのだが.社会人は2割以上はいて,予想よりは多かった.250人学年にいて,120人程度は来ていたらしい.
というか,一人素で名前を間違えたし*1,「久しぶり」といわれて誰か分からなかった人が二人いた.このことを友人に話したら「お前は有名人だから,いじりやすいし」とのことだった.だが,そんなに有名人だったらもっと多くの人と話せても良かった気がするのだが,というのは私が贅沢すぎるのだろうか.
担任の先生方とも話しをした.ついでに,来年の進路の報告もした.高校3年間数学を見てくれた先生に「まったく数学の出来ない情報系学生でして」と嘆いたら「いや,今からでも興味を持ってくれれば良いよ」との返答が.高3のとき数学の単位を落として泣きついて再々試験を頼んだ(そして,断られた)私が,いまだに数学と密接な世界にいることだけでも,教師冥利に尽きる面はあるのろうな,と.高2のときの担任の先生にも報告をした.一番,(成績劣悪な)私を庇ってくれていた体育の先生で,まあ岩手で頑張っていることを喜んでくれていたようだった.次に,高3のときの担任の先生に報告.「君は自分の好きなことをやりなさい」と言葉を頂いた.的を射た言葉であった.最後に,1回も担任になったこともなく,授業もなかった隣のルーム*2の先生に報告した.岩手は遠野出身の先生で,進学が決まったときも一番喜んでくれていたその先生と,一番長くローカルトーク含め話が弾んでしまった.
私立というのは,自分が教わっていた先生がまだ学校にいることが多く,その点でかなり良い.卒業生ということだけで,先生の側は覚えていなくても話は弾む.ただ,土曜日とのことで研究日(=休み)の先生が多く,あえない先生が多かったのは残念だった*3.
まあ,SEになった友人たちが半年で大きく変わっていたのに驚いた.卒業研究で「要件は?」と真っ先に聞いてくるあたり.要件が決まらないと見積もりも取れないとのことだそうで.…まあ,それがころころ代わるからこっちは(ry
中3から3年間,出席番号が俺の前で,体育のソフトボールでキャッチボールの組だったひとが,京都で同棲しているだとか,小学校1年の自分よく遊んでいた女の子が今年ママになるだとか,変化の多い地元であった.
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