2019/03/31(Sun.) えがおのわ! [長年日記]
■ [ETilog] 震災前の三陸地域で撮影した写真の公開
東日本大震災から8年。JR山田線が三鉄に移管され復旧したり、三陸沿岸も復興は進んでいるとは思う。
私は大学時代を岩手で過ごした。
であるにも関わらず、2011年は仕事で「東京にいて震災被災状況をレポートする」という仕事に従事しており、震災直後にボランティアに行ったり等が出来なかった。岩手にいる人たちにせよ、災害ボランティアの(多くの)人たち*1にせよ、任せておけば信に足る人たちであることはこれまでの経験で分かっていた。物見遊山に被災地に行くのも違う気がして、実際に三陸へ行くのは2018年のことになってしまった。 それは自分なりの決断なので良いとして、一つ気になっていたことがあった。
若い時代を岩手で過ごしたこともあり、また社会人になってからも旅行へ行くのを好んでいたこともあり、被災地となった三陸沿いの写真をそれなりに撮っていた。災害発生直後には、Yahoo!やGoogleでそれらの写真を公開、アーカイブするプロジェクトがいくつか走っていたかと思う。だが、2011年はこのETIlogの月次更新が止まるくらいに仕事の多忙+プライベートの破壊の事項があって、そういったことへの対応が出来なかった。そうこうしているうちにそれらプロジェクトは終了し、写真は公開することなく推移した。
被災直後のあの世情からすると、無くなった風景を見たいというリクエストが多かったし、故人の悲しみを忘れるには早く、そういった写真を集めるプロジェクトにおいても肖像権等も気にされない感じがあったかと思う。だが、もはや公開するには気を遣う事項が多く、それらをケアして公開するには工数は多かった。
最近になってようやく、やはり記録として残っている過去の風景は誰の役に立つか分からないのだから、公開をしておくべきだというように思いが至った。無くなった風景を見てせっかく忘れていたのにと傷つく人がいるかもしれない。もしかしたら故人が映り込んでいることがあるかもしれない。だが、それらの批判は覚悟の上で公開するものとする。それらの批判を受けいれてでも、公開した方が良いかなと思うに至ったので公開する。(はてなフォトライフへの公開とした)
過去エントリ分には「完全版」として追加した写真を挿入していく。
- 対象となる過去エントリ
それらとは別に、相馬・石巻・女川を旅行しており写真が多少あるので併せて公開する次第である(時期を見て旅行記で補足を入れる…かもしれない)。車のナンバー等はぼかしを入れている。肖像権を考慮し、人物にはぼかしを入れているが、風景を判別出来ないことがない範囲としたため、衣服で判別出来てしまうことはあるかもしれない。はてなブログではてなフォトライフの容量があったので、オリジナルサイズの公開も行っている。
なお、当該フォルダへアップロードした写真についてはクリエイティブ・コモンズ・ライセンスの「表示」(原著作者の氏名を表示すれば、誰でも自由に使用できる。改変、頒布することもできる。また、営利目的でも使用できる)という、はてなフォトライフで設定出来るものでは一番緩い設定で公開をすることにした。
三陸の諸問題はまだまだこれからで、外野の謂われ無き意見には逐一反論していく面倒な作業もある。記録を遺すということは見たい見たくないの問題はあろうが、やっておくべきなのだと思い至ったので、ETIlog移転作業の一部として行った。
*1 このときは例外的に詐欺的儲けに走った連中は残念ながらいた。永遠に歴史へ名を遺す所存
何かあればwebmaster@etilog.netまで