2006/10/19(Thu.) [長年日記]
■ [ETilog9][Review][Movie] 一番評価できるドラえもん映画は?
私たちの世代にとって、ドラえもんとドラゴンボールはどんな文化圏に属している人でも話が通じる奇跡の共通話題である。その話題になったら種が尽きることがない。非常に便利だ。
そんなわけで、何人かの後輩が「ドラえもん・のび太と鉄人兵団」を「あれはいい」と褒めていたので見てみることにした*1。
じつは、「鉄人兵団」は私が家族に連れられて初めて映画館に見に行ったドラえもん映画である。今の私の周りで「鉄人兵団は映画館に見に行ったんだよ~」って言うと年寄りなのがばれてしまう(ドラえもん愛好者の中ではまだまだ若い=青いってのが確定する)のだが、それはそれとして。
正直、幼稚園に入ったか入る前だったかの私には、「鉄人兵団」は理解出来なかった。だいたい、当時はドラえもんよりオバケのQ太郎のほうが好きだったし、そんなんで同時上映だった「オバケのQ太郎 とびだせ!バケバケ大作戦」のほうが痛くお気に入りになったし、正直、「プロゴルファー猿 スーパーGOLFワールドへの挑戦!!」の方が、猿がミスターXに挑戦状を突きつけられていろんなコースをクリアするってストーリーで解りやすく、こっちのほうが良いと思っていて、鉄人兵団は子供の私には評価が低かった。「今だったら解るかも」 そうおもってじっくり見てみた。しずかとのび太が抱擁するシーンに不毛な嫉妬を抱きつつ。
(ネタバレがあるので「続きを読む」からどうぞ。RSSで読んでいる方は残念ながらネタバレしてしまってます:わら)
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結果。確かに最盛期のドラえもんのテイストが色濃く出ていて楽しめるのだが、自分としては最高傑作にはノミネートしません。
理由:タイムマシンで過去にさかのぼって歴史を変えるというやり方が許せないから。
うーん、あれは禁じ手だよなあ。この作品を評価するひとは、心優しいしずかがリルルの心を開いた、だからリルルが自己犠牲を払ったってところに感動しているようだけども、私は道徳のために仲間を裏切ることをあまり評価できなくて、裏切りの方を重視してしまう。私は仲間との連帯を重視するあまり、悪事に走るタイプだろうか。
むしろ、しずかが褒められるのは、リルルの話すロボット界の歴史とやらに「それでは人間の歴史と一緒ね」と冷徹にツッコミを入れたところだろう。この映画の最大のシーンだと認定する。最大効果を上げるドラえもん史に残るツッコミと称賛したい。
あと、「鏡の中の世界」がなんでロボットとの戦いの場になるのかってのが理解しづらい。「誰もいないところにロボットたちを誘い込んで被害を食い止める」ってのは解るけど、それだったら別に誰もいない原野でもいいんじゃあってなる。鏡の中の世界で、左右が反対だとか、ビルを壊しても無問題だとか、スーパーでどれだけ買っても0円とか、面白い要素もあるんだけど、子供に夢を与えるっていう意味合いでは、違う時代(恐竜・日本誕生など)や、海や山、異世界(宇宙開拓史・宇宙小戦争・アニマル惑星ほか)、人造世界(魔界大冒険・パラレル西遊記・雲の王国)に比べても魅力的ではない。
ただ、私があまり評価できないのは、タイムマシンで過去に行ってロボットを作った神様に話してお願いするのを思いつくのは頭いいのだが、それを一度やったら収拾つかないだろ、他のことも同じことで解決できるだろって不全感が強く残り、自己犠牲を評価できないことが大きいのだと思う。これが、リルルが爆薬を持って、「やめて、そんなことあなたがする必要はないわ」と縋るしずかを振り切って、ロボットたちの集団に特攻かけて自爆テロで解決するって結末だったら素直に涙を流して感動できたかもしれない。
では、おまえはどの作品が好きなのかと言うことになる。客観評価では、(自分は映画館に直接見に行っていないが)「ドラえもん・のび太の魔界大冒険」を挙げる。
ギャグの要素と、「戦い」の妥当な流れと結末はバランスがとれていて評価できる。タイムマシンで元に戻ろうとするのは「鉄人兵団」と同じだが、最終的には元の世界に戻って解決をしている。ドラミちゃんが助けに来るのはどうかという意見はあるが、「パラレル西遊記」と違ってあくまでアシストに過ぎないこともあるし、「歴史の修正」よりは許容できる範囲である。
ただ、個人的一番の作品は、「のび太の雲の王国」だ。
この作品は、最後があまりに主義主張が露骨に出ていてその点は懐疑的に言われているのは私も同意見だ。だから、映画そのものの出来は「鉄人兵団」に劣ると言う意見にも同意できなくはない。だが、この映画を見たとき、私は衝撃を受けた。
地上を全部洗い流して地上人を原始の生活に戻すというノア計画を振りかざす天上人の計画を知ったドラえもんは、熟考の末、天上人が住む世界をなくすることが出来る「雲もどしガス」の王国への戦略配備を決定する。王様であるのび太の反対を押し切って。その上でのび太にはこんなことを言う。
「力には力だ」
あの優しいドラえもんが露骨に恐いことを言うのである。映画版より遅れて最後執筆されたマンガ版での、のび太の反対を聞くときのドラえもんの迷いある表情、「力には力だ」というコマのドラえもんの寂しい表情は、マンガならではの傑作である。
ただ、最後はハンターたちに王国を乗っ取られ、実際に攻撃もなされ、天上人の雲の王国を守るために自己犠牲を払うことになる。力を行使するには責任が必要だということがわかる。あくまでドラえもんは「おどしで使うつもりはないはずだったのが、実際使われてしまったわけだ。生半可な考えで力を持ち出した結果がこれである。代償は大きかったと見える。
ただ、「雲もどしガス」を持ち出さなければ解決はなっただろうか? 地上を全部洗い流して地上人を原始の生活に戻すというノア計画を振りかざす天上人に、話し合いの力だけで武力行使阻止を実現できただろうか。世界を攻撃すると主張する天上人に対し、同等のパワー(世界の土台が無くなるという意味では天上人以上のパワー)を持ったから話は進展したのではないか。クライマックスで話は進むのだが、そちらのほうを想起せざるを得ない。「力には力だ」というのは正しかったのではないか。「力には力だ」ということもあるということを見せた上で、力を持ち出すことは味方にも敵にも責任が生じてくるんだよってことを、リスクがあるんだよってことを、「雲の王国」絶妙なバランスで示しているのである。愛だの友情だの環境保護だのといったありがちなイシューではなく、パワーバランスって何か、交渉ごとって何かを描き出すだなんて、メディアで、しかもフィクションで、そしてなによりもそれをエンタテインメント化するだなんて出来ている作品なんて他にあるだろうか。しかも、あくまでニュートラルな立場でパワーに対する正当性のあり方と、問題点を鮮やかに提示するのである。しかも子供たちに。もう、シャッポを脱ぐしかない。
と、各人に思い入れがあって、それを出していくだけでも時間は過ぎていくのだから、ドラえもんとドラゴンボールはすごいと思う。
*1 えーと、見たのは半年以上前です。見事更新休止期間が来てしまったので今日まで書き損ねてました
何かあればwebmaster@etilog.netまで