2005/01/09(Sun.) ブランケット・ステッチ [長年日記]
■ [Essay] 家庭科少年としての私
ブランケット・ステッチは私が得意だった縫い方である.ある雑誌で取り上げていたフェルトで作られたペンケースに魅せられた私は,母に習ってブランケットステッチで縫ったペンケースを小5の時に使い始めた.
だが,そんな私に試練が襲い掛かる.その時,糸玉を作ることができず,全部母にやってもらっていたのだ.授業の時,女子はみんなで出来て,男子もだいたい皆が出来たのに,私と友達のO君だけが出来ず,私は少しべそをかいたと思う.この時ばかりはいつも手厳しい隣の席の女の子も見かねてアドバイスしてくれたと思う.
私は悔しさを胸に,母に特訓を受けた.おかげで,次の授業のボタン付けの時はいち早く全部の取り付け方を男子では達成したと思う.
調理実習の時は,赤いエプロンをつけていた.母はエプロンをつけて料理をしないので,その母が使わなくなったエプロンを奪ってきたのである.もう身長的にはちょうどぴったりだった.男の子はみんな新たに購入した青だの深緑だのグレーだのエプロンをつけていて,さすがに赤いエプロンをつけている男子は私だけだったと思う.どうも,料理をしたり,裁縫をしたりといったとき,私は女の子っぽく気持ちがなっていると思う.ジェンダーを意識しまくっているわけで,フェミニストのお方には叱責されるに間違いない.「3年の学習」の料理連載でいくつか実際に料理していたので,まあ手付きがよいほうだったと思う.目玉焼きの時は失敗してしまったけど,クレープを作るのがめちゃくちゃウマくて,みんなに目を丸くされた.
そんな家庭科の授業も,中学では一切なかった.「技術・家庭」はあったが,木工とコンピュータ*1だけだった.
しかし,男子校といえども必修となった「家庭科」,高校では1年の時に週1でありましたよ.なぜか,「生物・地学第2実験室」で調理実習をしていた.隣の準備室では,解剖用のマウスや牛の目玉を扱っていたと思う.そこでもイニチアシブを握っていた.3大栄養素もすぐ出来てきて,家庭科の時間は劣等生ではなかった.おそろしいことに,中学・高校の6年間で,5段階評価に換算して「5」がつくのは家庭科だけだったと思う.
いま思うに,そういうお勉強的な家庭科ではずば抜けていたが,今の私はまったく家事を遂行していない気がする.さすがに洗濯も掃除もしないと生きていけないが,そんなに料理のレパートリーは多くないし,疲れて帰ってからいちいち1時間程度料理をしようという気にはとってもならない.やっていなければ忘れるのも当然で,レシピがなければ料理もやりようがない.最近焦がすことが多くなった気がする.スーツのボタンが取れかかっていても,なかなか直そうともしなかったし,どうも,モチベーションが低下しているように思う.
昔は思いつきでお菓子作りをやることもあったが,今はとてもとても.結論として,家庭科的なるものはひとりでやるものではないなという気がする*2.
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