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2015/07/21(Tue.) 噛み7 [長年日記]

[Review][Book] セゾンにとってのリブロとは何だったのだろうか

青土社のユリイカ 2014年2月号「特集 堤清二/辻井喬」、に、中村文孝氏と田口久美子氏の対談(というか、田口久美子氏による中村文孝氏へのインタビュー)が掲載されている*1

同記事にはリブロについてそれまでの書籍になかった話題や新視点が多いのだが、あまり話題になっていない。


読んでいてちょっと驚いたのは以下のくだりだ。話は、ジュンク堂副店長だった中村文孝氏が、2007年にジュンク堂池袋本店のイベントで辻井喬と話をしたときの証言である。

言い過ぎかもしれないけれど堤さんはけっきょく小川(道明)さんのことも評価していなかった。

堤清二が詩人・小説家なだけでなく、経営者でありビジネスマンであった。堤清二がその間を揺れ動く以上、「小川さんもある意味経営者的に変節しなければならなかった」としている。

一方、リブロ池袋閉店の末期を飾ったカルトグラフィア企画展「堤清二/辻井喬展」で展示された2010年のリブロの社内報では堤清二の寄稿が展示されていた。そこでは、西武百貨店の書籍売場をみて、書籍は専門の売り手を育てねばならないと気づいたことが書き起こされ、リブロが特色ある書店になったのは初代社長の小川道明の功績だとされている。

まさに、矛盾・分裂する堤清二/辻井喬の率直な思いを網羅しており、どちらも正しい認識なのであろう。リブロが特色ある書店になったのは事実だ。だが、もっと経営として上手く出来たのではないか、と。


ユリイカ誌にはもっと重要な指摘がなされている。リブロで実現できたことは、との田口氏の質問に対し、中村氏は「学参で稼ぎながら、美術と人文と文学という三悪ジャンルのような分野をやって、視野狭窄になったふりをしてマイナー志向のお客さんを集める」こと、自分の意志で売ることをするようになったことがうれしかった、としている。それを受けて田口氏が

それは西武百貨店の売り方でもありましたよね。平場のプロパーもちゃんとつくるし、とんがったショップもつくる。その両方を活かしたというのが西武百貨店が他の百貨店と違うところだった。

と返している。「リブロは西武のミニ版なんです。」と中村氏が受けて対談が続くのだが、なんてことはない。ラーメンデパートと呼ばれていた西武百貨店を立て直そうと努力工夫していた堤清二の書店版がリブロだったわけだ。三越、そしてダイエー。紀伊國屋書店・丸善といった同業のガリバーに対抗するには同じことをやっていても仕方ない。如何に差別化するか。その結果がリブロの特色になったというわけだ。差別化はするが、基礎体力を培うために独自性を出すに過ぎない。田口氏の"書店風雲録"でも、総合書店においてはひとつのジャンルはあくまで店の売り上げの数%であり、学参や話題書や雑誌や児童書などの日々の積み重ねが重要で、それらの分野が堅調であったのでポストモダンが終息を向かせても、リブロの売上は順調だったと述べられている。

スーパー出身の書店は多い。だが、百貨店出身の書店はリブロだけである*2。陳列業で返品が出来る点は百貨店業界と出版業界の類似点が対談では指摘され、自主編集への回帰が書店においても起こるかもしれない、と中村氏は言及している。


ユリイカの特集では、飯田一史氏が「堤清二の事業の実態はオペレーション軽視、一番乗りした事業はほとんどなく、独創性は皆無」という論考を寄せている。事実だろうが、いくら編集部の要請あっての論調とはいえ冷たく一方的に過ぎる気がする。セゾングループは流通業の覇者であったダイエーと比して、クレディセゾンや無印良品など残ったものが相対的に多く、旧セゾングループ各社では西武生え抜きの人材が堤清二引退後それぞれの会社をリードしていた点が特異である。とくに後者は大きく、ダイエー出身者はダイエー以外で名をなしていることが多いが、旧セゾンの会社の各社の経営者はでは堤清二との関わりについて触れられることが多い。堤清二の下だから経験を積めたとする一方、堤清二を否定することをみんなやっている。部下は上司に似るという。皆堤清二のように分裂したアンビバレントを内包して経営者したわけだ。セゾンは人を育てることに成功したといっていいだろう。セゾングループこそ解体してしまったわけだが、ある意味あらゆるところに散らばってセゾンのDNAが生きのびているわけだ。セブンアンドアイにも大丸松坂屋にも伊藤忠傘下にもセゾン上がりの企業がおり、三越伊勢丹傘下の岩田屋にリブロが入っている。そして、高島屋までもクレディセゾンのカードを出してるわけで、すさまじい影響力である。無印良品以上に成功したプライベートブランドがあったのだろうか。西友ですらウォルマート化して個性的に生き残っているのだ。

経営者として会社を存続させないことには成功とは言えないが、セゾンには事業として残ったものが多い。堤康次郎の資本をあらゆる生活に分散し、豊かさをばらまいたともとれる。西武百貨店のプレゼンスを高めるための手段がエルメスほかの海外ブランドであり、セゾン美術館であり、スタジオ200であり、リブロであった。リブロのプレゼンスを高めるための手段が、大理石のブックフェアブースであり、今泉棚であり、アール・ヴィヴァンと一体化した美術書棚であった。商業としての工夫、と一言で言えてしまうわけだが、商店の工夫こそが消費者の愉しみなわけで。

特集*堤清二/辻井喬 : 西武百貨店からセゾングループへ…詩人経営者の戦後史

青土社
(no price)

*1 百貨店という箱庭~西武百貨店とリブロの入れ子構造~

*2 今のリブロの半分はスーパーたる西友・いなげや出身であるが


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