2008/12/14(Sun.) 聞きとうない [長年日記]
■ [Diary] 吉祥寺へ
わたしは、吉祥寺で生まれ、育った。育ったと言っても、6歳のときまでだが。
吉祥寺や井の頭公園のあたりが、わたしにとっての聖地である。行くと、幼かった頃の記憶がよみがえるのか、少しだけ元気が戻る…気がする。盛岡で過ごした時間もおだやかで、わたしにとって盛岡は大事な街であるが、吉祥寺の街には残念ながら敵わない。一番最初の恋人を、わたしは忘れられないでいる。
その手のドーピングにあまり手を出すと効果が薄くなると思って、頻繁に行くことはやめて控えている。今回、思うところあって久々に吉祥寺の街を歩くこととした。
いつも吉祥寺に来ると、つい井の頭公園周辺や、今はなくなってしまった出身幼稚園のあたりにも足を伸ばしてしまい、吉祥寺の街を深く歩くことが出来ない。そこで今回は、「吉祥寺のデパートを歩く」にテーマを絞って街歩きすることにした。
最初に、伊勢丹吉祥寺店へ。吉祥寺の伊勢丹と言えば、石造りの滝。小さい自分は手を水につけて遊んだものだが、今はそのモニュメントはない。その新館へ入ってみて気づくのは、伊勢丹のわりに広くないということだ。おまけに見渡してみると人も多くない。催事場でやってる北海道物産展もいまいち盛り上がりに欠ける。デパートの催しというのは、もっと威勢の良いかけ声が聞こえて然るべきという気がする。伊勢丹は好調な百貨店だという。しかし、この吉祥寺の伊勢丹は、わたしが地方へ行くたびにしばしば出会う、寂れた百貨店と同じスメルを感じる。となりのロフトの方が人の入りが多い。西武スポーツ館時代とは隔世の感がある。
大丈夫か、伊勢丹。
そう心配をしてしまう。
次に向かったのは、東急百貨店。ここは流石の風格。…吉祥寺の中ではという、限定つきであるが。かつての町田東急のほうが賑やかだった気もする。賑やかすぎない百貨店こそが吉祥寺なのかもしれぬ。だが、流石だなという思いは長くは続かなかった。階を上っても、あるべきはずの紀伊國屋書店吉祥寺店がない。一番上のレストラン街まで行って見たものは、半分程度に規模縮小された紀伊國屋書店の無惨な姿であった。
こんなの吉祥寺じゃない。
その街の書店の多さ、広さをわたしはひとつの指標にしている。吉祥寺は紀伊國屋書店ひとつ抱えきれないのか。吉祥寺の知性はどこで満たされているのか。もう、俺は吉祥寺に住むことは出来ないな。そうとまで思った。
冷静に考えてみれば、吉祥寺は簡単に新宿や渋谷に行けてしまうのである。百貨店にせよ書店にせよ、新宿の方が規模も大きく目新しい。そちらへ流れてしまうのは当然か。逆に言えば、自分が小さい頃はなぜそちらへ流れていなかったのだろう。
さらに、京王電鉄系の啓文堂書店が今は吉祥寺では一番大きい書店だという。こちらのほうが駅前で便利なのかもしれない。
とは言え、電鉄系の書店と全国展開の書店では、棚作りに違いがある。ふらっと歩いていけるところにある程度の規模の書店がないことは、吉祥寺にとって大きなディス・アドバンテージだと思う。
ぼうっとした心持ちで東急を出る。あれ、サンロードに戻る道はどこだったっけか。少しばかり迷ってしまう。ふと気がつくと工事中の立て看板。なんと東急チェリーナードのアーケードがなくなっている! 恒久的なものではなく一時的なもののようだが、撤去工事中に引火火災が発生して引越を余儀なくされた店舗があったり、このあたりも変化が激しい。チェリーなー度には、昔懐かしロヂャースがそのまま残っていたり、ヤマダがあったり、行列のできる肉のサトウがあったり。変わってたり変わってなかったりということだ。もっとも、アーケードがないので昔なじみの店も随分と変わって見える。肉のサトウに昔は行列なんてなくて、家で食すフツーに肉を買ってた記憶がある。生まれて初めてサイコロステーキを食べたのはここの2階だ。近くには、よく家族で行った焼き肉屋が健在だ。ここは随分と人気の店らしい。ここで食べ終わると、店のエスカレータは止まり、普段と違うビルの雰囲気が溜まらなく子ども心に新鮮に思えたものだった。このコスモビルにはサイゼリアなど入って変化はしているが、エスカレータなんぞはそのまんま。嬉しくなる。
サンロードの方へずっと向かうと、ヨドバシカメラがある。わたしは家電量販店マニアで、ヨドバシやソフマップを地方都市で見かけると必ず店へ入っていくものであるが、このマルチメディア吉祥寺だけは入る気が起こらない。ここは、近鉄百貨店なのであって、近鉄以外のものは認めたくない。
西友吉祥寺店へ。GMSの苦境が伝えられているが、この西友も例外ではないようだった。30年近く経ってなお今でも現役の冷蔵庫とクーラーはこの西友吉祥寺店で買ったものだという。無印良品のような強力と思われるテナントがあってなお活気にやや欠ける。この西友でお子様ランチなんぞを食べていたのが歴史のように思えてきた。
駅への帰り道、ハモニカ横丁を横切る。不二家や果物屋にはお世話になったものだが、中のお店には小さいこともあって縁がなかった。この界隈を使いこなしてこそ、吉祥寺に関わる大人としては一人前なんだろうが、そういう機会がなく残念である。
パルコへ。とりあえず地下2階のリブロへ。明るい店内にはそこそこの書籍が。リブロで一番お世話になったのは、町田の西友の中にあるリブロで、どうしてもそこと比べてしまう。平積みのセンスなど、リブロは好きなのだが、地下2階という立地が惜しまれる。
駅構内を通り、公園口へ出る。吉祥寺駅は意外と複雑な構造をしている。よく小さい頃は迷わずにすっすと抜けれていたものだと感心する。
住んでいた家が公園口のほうにあったので、吉祥寺はこちらの丸井側のほうがなじみ深い。家族でパチンコへ行ったりしゃぶしゃぶを食べに行っていたビルの2階にあるルノアールに入り人心地する。丸井の前の横断歩道を行き交う人を見ながら喫すウィンナ・コーヒーもまた格別。それにしても路線バスの多い道で、ついでに交通量も多く、大変に混雑しているところである。ここのルノアールはEdyが使えないルノアール、現金払いで店を後にする。
丸井吉祥寺店へ。なんでも丸井吉祥寺店は今年で30周年だそうである。それを記念して往時の吉祥寺の街の写真をパネル展示していた。もともといまの無印良品館のあるところに丸井は店舗を持っていたようだが、いまの新店になってから30周年とのことのようである。わたしが住んでいたころは、無印良品館は閉まっていたのではないかという気がする。その頃は、丸井の屋上も遊園があり、盆踊り大会をやっていたりもした。自分で書いていてもとても信じられないが、本当である。
昔の吉祥寺の写真を集めたパネルが各階に展示されており、しばし見入る。自分も知っている頃の写真もあり、懐かしい。最後に、ロンロンへ。ここだけはいつ入っても往時の雰囲気がある。弘栄堂書店で本を買う。Suica対応レジはJR東日本の駅ビルならでは。井の頭線で家路へ戻る。
この街を去るとき、いつの日か吉祥寺の街に戻ってきたいと思っていた。その間に街は変わり、地方出身のあとからこの近辺に移り住んできた友人連中の方が、吉祥寺の街に詳しかったりする。自分の方が昔から関わってきたのに、生み落とされた街であるのに、それが悔しくてたまらない。みんながいい街だと言うと、ひねくれて自分だけのいい街を他に発掘したくなる、そういう性分である。吉祥寺を自由に扱うには、わたしは子ども過ぎるときにこの街を離れてしまった。
思い出のふるさとには住んではいけない。大切にとっておくべき土地であって、移り変わりを楽しめる余地は少ない。心のサンクチュアリとして、いつまでも大切にするのが妥当な線だ。
■ [Diary] 12/14
乗換で泉岳寺駅に降りたら、「泉岳寺は品川より階段です」というアナウンス。ああ、きょうは12月14日か。
…でも討ち入りは旧暦の12月14日だからとかいうのは、きょうはやめておく。
■ [雑感] インプット偏重になる
旅は現実逃避でしかないというのはそうだと思うのだが、列車の席に揺られて本を読むのは、また格別なひとときである。眠くなったら寝ればよい。かといってネットの誘惑もないので、次々と情報詮索してしまうこともない。インプットに専念できる。
だが、おかげでアウトプットが圧倒的に少なくなったのは大いに気にかかっている。
さすがにノートパソコンを持ち歩くのは重い。昨今話題のネットブックは、キーボードが小さく打ちづらくて却下である。だが、HPのやつだけは満足できそうなサイズである。もっと割り切ってポメラという手もあるかもしれない。
■ [Train] レッドアローで長瀞へ
西武池袋線の単線区間、飯能から先へ乗ってみたくなった。思い立ったが吉日、実際に行ってきた。
池袋駅へ。ビックカメラの歌は便利だが、東武と違って西武はいまいち場所が分かりづらい。
券売機でレッドアロー指定券を購入。が、それは1本後の列車のものだった。なんでも、次に出る列車の指定券は改札内でないと買えないらしい。小田急文化圏とはだいぶ違うものだ……なげきつつ有人窓口で変えてもらった。罠だ。ついでに、西武池袋駅には、改札の中にトイレがないようだ。いいのか?
レッドアロー。レッドアローは初代5000系のイメージが強いのだが、いまのはだいぶすっきりとした感じだ。むしろ物足りなさすら感じる。座り心地は、JR普通車のグリーン車よりはなかなか良いといったクラス。カーブでJRの線路を渡るため、発車からはゆっくりしたスピードだ。西武池袋線は住宅街を突き進むが、清瀬市に入った当たりから畑が広がる。のんびりとしていて、かつ東京にも近いのは悪くないかも知れない。
飯能で逆向きに発車。正丸トンネルをくぐるあたりからはだいぶ山中を走る。山手線から放射線状に延びる路線では、一番早くローカルに突っ込むことが出来る路線かも知れない。それも秩父へ入ると工場や住居が多数見えるようになる。
西武秩父へ到着。観光色強い拠点駅だった。
御花畑駅へ歩いて移動。途中の車道に横断歩道がないのが気にかかる。
御花畑駅は観光客であふれていた。きょうはSLパレオエクスプレスが走る日らしい。私の興味は、SLよりも末端の三峰口駅と、秩父鉄道全線乗車に傾いていたため、急行券で急行・秩父路へ乗る。
急行車両の6000系は、200円とは思えないほど快適な座り心地だった。
途中、SLで行き違い。家族連れで列車は大賑わいのようだった。
三峰口駅到着。
登山客が多い。広い駅構内と山のセットが気持ちいい。
折り返しの列車は古い1000系。国鉄→JRの101系にはほとんどお世話にならなかったので、目新しくは感じるが、座り心地にはやや疲れた車両の悲哀を感じる。古くても新しくても、居住性を私は重視する。
長瀞駅で途中下車。長瀞渓谷をチラ見して、急行で羽生まで行こうという魂胆である。
と、これがまた美しい。商店街の雰囲気の良さも相まって、客であふれるのも当然のように感じられる。
長瀞の駅はだいぶ混雑していた。ここで来た急行は旧都営車の5000系。まさかこんなところでまた会えるとは… 先ほどの快適な6000系を期待していたので「急行券代返せ」とも思わなくはないが、この客数なら長瀞からではとても座れなかっただろう。
羽生駅到着。悔しかったので、東武特急で帰ることに。
東武の特急は、レッドアローよりイスがふかっとしていて気持ち良かった。東武浅草駅へりょうもう号は滑り込む。隅田川を渡るときの夜景が美しい。
浅草の街を歩いていい気持ちになったものの、都営浅草線の駅へ行くのにすこしばかり迷ってしまった。あんな位置にあるのか…いや、案内分かりづらいだろ。
■ [Train] レッドアローで川越へ
西武新宿線は乗った記憶がない。思い立ったが吉日、実際に行ってきた。
西武新宿駅へ。BeBeの近くはたまに行って友人らと飲むが、西武新宿駅を使うのは初めてだった。西武新宿線は似たような商店がきちんとある駅をいくつも通過していき、あっという間に所沢へ。改札口から見える所沢市街は広々としている。実は至便な街なのかも知れない。
本川越駅へ到着。
この後、JR川越駅から高麗川までの区間を乗り通すつもりでいる。クレアモールを通って移動することにしたのだが、この商店街がいい。古い商店も老舗百貨店の丸広も、ソフマップから紀伊國屋書店まで全部ある。人通りも多い。郊外型ショッピングセンターに大絶賛ファックされ中の郊外にあって、このような商店街に出会えることは貴重である。
帰り道は川越線と埼京線に乗ってきた。川越線は、川越-高麗川よりも川越-大宮の方がローカルな香りがした。これは意外であった。
■ [Train] メトロホームウェイで唐木田へ
地下鉄にロマンスカーと言うことで話題のMSE60000形。思い立ったが吉日、実際に行ってきた。
霞ヶ関駅へ。時間的には結構ギリギリだった。指定券の発券は列車発車までと言うことだが、案外列の途中で買えないって人も多いのではなかろうか。
MSEがゆっくりとホームへ入ってきた。窓側の席を選択したが、隣には人が来なかった。そろそろ物珍しさで乗る人は多くなくなってきた頃か。新宿発のホームウェイよりは乗車率が高くないということになる。写真で見ていたよりも、車内は明るい。
小田急は何度も乗ってるので、車窓に気を取られず本でも読めるかと思ったが、見る度につれ変化がだいぶあって面白く、集中は出来なかった。
唐木田駅へ到着。唐木田駅前も、ケーヨー、東急ストア、マクドナルド、ファミマが出来たりしてだいぶ変わったものである。ステンドグラスしか見るものがなかった頃とは様変わりしている。女子大があるせいか、だいぶ客層も華やかに見える。
多摩センターで下車。ちょうどイルミネーションの時期らしく、街が華やかだ。
実は、多摩センターの街を歩いたことがないので、少し散策してみる。多摩センター三越へ入ってみた。……百貨店ぽくなくなくないですか? 入ってすぐが化粧品売り場でないこともあるが、テナントビル化しているありがちな三越というところだった。
パルテノン多摩まで歩いた。
ママと子どもたちが、こぞって写真を撮っている。微笑ましい。キティにあふれた街なのも多摩センターならでは。
帰りは京王相模原線の急行で新宿へ戻る。先頭と後方車両は空いていて快適だ。調布駅と新宿駅の入線で時間がかかった。新宿駅のホームは、準特急に長蛇の列が出来ていたものの、急行橋本行きに列が出来ていないことに驚きを感じた。
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