2018/12/08(Sat.) お年玉 [長年日記] この日を編集
■ [地域ネタ][Place][Book] 八戸ブックセンターを僕は評価しない
これは今年のゴールデンウィークの話。三陸へ行こう、と思ったのは「八戸ブックセンターへ行く」という用事があったからだ。常々「存続が厳しいけど無くなると街の格が落ちる百貨店と書店は公的支援しても良いのではないか」と思っていた。返品可の再販制度においては、図書館で無く書店もありかも知れない。そんなことから、民業圧迫の点は十分に留意するにしても、別に公設書店は良いのでは?と思っていた。そんなこともあり、八戸に足を運ぶ旅程を組んだ。
結論から書くが、八戸ブックセンターは期待外れだった。以下にその理由を書く。
八戸ブックセンターに入る。何よりも目を引くのは、書籍がビニールのカバーで被われていることだ。基本は新刊書をカフェで読む流派の書店ということなのだろう。そのことは否定しない立場だ。残念ながら、書籍の売り上げよりも、書籍を置いてカフェの日銭のほうが儲けられる可能性のある業界だ。本を汚して返品するの?という話はあろうが、残念ながらそれもルールなのが再版委託制というものだ。
一通り書棚を見て回る。八戸ブックセンターは「圧迫しないように専門書だけにしました」という割には文庫も雑誌も漫画*1もある一方、確かに新刊の平置きは限定されている。地元本・郷土本は当然のようにあるが、ここは民業圧迫ではないのか。言行一致しておらず、それが微妙。専門書だけって嘘じゃん、と。
コーディネーターが同一人物であるという下北沢の「B&B」の選書は面白く感じた。これは、新刊書籍と既刊書籍バランスをうまくとっているからだと思われる。新刊書籍こそが書店の存在意義なわけで、不易の書籍だけだとリズムがない。古典中心なのであれば新刊書店である必要は無く、図書館と古本屋で良い、と言うことになる。新刊書店の醍醐味はやはりその時々に出される新刊が時代を切り取っており、それを上手く並べるのがレゾンデートルだ。これはストックを重視しなければならない図書館に出来ない芸当だ。選書こそこの手の意識高い系書店、セレクト系書店のキモなのに、何か物足りない。正直、全国各地にある蔦屋書店のフォロワー、劣化コピーでしかない。二匹目のドジョウは八戸にはいない。蔦屋書店、マルノウチリーディングスタイル、スタンダードブックストア……意識高い系書店が増え、正直既刊本での差別化は難しい。いかに新刊を差し込んで、既刊本に反射させていくかがこの手の書店の楽しみなのだが、中途半端感で書棚が充足していた。
そもそも、八戸ブックセンターが入っている建物は4階建て。4階を全て使って、八戸に無い大規模書店を公営でやることにしたのかと思っていた節もあるので、そこも期待が裏切られたのもあった。こちらはそれこそ大型書店は民業圧迫そのものという考え方はある。セレクト系書店であればなおさら地方都市では採算にあわない、だから公営で税金注ぎ込んでやるのも一つの考えだろう。だったら、ステークホルダーの意見集約をして制約なくやったほうが良い。市内書店各店は八戸ブックセンターを敵視しているわけでもなく、何店かは運営協力して商売にもなっているようだ。
本屋というのは相性がある。人によってあうあわないはある。八戸ブックセンターもあわなかっただけかなーとも思う。だが、評価を決定づけたのはもっと違うところに理由がある。先に書いたとおり、本屋には相性があり、書棚の合う合わないは存在する。合わない本屋も、自分の趣向を把握するのに役に立って面白い。この八戸ブックセンターには、致命的にダメなところがあるのだ。
それは、公共施設なのに、1階のトイレが女子トイレだけだったことだ。
正確に書けば、女子トイレに男女共用トイレ(大便器1つ)が正確なところ。しかし男子たるもの、小用であれば男子トイレが望ましい。しかし、この施設は2階・3階は民間企業の借りているフロアであり、トイレはあくまでパブリックスペースとも取れるが使って良いのか微妙なところがある。すると、4階まで階段かエレベーターで行かなければならない。仮にも八戸は東北である。冬は寒くトイレが近いことは往々にしてある。目的である公営書店に着いてトイレがないとは、バリアフリーだユニバーサルデザインだ以前の問題である。完全に建物の造りをミスっている*2。女子トイレは不足しているし、男子トイレより個数を多くした方が良いと思うが、デパートの2階3階の婦人服売場よろしく女子トイレだけにして男子トイレは他フロアっていうのはふざけてるのではないか。1階は男子トイレも女子トイレもあって欲しい。
ハンモックやカンヅメスペースは面白そうだし、地元本・郷土書は確かに惹かれた。ビールも美味しそうだったが、上記の通り失望の方が大きかったので、書店ツアーを頼むのはやめた。もしかしたら話を聞いたらまた認識が改まることはあったかもしれない。飯館村の公営書店の件も聞いていた*3ので、そこまで批判しなくてもという思いがあった。だが、この施設は批判されて当然の存在でしか無い*4。たかがトイレ、されどトイレ。八戸市中心部はエスカレーターも故障で止まってテナントも入らずガラガラのチーノはちのへ*5をなんとかしろ。書籍関係者であれば身の毛のよだつおぞましい言葉で表現しておけば、本を扱う公共施設ならTSUTAYA図書館のほうがマシってかんじ。スターバックスの飲める自習室として高校生に重宝されてるんだから。新刊書店としても正直、全国各地にあるTSUTAYAのほうが軛が無いだけマシと言える。強めに書くが、失格。不合格。
八戸は「本のまち」を目指しているという。
先日、どうしても欲しい青森県関連本があり、八戸にある木村書店にBASEで通販してみた*6。貴重な青森県郷土本をネット通販で仕入れることが出来た。知らなかったのだが、POPが溢れる個性派書店らしい。丁寧な梱包で送られてきた青森県関連本には手紙も添えられており、ネットで見るPOPの字に似た丁寧なものだった。
八戸は確かに本のまちかもしれない。だが、郷土書を積極的に出してきた伊吉書院や、さくら野直結で八戸市中心部で頑張っているカネイリ、地道なPOPで努力する木村書店の足を引っ張っているとしか思えない。正直、この施設のせいで、成田本店を擁する青森市、紀伊國屋書店・ジュンク堂書店とチェーン系大型書店を二つ抱える弘前市の後塵を拝することが確定的になった。ブックスモアがぼごぼこ出来てる秋田県にも遠く及ばない。本籍地が青森県南部地方の人間として書くが、こんな施設を造りやがって南部の面汚しである。津軽に負けて悔しくないのか。元岩手県民として屈辱的だ。八戸市には失望した。
■ [Diary] 盲点
雑誌記事を読んでいると、目から鱗が落ちることもある。
女性たちの人間関係に対しては、「触らぬ神にたたりなし」というのが、基本的なスタンス。それは中学校・高校の頃から変わることはないのです。
[「ママ社員vs.女子社員」の熱き冷戦 | 最新・職場の心理学 女と男の探り合い | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイトより引用]
上記は2014年の書きかけの記事だが、当時の苦悩が窺い知れる。ここまでで書きかけは終わってるのだが、ようは共学なら女子の人間関係に特攻する危険行為を男子がするわけねえよ、というごく当たり前の事実をはじめて気づかされ驚いているということだ。人間、いくつになっても勉強だなあとおもう。
2018/12/30(Sun.) やり場のない憤り [長年日記] この日を編集
■ [Review][Book] またしてもリブロネタ
リブロは何人もの人が企業で起こったことを書き散らしてくれていて、一大叙述詩として多面的に起こったことを捉えることが出来、非常に得難い企業である。
そんなわけで、リブロ池袋本店の店長だった菊池壮一氏が書籍を上程しているので、気になったことをレビューしてみる。
リブロ2代目社長・市原穣の評価
リブロは書店OBと出版社OBのたまり場だったと言われる。その中でも本を出すほどのOutputが出来る人たちによって、リブロ2代目社長・市原穣は冷たく書かれてきた。黄金期の後の社長として評判は概ね良くない。
だが、一方で小川道明初代社長が絶対に正しかったのかと言えば、影の部分も確かにあったことが、後ろに下った書籍・雑誌では言及されている。
先日、「わが記憶、わが記録 - 堤清二×辻井喬オーラルヒストリー」を図書館で借りて目を通した。そこにはリブロとリブロポートについての堤清二評も納められている。雑誌「ユリイカ」の2014年2月号 堤清二/辻井喬特集で中村文孝氏が話していた「堤さんは小川さんのことを評価していなかった」という内容と同じような内容が展開されている。
「自分の好みが入ると売れない本屋が出来るから、リブロの経営には入らないよ」という宣言をした話の上で、担当者は書店だけにとどまらず出版もやりたくなるのだとし、そしてリブロは小川さんが独裁しており影響力はなかったと話し、リブロポートは在庫が多く整理するのに時間がかかったと評価している。なんと、「小川さんは私の知り合いでは無くて、誰かが連れてきた」とまで冷たく書いている*1 *2。その上で、「失敗して今の経営者になって立ち直った」としている。インタビュー時のリブロの経営者は市原穣その人である。
菊池氏は嘆く。
この頃辞めた人で市原のことを良く言う人は少ないが、私は真のリブロの礎を作ったのは彼だと思っている。堤やファミリーマートを説得して過去のしがらみや債務を払拭し、リブロを健全なスタートラインに戻すことができるのは、市原以外にいなかったに違いない。
同著では、市原穣社長時代の話が詳しく載っている。市原との最初の仕事は、リブロポートの倉庫の点検だったという。天井まで積まれた書籍の在庫について言及するシーンが出てくる。その後、ファミリーマートにリブロポートを譲渡して片を付ける経緯について書かれている。
「1億円の利益とは、てら銭・あぶく銭的なものである。一部上場企業の優良会社であるファミリーマートは、いずれムダな経費として見直しを図るだろう。ならば今のうちに不良子会社を精算してもらって、まともな利益を構造を作っておきたい」
正直唸った。常々リブロは成長産業であるコンビニへの雑誌卸をやめてしまったのが不思議でならなった。同著に拠れば年1億円の利益を上げていたという。いずれ来る見直しに先んじて、取引条件に使って不良債権処理に成功したのである。これぞ経営判断である。間違いなく正しい判断だっただろう。リブロポートと抱き合わせのままだったら、さすがの日販も2003年に買収すること無く諦めて、リブロは試合終了していたのではないか。
この1点をもってして市原穣の功績は堅い。
新文化2016/8/11号に掲載された「リブロ池袋本店、閉店から1年経って」という記事から菊池氏の市原穣擁護の話は載っており、コスト感覚を叩きこまれた話と感謝が載っている。同著でもその記事の内容が踏襲され、個々の内容が詳しく言及されている。内容をまとめると、以下のように思われる。
- 成果を出したもの
- レンタル店との複合店舗に反対*3
- ファミリーマートのエリアFCだった岩田屋とのコネクションで岩田屋天神本館へ出店
- 失敗に終わったもの
- ロードサイト店に目を向け、小型店、郊外店を中心とした店舗開発を促進
- チェーンオペレーションの導入を目指し、品揃え・本の並びまで統一することを要求
- 成果を出したと考えられるが断定は出来ないもの
- 池袋本店において専門書で無く雑誌を一等地に持ってきたこと
成果を出した話は興味深い。一方で、失敗に終わったものはまさにトップが変わると説明をゼロからする必要があるもので、組織人なら経験も多い徒労だろう。
市原穣を評価していない本を書いたと思われる今泉正光氏にせよ、中村文孝氏にせよ、田口久美子氏にせよ*4、儲けを考えなくて良いという考えではなかったことは一連の図書を見れば分かる(小川社長はその限りではなく、それを懐かしむ記述はそれぞれある)。だが、書店が儲けるためには、ロードサイト店や書棚の均一化は手段として有効では無いと考えていたのは無いか。菊池氏は説得することにストレスを感じていなかったようだが、リブロを出て行った諸氏は相当のストレスだったのだと推察する。そこは、リブロでの発言力の相対推移の違いでしか無いのではないか。
市原穣は間違いなくリブロの礎を築いた。だが、その時代にリブロを出て行った人たちが、西武百貨店への依存や書店としての利潤軽視を是としていたかと言えば違うのであり、菊池氏はその点を捉え違いしているように思える。……まあ、在籍時にいまのリブロは本屋でない、とされればそうなる気持ちは分からなくも無いのだが*5 *6。
最低賃金批判のお門違い
菊池氏は最低時給アップが経費的に痛いことを嘆く。東京都下では1000円超のところもある、地方では最低賃金以下の求人票もある中でリブロは規定通り最低賃金で出したら応募書が殺到する話を書き、挙げ句の果てに経営者が外国人労働者採用に流れるのもやむを得ないと書く。
最低時給倒産しかねないのが書店であるということを認識して欲しいと思う。
上記は全く同意出来ない。怒りの矛先が違うのではないかと断罪せざるを得ない。人件費が高騰した場合、商品価格を再検討する、つまり値上げするしか無い。最近流行のステルス値上げも工夫の一環ではないのか。それが、再販制度のせいで値上げが出来ない。批判すべきは価格決定権を小売りで持てない再販制度そのものであり、さらに言えば逆ザヤで暴利を貪るいくつかの出版社と、業界衰退に見合わない価格設定・原価構造を是とする出版社ではないのか。経営が厳しい零細出版社と言えども、人件費高騰を吸収し得ない価格設定をしているのなら、批判は免れない。1980年代のリブロにせよ、1990年代後半からのジュンク堂にせよ、書店は選書が出来る人を売りにした書店だけが名声をほしいままにしている。それを20年以上見てきて人に金をかけるべきで無いとするのであれば、書店は衰退やむなしである。いや、念頭にあるのは、選書するようなバイトでなく、レジ打ちや重労働である搬入を支えるバイトのほうかもしれない*7。それら単純労働のバイトが減ったのは少子化と主婦の減少という社会構造の変化によるもので、過去世代における家族計画の先見性の無さを糾弾するより他に無い。そもそも、書籍というプロダクトを商売の種にしている出版社からしたら「電子書籍」という、書店人件費を載せなくて済むコスト改善策がある。そうなると、書店は存在意義を失う。人件費批判はまさに自傷行為だ。
こんなことを日販子会社の書店の要職を務めた人が言うようでは、この業界は潰れた方が良いと言わざるを得ない。顧客に買ってもらえないものを売る企業は潰れるしか無い。どんな小店舗でも正社員を3人付ける小川初代社長の反動が大きすぎたのか、正直この記述は頂けない。仮にも取次資本のリブロは、この構造であるが故に書店の経営が苦しいのだと改革を主張する側の立場では無いのか。いや、仮にも取次は書店の客で無くて出版社の方に忖度をしないといけないからバイト代をケチる話を書かなければいけないのかな。書籍が新聞のように再販制度に加えて軽減税率をGETして政府の犬に堕さないことを願うばかりだ。
なお、リブロの首を落とすに至った「定期建物賃貸借契約」の話、減損会計や資産除去債務の不合理、テナントPOSシステムの悩みなど、書店業を悩ます話題は他にも豊富に触れられており、そちらについては書店に同情する。
西武百貨店という企業
この本を読むと、西武百貨店という企業が信頼に値しないエピソードで溢れている。正直、西武で買い物をすることは、考えざるを得ない。
堤清二が最近クローズアップされているし、自分も評価している面が多数あるのだが、堤清二を持ってしても、人間としての道徳や最低限の礼儀を祖業の百貨店に広めることは出来なかったのだなと評価せざるを得ない。それは、西洋環境開発や東京シティファイナンスの失敗以上の失敗のように見える。ところが、いくら経営者が優れていて、心を高める経営を謳う企業であっても、そういった人と人の気持ちよい約定というのは達し得ないことが多いことを数多く仄聞している。決して西武百貨店やセブン&アイ・ホールディングスだけが非難されれば良い話では無いのだ。道徳・礼儀・仁義は営利企業にとって一番難しいのだと思い知らされる。
*1 これまで通説とされていた「知人であった堤じきじきに書籍部の部長に誘われた」話を否定する内容である
*2 一方でリブロ池袋閉店時に掲載された堤清二のメッセージには、「小川さんが人を集めたことでリブロの今がある」と評価する面を書いている。どちらも率直な評価なのだろう。だいたい、田口久美子氏の『書店風雲録』ではそもそも出版を始めることに逡巡していた小川さんにいつになったら始めるんだと迫った証言すら乗っている。この破綻こそ堤清二の真骨頂。堤清二周りではよくある話である。
*3 「FCには絶対になるな。俺が言うんだから間違いない」という主張は金言である(笑)
*4 なお、同著では三氏への言及はあるが、参考文献としては一冊も挙げられていない
*5 作中には市原穣と中村文孝氏とが一緒に仕事をしていた時期の話もあり、中村氏の退職時には「残ればいいのになあ」と社内で思われていたという記述もあるが、菊池氏は市原さんを説得するのは負荷と思ってなかったのだろうが、中村氏は相当の負荷だったのだろう。壮年で権限もある、心血を注いだリブロを辞め、ジュンク堂書店池袋本店の地下で売れ線書籍の確保という仕事にシフトした中村氏の心中を思う
*6 リブロを辞めた人は当然書籍を出した人だけではないため、それらの人々のぶんを菊池氏は念頭に置いている可能性はある
*7 書店で外国人労働者採用か、と正直驚いた。業種によっては外国人労働者無しでは回らない現状は把握しているので、念のため
■ [ETilog] デグレ
http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20181228/1545975114
分かっていた内容は多いのだが、今更ながらまとめられた記事が出てきた。
「日付についたタイトル」の廃止が大きく、この件があるゆえにはてなブログ移行は有り得ないというのがかねてよりの検討事項であった。
一方で、はてなダイアリーからtDiary移行する、なんて人はついぞ発見できないのであるが……(ここにいまーす!!)
2018/12/31(Mon.) 告白します!今年は……コンプレックスを刺激された1年でありました [長年日記] この日を編集
■ [ETilog] はてなブログへの暫定移転時期
前に出した移転計画だと、2ヶ月近く移転出来ないということになる…
さらに、移転するべきコンテンツの確定を急ぐ必要があるため、はてなブログへのインポートは1月2日じゅうに行う予定です。
何かあればwebmaster@etilog.netまで