2006/01/10(Tue.) バモイというアレンジには愛がある。 [長年日記]
■ [時事ネタ] 盛岡市30万都市へ
いよいよ今日の岩手日報の記事から「盛岡市玉山区藪川」へ。岩洞湖も姫神山も盛岡市。
IBCニュースエコー*1では、渋民小学校の子たちにインタビューをしていてこれが面白かった。「村の方がいい」「都会になった気分がして嬉しい」「啄木を盛岡に取られた感じがして悔しい」「啄木も賢治と一緒になって嬉しいと思う」 このバラエティに富んだ回答を見ていて一気に渋民小が好きになった。
IATスーパーJチャンネルでは盛岡市民(旧来の盛岡市地域の住民*2の合併に関する感想も報じていた。「合併のメリットが分からない」——以前も書いた通り、「30万都市」というステイタスそのものは対外的に大変重要である。中核市という制度もさることながら(これは実際に手間が増えるだけで大変になると言う説も根強い。政令指定都市ほどのメリットではないが)、県都の人口が20万人台か30万人台かというのはその県全体のイメージに関わる問題である。盛岡市民なら玉山村民に足を向けて寝てはいけない…ってそれやると北枕になっちゃうけど。「盛岡市はいつまでも田舎であってほしい、マンションとか建って年々都会っぽくなってるでしょ」みたいな話も出ていた。盛岡市には青山町や松園、旧都南村などの「サテライト」も多いが、盛岡市街中心部はいい意味で変わっていないと思う。30万都市ステイタスを獲得しながら盛岡らしさを保つためには、仙台市が取ったように周りを吸い込んでいくか、少し離れたところを宅地化するかしかない。幸い、盛岡には盛岡西口というYet another 盛岡タウンを作っても問題なさそうなところもある。
以前「盛岡市渋民」がいいという記事を紹介したこともあったが、やはり玉山村という名前がなくなるのが寂しいというのが伝わってくる報道だった。渋民小だって、大昔は「渋民村」でなくなるのが寂しいという子たちだっていたはずなのに、今は山間部だった地名由来の「玉山村」でなくなることを惜しむ子たちがいる。たとえ八幡平市になろうと奥州市になろうと南セントレア市になろうとカシオペア市になろうと、一度決まってしまえば数年後にはその市名をアイデンティティにもつ子たちが必ず育つのだ。明治の大合併、昭和の大合併以前の人々から見れば今の私たちの市町村アイデンティティを見て寂しさを思い起こす人たちだっているに違いない。これが、市町村のアイデンティティに不可思議さであり、面白さであろう(いずれこのテーマで1本書くのもいいかもしれない)。
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