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2006/08/08(Tue.) [長年日記]

[ETilog9][Review][TV] パロマのお詫びとお願いCM

ナショナルの石油ファンヒーターのCMが終わってきて、というか、ようやく落ち着いてきたというか、どれだけ見ても大丈夫な体になったと思った矢先、朝からパロマのお詫びCMが……男性の太い低い声でこれまた不気味…暑い夏に寒気を覚えることをしでかしてくれたもんですよ、パロマも*1

ところで、自宅の湯沸かし器がパロマだったわけですが……まあ、該当製品ではないのだけど。

*1 YouTubeに上がっている改造版がまた怖い編集をしている…って、何見てるんだか

[ETilog9][Essay] 生きてる価値のない人間と、どう向き合っていくか

以下は、白石に寄った]帰りの話である。


白石駅から東北本線に乗って、在来線で仙台まで来た。仙台駅の新幹線口の駅員に聞くと、その日は、東北新幹線宇都宮-那須塩原間で男性が自殺したとかで、列車が30分程度遅れているとのことだった。あとで知ったのだが、運転士が男性の遺体のようなものを発見したころに私は東京駅を出ている。そのまま真っ直ぐ帰ってれば事故に巻き込まれることもなかったわけだが、それは出来ないと言うものだろう。今しかこのように東北各地を見てまわることは出来ないのである。今既に定刻どおりなら発車しているはずの遅れているはやて(全席指定)に乗ることは出来るのかと問うと、それはみどりの窓口で聞いてくれという。それでみどりの窓口へと向かったわけであるが、仙台駅3階のみどりの窓口はめちゃ混みである。自動券売機まで長蛇の列が出来ている。私は“回避可能な待ち行列”が嫌いだ。私は、次にやってくるはやてで帰ることをあきらめることにした。他の券売機でも新幹線指定券は買えるはずだ。そう踏んで探してみると、2階の在来線改札口にあるスーパーひたち号用の券売機が、誰も並んでいないくせに新幹線指定券も買えるようになっていた。私はそこで、次の次のはやての指定券を買い求め、ジュンク堂で時間を潰して待った。思えば、最近は鉄道運がない。去年北海道に行ったときは、乗ろうとしていた夜行特急が台風で運休になった。今年に入ってからも、サンライズ瀬戸が2時間以上遅延して特急料金払い戻しになった。厄のパワーか、誰かの呪いか。


その指定券のはやての発車する定刻になったので、新幹線改札へ入り、ホームへと向かった。やはり、はやては来ていない。構内アナウンスによると、現在まだ郡山だという。私は、駅構内のコーヒーショップでラテを求め、さらに時間を潰すことにした。その店も8時になり閉店の時刻になったので、同じく駅構内のニューデイズでNREの厚切り牛タン弁当を買い求めた。有名な牛たん弁当は地元・こばやしが出しているものだが、これは以前、仙台からスーパーひたちで上野まで帰ってきたときに食べたことがあったので、こちらにしてみた。こちらのNREのものも加熱容器を使っていて、ライバル心むき出しである。食べて比較してみるのを楽しみに、遅延のイライラを紛らわしていた。


列車は40分程度遅れてようやくやってきた。郡山と福島にも臨時停車したようで、次の臨時はやて号が10分強の遅れなのに対し、その前を走ってきたようだった。

指定の席は2A席。2番目の窓側だ。目の前の席(1A)席は、制服姿の女子高生が礼儀正しく座っている。新幹線で、制服姿の女子学生を見ることは、稀である。リクライニングもほとんど使わず、ちょこんと座って礼儀正しくしている。そんな女子高生は、新幹線の外でもレアである。駅弁をおくために席の机を取り出そうとすると、仄かに良い匂いがした。私は、少しばかり気をよくしながら、駅弁の加熱容器のひもを思い切りひいた。


新幹線は仙台駅を発車した。車掌のお詫びアナウンスが入る。自分たちの過失でもない人身事故に詫びなければならないのだから、運輸業も大変なことである。車掌氏が忙しく動き回っている。検札ではないようだが…と思って、私はふとあることに気づいた。ここは、2Aの席ではなく、16Aの席であることに。16Aの席は16B・16Cとも空席で、人も乗車していないようだし、このままでもいっかとは一瞬思った。しかし、私はそういったことに融通が利かせられないというか、あとで本来この席だったひとが来た時にわざわざどくのが面倒というのと、まだ検札もなく、検札時に説明するのが面倒というので、席を移ることにした。


本来の指定された席である2Aの席へ移動して、私は言葉を失った。


2A・2B・2Cの席は後ろ向きに回転されており、30代後半から40代と思われる中年の女が足を伸ばして向かいの1Aの席に座っていたのである。2Cの席には、壮年のスーツを着た男性が座っていた。私はもといた席のほうがよっぽど良いと思ったが、先に述べた理由で戻るわけにはいかなかった。「すみませんが」と指定券を見せると、女は少し憮然とした顔で足をおろした。思えば、この席は「座席表から指定する」で自分で選んだ席である。自分の不運を呪った。

私は荷物を棚に乗せて座ったが、不愉快さは頂点に達していた。東北新幹線には20回と乗ってるだろうが、一度たりとも単独行で後ろ向きで乗ったことはない。なんでこの俺様が後ろ向きに揺られて高速運転される新幹線に乗らなければならないのだ? いや、例えば始発駅から座るときに、自分の席を含むところに幼い子どもを含む家族連れがやってきて、「すみません、席を回転させてよろしいですか」っていうのなら、わかる。私は、喜んで家族に協力しただろう。だが、この席はブサイクな中年女の快適のために回転されていた! ……いや、この手の回転する座席で、席を回転させて足を伸ばすと楽なのは分かりますよ。はっきり言ってグリーン車よりも快適になりますよ。私だって車内が空いてる時にやったことはありますよ。とは言え、私は指定席車両でコレをやったことは、ない。いつ、その席に座る人が乗ってくるか分からないからだ。しかも、今日は事故の遅延のせいもあってか、いつもの仙台-盛岡間よりは混んでいるのである。

私は、席をもとに戻して頂けませんかと言おうかと思ったが、言えなかった。1A席の女性からは対角線上に座っている2C席の男性と、この傲慢な女は連れ(カップル)なのかな?と一瞬思ったからである。でも、しばらく座って見ていてみて、会話は一切ないし、そうでもないことが分かってきた。それに加えて、3人掛け席というのは、意外と回転させるのに苦労する。回転する前後の席でリクライニングされていない状況でなければならない。3A~3Cの席はリクライニングされていて、回転して元に戻すのは難しい状況に思えた。私は席をもとに戻すことを諦めた。


私は足が長い。ごくごくたまに、「足が長いですね」と言われることはあるが、それ以外に役立った試しはない(それもちょっと感嘆されるだけで、それだけのことである)。1A席と2A席で向かい合って座ると言うことは、物理的に不可能であった。だいたい、その醜い女の顔を見るのも嫌だった。その女と膝と膝が交わると考えただけでも鳥肌がたった。私は、真ん中の席との肘掛を倒して、2A席と2B席の真ん中に座るようにした。これなら、検札でもとくに言われることもあるまい。

と、私はここで、既に十分加熱されたと思われる牛タン弁当の存在を思い出した。駅弁をあけるとにおいがするものである。この女の前では飯も食いたくなかった。だが、ここで食べないと乗り継ぎ列車の接続の関係もあって、食べるのは自宅に着いてからになってしまう。冷めてから食べる牛タン弁当ほど虚しいものはあるまい。かと言って、捨てるにはもったいない。私は、この向き合った席で食べることを決意した。牛タン弁当のふたをあけると、あたたかい蒸気が広がったが、何の感慨もなかった。とろろをかける作業すら躊躇われた。この席で食べるものは、どんな飯でも不味くなるのは、当然の結末であった。厚切り牛タン弁当は何の味もしなかったが、NREにはなんらの罪もないというものである。本来なら、牛タンらしからぬ厚い肉と、麦飯ととろろのハーモニーを味わうことが出来たはずなのに。こばやしの牛タン弁当とのコントラストを楽しむことが出来たはずなのに。私の怒りは頂点に達した。

その女は、大きいボストンバックに、巨人のユニフォームを着たハローキティのマスコットキーホルダーを下げていた。笑止千万である。その歳でキティちゃんかよ。しかも巨人のユニフォーム(笑) 巨人ファンが嫌われるのも当然ではないか。1Cの席の後ろには、弦楽器のケースが置いてあった。音楽やる奴にはロクな奴はいねえんだろうなあ。その女は目を閉じていて寝ているようだったが、メールが来たのか、ピンク色の携帯電話をいじり始めた。メールを開いたと思われる瞬間、前歯2本を出して笑いやがった。きんもーっ☆ その女は一心不乱に返信を親指で打っている。ウザい。醜い。見ているだけで気持ちが悪い。さっさと失せろこのババァ!!

私は、同じく逆向きに座っている通路側の中年男性も怨んだ。まさか大宮以南から逆向きに座っていることもあるまい。なぜ平然としているのか。仙台から乗ったのか。だとすれば、なぜ来て席を元に戻してくれなかったのか。この女が座っていたからか。この女の傲慢をなぜ許容するのか。思考回路は再び、呪いの矛先を女へと向けた。


水沢江刺、北上、新花巻と、一駅一駅通過することも長く思われた。ようやく盛岡到着のアナウンスが入り、私のこころは少し安らいだ。その女は降りる気配もなかった。青森の女か。私の中の青森県の良いイメージがガラガラと崩れていくのを感じた。いや、今の時間なら函館までまだ列車があるか*1。どちらにせよ、私にゆかりのある青森県や北海道の人かと思うだけでもショックを禁じえなかった。1C席の後ろの弦楽器のケースを、若い男性客が持っていった。その楽器は女性のものではなかったようだ。そそくさと私もその彼の後についており、ドアが開くのを待った。ようやく列車が盛岡駅で停車しようとするとき、その女性はボストンバックを持って立ったではないか!


この女は盛岡の人だったのか!


私は、途端にへなへなと力が抜けていくのを感じた。こんな奴が盛岡にいただなんて……私が岩手で過ごした5年間はいったいなんだったのだろう。こんな奴がいる盛岡で私は、このまだ若い多感な時期を過ごしたと言うのか。私は、自分の人生が墨で黒々ととどめなく塗られていくのを感じた。……いや、待てよ。もちろんではあるが、この先東北本線で南へ行くかも知れず、IGRいわて銀河鉄道で北へ行くかもしれない。ただ、新幹線で北上やいわて沼宮内には行ける以上、盛岡から近い都市の人だということになる。どちらにせよ、岩手の人である可能性が高い。106急行で宮古へ行くかもしれない。いや、盛岡から高速バスで弘前や久慈に行くかもしれない。。。


私は、駅のゴミ箱にペットボトルを捨て、その女の後を追うことにした。駅で向かう方向で推測をつけることは出来ると思った。だが、私はここであることに気づいた。自分が座っていた席の棚に、駅弁の残骸を残してきたことを。新幹線にゴミを捨てて降りることは、自らを行い正しい清い人間だと信じている、あるいはそのようにあるべきだという信念を持つ私にとって我慢がならないことだった。こまち号は発車の時間だったが、私はもといた席へ戻り、相変わらず2Cの席に座っている男性に足をよけてもらってゴミを回収し、駅のゴミ箱に捨てた。


例の女は、もう見えなくなっていた。彼女がどこへ向かったのか、それを知ることは困難となっていた。私が愛した、この美しい岩手にあのようなきたない人間がいて良いはずがない!! そうだ! こいつは東京から岩手に遊びに来た奴なんだ!! そうに違いない!


……と、ここまで憎悪が蠢いたところで、私はふと思った。この女性も、仙台駅から乗ってきて、自分の席に着いたときには、この席は回転されたままの状態だったのではないか。そのままの状態で座り、しばらくして向かいの席に誰も来ないようだったので足を伸ばして座っていたのではないか。これなら、分からなくもない。自分だって同じ状況下なら同じことをやっていたのかもしれない……いや、自分なら席に誰もいなければ戻していただろうし、指定席だから足を伸ばしてなんかいなかったはずだ。しかし、私が席にやってきたのは仙台駅を発車してから10分程度は経っていたのである。目の前の席に人は来ないと思うのが人の情であった。2C席の男性も、仙台から乗ったときに、既に前後に人が座っていて戻すことが適わなかったのかもしれない。思えば、先日、福島に寄った後に仙台から乗ったときには、席に缶ジュースがおいたままになっていた。私は非常に不愉快に思った。いつもなら自分が出したわけではないゴミは絶対にそのまま残すのであるが、私は少し優しい気持ちになることが出来るようになっていたので、ついでに自分がゴミを放置したと思われたくなかったので、盛岡駅で代わりに捨てておいた。新幹線に乗ると、ゴミを置いたまま下車する人が本当に多い。終着駅でなら分からんでもないが、結局は車内清掃時にかかるコストは、きちんと駅のゴミ箱に捨てられる時よりも高くなり*2、それは自らに跳ね返ってくるものでもある*3。全く理解できないのは、終着駅でもないのにゴミを置いていく奴が多いことである。その席に、降りた駅から客が乗ってくるというイメージが出来ないのだろうか。自分がもし、そのような席の指定券をもっていてやってきたら嫌だなと思わないのだろうか*4。私はここで、下りの新幹線で仙台で降りる奴は、ゴミを散らかし、席も元に戻していかない、民度の低い奴らだという仮説に至った。そのように書くと、宮城の人は怒るかもしれないが、なんてことはない。仙台で降りるのは、宮城の人だけでなく、山形へ仙山線で向かう人もいるだろうし、仙台から各駅停車タイプのやまびこに乗るであろう、花巻以南の岩手の人も大勢いるのである。自らの住む県の人間がそのような行為をしている可能性を想起したとき、私はとたんにげんなりしてしまう。そもそも、同じような奴らは名古屋でも大阪でも、恐ろしいことに盛岡でもいないってことはないのであった。あくまで、自分が被害にあうことが多いからこそ、そのようなことを思うに至ることができるようになるのであった。どちらにせよ、結局は回転されていた席の真実を知ることは出来ないのであった。


私に言わせれば、回転させた席を元に戻して降りない奴も、途中なのにゴミを席に置いたまま降りる奴も、生きている価値はない。そいつが生きていることによって、マイナスのコストが社会にもたらされている。社会にとって有害な連中である。早期に除去されなければならないはずである。なのに、彼らは害を被る人を押しのけて平然と生き続けるわけである。彼らに対して与えられるべきものは、憐れみか赦しか。それは私には分からない。まさに、創造主のみぞ知る、といったところだろう。


ところが、それに似た罪は、自分でも気づかないうちに私も犯しているのかもしれないのであった。そのように自省すると、私は途端に生きていることが苦しくなる。そのようなおそれが自分にもあるくせに、このような邪念・怨念・呪詛を自らがたぎらせることに対し、非常に恐怖を感じるのである。この自らに渦巻く憎悪が、他人の中で自分に対して向けられていると思うだけでも狂いそうである。自分もまた、そのような憎しみを買っているのかもしれないのである。

さらに、足を伸ばして座っていた例の彼女は、たまたま席が回転されている席の目の前に座っていた可能性も高いのである。わざわざ席を回転させて己一人の快適を貪っていたわけでもなさそうなのである。そのように考えると、無罪「かもしれない」咎に憎悪をかきたてていた自分が、少しおかしく感じられてきた。

とは言え、私は自分が間違っているとは思いたくなかった。私は絶対の被害者なんだ。そいつのために人生で最も不愉快な新幹線乗車を経験する羽目になったんだ。そう叫びたかった。だが、私は冤罪をひどく、激しく、何よりも憎む人間である。その私が冤罪で人を憎んでいるのかもしれなかった。だいたい、その人がホームへの帰着なのか、あくまでビジターなのか分からない以上、その土地と関連付けてレッテル張りをするのは、その土地の人々にとって冤罪になる可能性が高いのである。そう言えば、彼女のものでもない弦楽器を彼女のものと誤認して、「音楽やる奴にはロクな奴はいねえんだろう」とか考えていた。これは間違いなく冤罪ではないのか。

罪なき人間に罪を断罪し、激しく憎む……私もまた非常に醜い人間だということになるのであった……


人間はどこまで赦しあうことが出来るのか。最後まで生き通しても分かる自信は、今はない。最後まで分からないかもしれないし、分からないでも赦したり、赦さないままでいたりしなければならないのかもしれない。そのことについて、真理というものがあるような気はしない。


盛岡駅から、ワンマン運転の在来線に乗る。列車はすごい混雑で座れなかった。立ったまま、私はまだ不愉快な気持ちでいた。駅に停まろうとするとき、アナウンスがあった。「本日は列車、大変混みあっております。車内の移動は困難と考えられますので、すべてのドアを開放する許可を頂きました。切符は降りた駅改札の切符入れにお入れください」 運転士氏は自分の上司に許可を頂いたのだろうが、客に対してそのように上司への敬意を表す敬語を使うのはおかしい。だが、そんな細かいことはどうでも良かった。その電車で、そういった配慮がなされることがこれまでになかったから。やれば出来るじゃないか。殺伐としていた私の心が、少しばかり和んだ。


駅を降りて、コンビニに寄った。前に入ったきれいな女性が、私が入るまでドアを開けていてくれた。誰かに優しくされたら、それだけで生きていける。私はようやく、楽しかった今回の旅のことを思い出すことができた。

*1 調べたら、そのはやては青森まで行くつがるに接続する最後の新幹線だった。接続待ちをそのつがる号がしたのかは知る由もない。白鳥号は既に終わっていたが、そのつがる号はあおもりではまなす号に接続する。従って、新幹線で私が考えた類推としては間違いではないが、断定出来ないことには変わりはない。以上追記

*2 清掃員がわざわざ席に入って屈んで処理するのと、客が通りがけにゴミ箱に捨てるのでは、どれだけの運動エネルギーの差があるだろう

*3 このときはまだ、東北新幹線の車内ゴミ箱の使用が解禁されてなかったのだが、既に車内のゴミ箱が使えるようになっている東海道・山陽新幹線でも同じコトをする奴を見かけた

*4 [[新横浜から乗ったときも愉快ならざる思いをしている|20060731#p01]]。そんなんで私は途中駅から特急に乗るのが嫌いなのである

[ETilog9][Computer][Mac] さよなら、Power Mac。こんちはMac Pro

Apple公式にも来たな。

Xeonか…いや、十分速くて安いってのは分かるんだけど、なんか実感わかないなあ。Power Mac G5 Quadの最大2倍なら、ユニバーサルバイナリでないアプリはつらいよな、まだ。iMacとMacBook Proのときの4倍5倍の衝撃には敵わない。……まあ、それでPowerMac G5の4倍とかのスピードだったら、責任問題か。って、XeonはXeonでもCore 2 DuoアーキテクチャのWoodcrestなんだな。なんでインテルはXeonって名前残したんだろう。というか、最近このあたり不勉強だなあ。あ、Xserveも出てる。

Leopardの目新しいのはTimeMachine。これでファイル操作ミスを気軽に戻せるかも? でも、GUIでしか使ってなかったらごみ箱送りになってるだろうから、実際はどうかは不明。まあ、OSXの更新はひとつおきって決めていたので、あまり突拍子もないアップグレードだと凹んでました、きっと。

(追記)オンラインのApple Storeを見る限りでは、PowerMac G5の併売はないみたいだけど、どうなんだろう。随分ラディカルだなあ。OS9起動できるPower Macintosh G4も随分ながく置いてたのにね。

[ETilog9][時事ネタ] 台風でまた列車が運休する

東京―大垣(岐阜県)間を結ぶ特急「ムーンライトながら号」や

[Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <台風7号>特急運休など交通機関に乱れより引用]

ムーンライトながらっていつから特急に格上げされたんだ?>毎日新聞


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