2005/11/04(Fri.) バカヤロー、バカヤロー、北上のバカヤロー [長年日記]
■ [最近] 女の子と○○したい。
最近、女の子とじゃんけんがしたい気がしてならない。というか、男の子にとって女の子とじゃんけんする機会は早々多くないのではないか? 幼稚園のときはともかく、小学校ともなると遊ぶのは男の子同士、女の子同士になりがちだし。意外と中学・高校ではそうではないのかもしれないが*1、男子校だったわけで。。。
女の子とサシでじゃんけんなり果ては腕相撲(男子校時代は女子より弱いと言われ続けていたけどそうでもないと分かった)なりってのは、大学に入ってからな気がするなあ。結局所帯をもったとしても、じゃんけんなんて子供や孫とする機会はあっても、配偶者の人とする機会なんてきっとないと思うけどどんなもんだろう?
*1 私は高校2年生のとき、「教室の掃除で最後にごみを捨てに行くじゃんけん」で6週連続負け続けたと言う記録をもっている。7人はいたはずなんだがな。5週目なんぞは一発で俺一人負け。すごすぎる。
■ [Review][Book] なぜ若い男性が、自分で自分のことを決められなくなっているのか
某I先生とさわや書店でお会いした日、関満博が「現場主義の人材育成法」(筑摩新書)を出しているのを見て即買いしてしまった*1。
ETilog2でも紹介した前著「現場主義の知的生産法」より本人の専門色が増し、全編にわたってというわけではないのだが、ところどころに現れる仮説は非常に示唆に富んでいる。
そのうちのひとつが、「なぜ若い男性が、自分で自分のことを決められなくなっているのか」ということだ。
話は、中国で活躍されている若手起業家が「最近の日本の若者は元気がない、先生のゼミ生を1ヶ月くらい預かりたい。今の上海を見せてやりたい」というところから始まる。関氏が早速、ゼミ生に行きたい人間はいないかと問うと、まず手が挙がるのは女子学生。だが、このプログラムは“頼りない”男子学生がターゲット。そこで「君は行かないのかね」と男子学生に聞くと、こう返事が返ってきたのだと言う。「お母さんに聞かないと分かりません」
ここまで読んで、私はぎゃふんとしてしまった。結局、年明けのゼミで男子学生4人が手を上げ、女子学生2人を交えたじゃんけんの結果男子学生二人が上海へ行くことになるのだが(ついでに、最近のゼミ生には「男気ある」男子学生が増えたとも書かれている)、分析に極めて頷ける面があったので紹介しておく。
それは、「豊かになったこと」「どこの家庭も、長男長女の子供二人であること」という連立方程式で証明できると言う。結局子育ては母親一人でやっているのだが、その母親の頭は古く、良い幼稚園に入って小学校に入って〜良い大学に入って良い企業に入れば成功、と思っているのだそうだ。それはいいとして決定的なのは、「男の子に自分で判断させるとロクなことにならない」と思っていることらしい。だから二十歳を過ぎても自己決定できない男の子が増えているらしい。翻って女の子は「優しく育ってくれれば」などとしか考えていないため(生まれた瞬間に母親に見捨てられる)、局面ごとに自分で判断していくため判断力が備わるらしい。
私が中学受験時代に接した、とある年の3月3日の朝日新聞・天声人語ではまったく逆に書いてあった。赤ん坊が泣いていると、女の子だと「どうして泣くの?」とすぐに構ってもらえるが、男の子は「いつまで泣いているの?」と放っておかれると言う話だ。だから、女の子はシンデレラにせよ白雪姫にせよ「待ち」になるとして、アリーテ姫が紹介されていたものだが……
だが、母親が頭が古く自己決定をさせないというのはひどく頷ける面がある。私の母親がそうだったからである。私の母は自分が中卒どまりで苦労したこともあるせいか、上に書いたコースを私に歩ませようとした。中学に入れるところまでは成功したが、母はそこで失敗した(笑) 私は、首都圏の大学に残って欲しいと言う母の意見を無視して岩手に来たわけだが、これはその局面において本当に正しい判断だったと思っている*2。小学生のときに通っていたスイミングスクールで、私が母のいったとおりにしたらテストに通ったという経験があるせいか、結構「お母さんの言うとおりにしていれば必ず良くなるのよ」という趣旨の発言をしていたと思う。まあ、残念ながら中学以上の私の経験は、母の知る経験を超えていたのでアドバイスしようがないことが増えていたのは決定的な事実だったわけなんだが、母はそう思わなかったらしい。私の場合、小学校のときに一人っ子だったこともあって「冬彦さん」と女子からいじめられ、早期に母親とは歩きたくもない、となってしまったことで母離れが出来た事情がある。だけども、中学・高校時代の同級生を見ていると、機会がなければその層の男の子は親、とくに母親に従順な印象を受ける。関氏の考える対処法については是非本を読んでほしいが、私も対処は教育機関でトリガーを引くところまではやらないと解決しないと思っている。
この本において上の内容はほんの一部である。岩手の北上・花巻・宮古の話(本日のタイトルの元ネタはここからひいておる)、北海道の今、西日本はどうなのかと、きわめて濃い一冊だった。
■ [時事ネタ] 親を薬物で衰退させる猟奇女子高生もブログを書く時代
昨日のワイド!スクランブルで、母親をタリウムで殺そうとしていた女子高生が、母親が衰退するさまを日記をブログにつづっていたことについて、北野大氏が「日記なんて公開するもんじゃないでしょ」と、473万人ブロガーを失笑させる不勉強なコメントをしてたので記念カキコ。
ブログ以前のWeb日記文化や、政治家が書き記し死後に文献として役立つ日記の例をひくのもいいのだが、それ以前に清少納言の立場なしって気もするけど、どうだろう?*1
*1 Web上で公開される日記と個人で日記帳につづる日記では書く内容は違う。それは当然だと思います。
■ [Diary] 明らかに歳をとったと感じた今年の夏
平日13時からの「愛の劇場」でやっていた/いる「天までとどけ」や「新・天までとどけ」のような作品は、子供の成長を長いスパンで描いていて、子役もそのまま起用されるので、自分が歳をとるにつれ、子供たちも歳をとっていくので作中の子供たちの成長とともに自分の加齢も感じずにはいられませんな。
上の二つと同じように「大好き!五つ子」もあるけど、今年の「大好き!五つ子Go!!」を見たら、シリーズ最初のときにまだ小学校に上がったばかりだった子達が高校生になっているではないか! これにはもぅ、ショックを感じてしまったね。
……あとで、子役たちを一新して、小学校時代が終わったところで中学時代をすっ飛ばし高校時代を描いていたと知る。もぅ、焦らすなよ…
■ [Computer][Web] FirefoxでIEのお気に入りを使う
Firefoxはライブブックマーク専用ブラウザになっているので、なかなかに普通のページをブックマークする/ブックマークを使うのに不便、というかブックマークの同期にIEと同じものを抱えていると時間がかかるというときに、窓の杜で紹介されていた。
「Firefox」のメニューに直接IEのお気に入りを表示する「PlainOldFavorites」::窓の杜
普通に便利だが、気づいたのはIEで見るページとFirefoxで見るページって別なんだな俺ってこと。IEのお気に入りのほうはすべてをタブで開くってのが出来ないようなので、すべてをタブで開きたいページはFirefoxのブックマークに入れることにした。
ついでに、IEでいじったお気に入りの順番までは反映されない。これはIEというかマイクロソフトのプロダクトの構造上の問題なんだろうなあ。
■ [大学] 拘束
多くの理工系大学では「研究室にいなければならない時間」があるようだが、うちの大学では設定されていない研究室のほうが多い。無論、遊んでいていいということでなく、好きな場所、落ち着く場所、はかどる場所で研究すべきだと俺は解釈している。
もちろん、一定以上研究室に居ないと今日みたいに迷惑をかけやすいので、連続して大学に来ないことはないように心がけていはいるが(俺は比較的、連続していないことが多い)。いないときも、すぐに連絡がつけられるように、研究室以外にいるときはメッセかケータイで連絡がつくようにはしているつもりだが…
何かあればwebmaster@etilog.netまで