2006/12/17(Sun.) 恋とは憎しみだろうか [長年日記]
■ [Essay] 悩み。
私はいいキャラしている、真似できない面白さ、楽しさを持っているとしばしばお褒めに与ります。それはそれでうれしいのですが、結局は笑わせているのでなく笑われているんですよね。それでも笑顔がこぼれるコミュニティになればいいかなって気もしなくはないのですが、このままでいいのだろうかって思いは常にあったりします。そう考えて少しばかりおとなしくしてると「最近越後さん纏まろうとしてませんか?ダメですよそんなんじゃあ」ってお叱りを受けるんですが。
このキャラで後輩になめられてしまっているの ではないか、自分の違う部分が伝わっていないのではないかって心配もあるのですが、それは稿を改めて。
私は今、100人いれば90人にいいなと思ってもらえるポジションにいると思ってます。そういってもらえるために努力した結果が、今のこのキャラだと思ってます。…努力といっても、狙ってやると出来るものでもないので、自然に形成されてきたものではあるので努力とはいわないのかもしれません。でも、好きだ、ファンだと言って楽しんでもらって私はそれで終わりです。私のキャラは嗜好品に過ぎないのです。私はサーカスであってパンではないのです。私がいなければ生きていけないという状況を生成しえないのです。私はあくまでサプリメントであり、平素の食事(私抜きのコミュニケーション)で人は皆足りるのです。
そう考えたとき、私をいじる皆の言葉をどこかでまともに受けてしまって傷ついている自分を発見したりして、困惑するのです。そう、いじられて皆を楽しませてってのはよいのですが、その言葉に負けない担保が今の私にないのです。…正直に言うと、2004年まではそういういじられる私のキャラとは別に、率直に私のことを慕ってくれる、尊敬してくれている人たちが一定数いました。ところが、2006年現在の私には、私をいっさいいじることのない、リスペクトだけを発してくれる私の心の支えとなるべき人たちが全くいないのです。それが私の劣化に依拠するのか、たまたまのことなのかはいっさい不明です。最近、2年生の後輩にまで「どうせ…」とか言って「そんなことないですよ」と言わせて、私のキャラにあるまじきタオルをいれてもらっているのもそんなあたりにあります。
私がこのキャラクター、人柄でいる限り、私を必要だ、私がいなければ生きていけないといってくれる人は金輪際現れないような気がしています*1。私がいなくなって寂しいな、違和感があると思われることはあるかもしれませんが、それは時期に慣れてしまう寂しさでしかないのです。
……こんだけ周りを泣かせるまでわらかしといて笑かしといてまだ不満なのかと呆れている方もいるかもしれません。不満です、私は。結局、私の自分に求めるラインが高すぎることが、悩みすぎる原因なのかもしれませんね*2。
何かあればwebmaster@etilog.netまで