2007/03/31(Sat.) 再生未だ成らず この日を編集
■ [Essay] 再生未だ成らず
はっきり言うが、岩手での6年間を一言で形容すると「挫折」なんじゃないかと思う。2000年時点の私の基準では、自殺に値するくらい6年間での自己評価は低い。
そんなこと言ったって、仕事もやって、レポートも自分でやって、委員会活動では多くのことを成し遂げて、研究でも賞を取ったりしていたではないかって思われるかもしれない。確かにある程度の成果は出せたかもしれないが、私にとっては「不十分」だ。
岩手に来たときは、ちょうど日本に来たときのジーコのような気分で、「俺がこの大学を引っ張っていくんだ」って位に思っていた。だけど、このエリアにはこのエリアなりに専門スキルを持った出来る人がいるんだってことをまざまざと見せつけられた。私にとっての本拠である、人文科学・社会科学分野でも、周りの人間にずいぶんと追いつかれて優位性が見いだせなくなっていた。現役で大学に行った連中曰く、「お前のようなタイプは大学にもいない」と言われた私が、東京の人間ってこんな感じなんだぜって岩手で示すことによって、岩手県民の大学に多様性を出して大学っぽくしようと志していたが、その目標は果たせたかどうか。
とくに最後の1年間はひどかった。自分は何が出来るんだろう、とレゾンデートルがぐらぐらだった。
高校時代、議論をしている大人たちが馬鹿に見えて仕方なかった。だが、今では一見馬鹿な議論を繰り広げている連中でも、それなりに勉強している事実を想像して愕然とするのである。自分はまだまだ勉強不足だと。
いや、自分に力がないと分かったときは、ふつーに結婚して、子どもを育てて後進に託そうと思っていた。でも、それすら出来そうもない現実に滅入っているのである。
岩手に来る前の私はずたずただった。岩手に来ることで環境を変え、だいぶ癒されはしたが、次の課題が見当たってしまった。まだまだだけど、もう成長は出来ないかもしれない。諦めるのではなく、出来る力で精いっぱいこなすことで上向きの状況を作り出せればとくらいに、今は思っている。
……自虐的で、自己評価が低くてどうなのよって話もあるが、これで今までやってきた以上、急激なポジティブ転換はできないって。それは出来たとしても「躁」っていって、やばいんじゃない?(笑)
岩手はいい思い出だけではない。岩手を離れるときに脳裏に浮かんだのは辛い過去だ。だけど、その辛い過去をも認めてくれる風土こそが、岩手の魅力なのだと思う。
ありがとう。そして、さよなら、いわて。
2009/03/31(Tue.) Lui-Lui この日を編集
■ [最近] 電話やメールが億劫に
プライベートで電話しなければならない、連絡を取らなければならない人がいます。
でも、平日は帰宅して9時も過ぎるとその気が一切失せてしまうのですよ。おかげで1ヶ月くらい放置している。かくて疎遠になりぬ。
問題は、日中、社内の内線やらメールも億劫ということだ。
■ [Review][TV] 大河ドラマ・天地人
すっかり書き忘れていた。
毎週見てます。まあ、最後に残ったテレビ視聴の習慣がNHK大河ドラマ(と朝の番組)だったと。
まあ、直江兼継主人公の「天地人」に決まったときは、いよいよNHK大河もネタ切れかと思ったものの、視聴率はだいぶ良いようで。
見所は、主人公の主君の妹が家督争いで死ぬ羽目になったり、主人公が未亡人をめとることになったりといったところ*1。だいぶドロドロとした展開が期待……と岩手を舞台にした朝ドラを手がけた小松江里子がドロドロとしすぎないように、でも上手く視聴者をあしらっていて良い。
*1 詳しくは調べてないけど、お船はだいぶ年上の直江信綱を婿にしたのかな史実として?
■ [Review][TV] TBSが変わったそうです
ここ数年で、TBSは「TBSの変」とか言ってみたり、この春も維新だ、第二の開局だ、それで日付が変わるときにわざわざ特番まで設けてドミノをやってみたら途中で止まってしまったりと、相変わらずのお茶めっぷりで心が和む。
「総力報道!THE NEWS」の後半をちらっと見てみたら、「JNNニュースコープ」来の堅実な報道番組の影は鳴りをひそめて、いよいよ悲しくなってきた。ただ、ローカル枠が18時5分開始らしいから、そこで各地方の老舗局のローカルニュースが民放で真っ先に(NHKよりも早く!)始まるようになるのならそれはそれでいいか。
「NEWS23」が、コンパクトにまとまってなかなかいい出来になっている! 筑紫哲也以来のアンカーマンがコメンテーターという独特の風習が一掃されて、記者が解説するというシンプルな形になっている。往時の「きょうの出来事」がスポーツ番組とあわせて30~40分に収まっていたけど、スポーツとあわせて夜に30分に収まっているのはかなり良さげ。
……もう、夜にテレビを見るという習慣は一旦なくなってしまったので、見るかどうかと問われれば別問題なのではあるが。
2019/03/31(Sun.) えがおのわ! この日を編集
■ [ETilog] 震災前の三陸地域で撮影した写真の公開
東日本大震災から8年。JR山田線が三鉄に移管され復旧したり、三陸沿岸も復興は進んでいるとは思う。
私は大学時代を岩手で過ごした。
であるにも関わらず、2011年は仕事で「東京にいて震災被災状況をレポートする」という仕事に従事しており、震災直後にボランティアに行ったり等が出来なかった。岩手にいる人たちにせよ、災害ボランティアの(多くの)人たち*1にせよ、任せておけば信に足る人たちであることはこれまでの経験で分かっていた。物見遊山に被災地に行くのも違う気がして、実際に三陸へ行くのは2018年のことになってしまった。 それは自分なりの決断なので良いとして、一つ気になっていたことがあった。
若い時代を岩手で過ごしたこともあり、また社会人になってからも旅行へ行くのを好んでいたこともあり、被災地となった三陸沿いの写真をそれなりに撮っていた。災害発生直後には、Yahoo!やGoogleでそれらの写真を公開、アーカイブするプロジェクトがいくつか走っていたかと思う。だが、2011年はこのETIlogの月次更新が止まるくらいに仕事の多忙+プライベートの破壊の事項があって、そういったことへの対応が出来なかった。そうこうしているうちにそれらプロジェクトは終了し、写真は公開することなく推移した。
被災直後のあの世情からすると、無くなった風景を見たいというリクエストが多かったし、故人の悲しみを忘れるには早く、そういった写真を集めるプロジェクトにおいても肖像権等も気にされない感じがあったかと思う。だが、もはや公開するには気を遣う事項が多く、それらをケアして公開するには工数は多かった。
最近になってようやく、やはり記録として残っている過去の風景は誰の役に立つか分からないのだから、公開をしておくべきだというように思いが至った。無くなった風景を見てせっかく忘れていたのにと傷つく人がいるかもしれない。もしかしたら故人が映り込んでいることがあるかもしれない。だが、それらの批判は覚悟の上で公開するものとする。それらの批判を受けいれてでも、公開した方が良いかなと思うに至ったので公開する。(はてなフォトライフへの公開とした)
過去エントリ分には「完全版」として追加した写真を挿入していく。
- 対象となる過去エントリ
それらとは別に、相馬・石巻・女川を旅行しており写真が多少あるので併せて公開する次第である(時期を見て旅行記で補足を入れる…かもしれない)。車のナンバー等はぼかしを入れている。肖像権を考慮し、人物にはぼかしを入れているが、風景を判別出来ないことがない範囲としたため、衣服で判別出来てしまうことはあるかもしれない。はてなブログではてなフォトライフの容量があったので、オリジナルサイズの公開も行っている。
なお、当該フォルダへアップロードした写真についてはクリエイティブ・コモンズ・ライセンスの「表示」(原著作者の氏名を表示すれば、誰でも自由に使用できる。改変、頒布することもできる。また、営利目的でも使用できる)という、はてなフォトライフで設定出来るものでは一番緩い設定で公開をすることにした。
三陸の諸問題はまだまだこれからで、外野の謂われ無き意見には逐一反論していく面倒な作業もある。記録を遺すということは見たい見たくないの問題はあろうが、やっておくべきなのだと思い至ったので、ETIlog移転作業の一部として行った。
*1 このときは例外的に詐欺的儲けに走った連中は残念ながらいた。永遠に歴史へ名を遺す所存
2023/03/31(Fri.) 老兵は死なず、ただ消え去るのみ この日を編集
2024/03/31(Sun.) まじめな子が損をするような世界でもある この日を編集
何かあればwebmaster@etilog.netまで