2008/07/13(Sun.) だんだん この日を編集
■ [Diary] 初★タクシー帰り
金曜日は、たまたまN○○かさんとTTL氏と同道になったため、そのまま有楽町へ。有楽町ドトールで二次会後、飲み足りないid:kawsikaとK姐ことK○っぴとでビール飲みに3次会へ、次いでベルギービールの4次会へw しかし、ベルギービールの生ってレアな機会なのですな。
有楽町からタクシーで帰ってみたら4210円。こ、これは盛岡-滝沢間と同じ以下ではないか。これが東京生活ってことか!
■ [trip] 富山逃避行・企画意図
北陸と言えば、昔中学生の時合宿で横断して回ったきり、春日山城と金沢はまわったものの、途中の富山はすっぽり欠落していた。
折りしてもゴールデンウィークと海の日休みの5連勤が続く10週の合間、途中でなにか潤いを自分に与えたい……そんなこと考えていると、寝台特急北陸で現地入りして、日曜日に帰るというルートが「北陸フリーきっぷ」で実現できそうなことが時刻表を繰って分かってきた。
そこで、歩いたことのない県庁所在地である富山市街見学と、富山近辺の城見学、富山付近のローカル線を乗りつぶすという旅程を組んで、とりあえず旅に出てしまうことにしたのであった。
■ [trip][Train] 寝台特急北陸、氷見線、城端線
上野駅、である。
寝台特急北陸はこの日満席。B寝台ソロが初体験出来るかと思ったが、上段で我慢せざるを得なかった。
ブルートレインにここまでみんなカメラを向けるようになったのはいつからだろうか。デジタル一眼レフ、コンパクトデジカメ、カメラ付きケータイと皆多種多様である。趣味としての鉄道の認知度が上がってきたこともさることながら、カメラの大衆化という観点も見逃せないと思う。この寝台特急北陸に関して言えば、鉄ヲタな人よりもカップル・夫婦が記念写真を収めてるってケースが多かったと思う。
やはり上野駅には寝台特急が映える。
寝台上段へ。すでに他の3つの席は埋まっていた。車内検札があるのかと思って眠いのをこらえて起きていたが、そのうちに車内減灯してしまった。気づかなかったが、喫煙車である。帰りの新幹線が禁煙席なのに行きの寝台特急は喫煙車という選択をしてくれた大井町の窓口嬢のセンスに感動した!*1
高岡着。
10人を超える人が降りた。
一回改札の外へ出て、フリーきっぷの利用開始である。缶コーヒーを買いながら、氷見線ホームへ。
ホームには忍者ハットリくん列車が留置されていた。
2両編成の列車、前の列車には2人乗っていたが、後ろの車両は私一人の貸し切り状態である。
発車。
しかし、富山というのはよほど豊かなのか、なかなかに住宅地が途絶えることがない。工場と宅地がずっと続く。そのうちに越中国分を出て雨晴海岸へ出てしまった。
潮の香りが私を溶かす。
氷見駅到着。
終着駅の行き止まり感をしばし味わう。
氷見駅の、バスはこなさそうなバスプールには、高校生送迎の車が頻繁に来ていた。盛岡来ずっと見てきた、地方の微笑ましい風物詩の光景である。暑い日も雪の日も、この生徒たちに家庭があるのだと想起させてくれる1シーンなのだ。
時間が経ってきたせいか、帰りの富山行きは高校生で埋まっていた。
高岡駅に帰着。
駅前をしばし散策する。高岡駅は、県庁がない地方都市としては風格のある民衆駅だ。
駅ナカのマクドナルドで朝マック。…富山まで来て朝マックとはとも思われるだろうが、列車を見ながら食べるマックグリドルも悪くない。
次は、城端線完乗である。
と、こちらは既に高校生でいっぱいだ。嗚呼、青春列車*2
城端線では、富山を過ぎて田園風景が広がった。工場に農業に、富山は産業豊かな土地である。
高校生たちは戸出駅で降りていった。今日が試験なのか、試験勉強に励んでいる子が多かった。数学の参考書を見ながらも、途中で寝てしまうのも、また可愛げなるかな。
城端駅到着。
城端駅からは気持ちよさそうな道路が一本延びていた。城端市街も歩いたら風情ありそうな土地のようだ。
終着駅の線路の先に住居がある。もう伸び得ない鉄路。行き着くところまで来てしまったのだという軽い切迫感が、私にはたまらないのである。これが終着駅の危ない魅力だ。
■ [trip] 高岡散策
高岡へ戻る。
高岡へ来た目的としては、氷見線・城端線の完乗というのもあるが、本来の目的としては高岡城見学である。
そんなわけで高岡城へ。途中、かの藤子不二雄先生ゆかりの文苑堂書店を通る。
高岡大仏へ寄る。
実は、この高岡大仏については事前知識なく、鎌倉、奈良とここにきて日本の3大大仏を制覇してしまうとは思いも寄らないことであった。高岡の職人たちによって、二度と消失しないように造られた、北国の大仏である。
高岡城到着。
城の規模は素晴らしいものがあるのだが、残念ながら城としての遺構が少ない。ここは、縄張りを愉しむ城である。日本百名城に富山県として唯一選出されたようだが、歴史としては富山城の方がメジャーなのである。高山右近縄張りという点が、この城のメジャーなトピックである。場内は彫刻のある公園として、動物園や図書館(かのドラえもんが全巻揃っている図書館として著名だとか)など公共施設が揃っている公園として、有効な活用と言えなくもない。しかし、元和の一国一城令で廃城されたこともあって、城として見るべき点が少ないことが何よりも惜しまれる。廃城令にめげず街として存続したこと、公園として市民が整備してきたこと、その点において高岡城には見るべきものがある。
高岡市立博物館。
ここはタダ! タダなら見なきゃソン!! 展示はと言えば、しばし加賀藩や富山藩に埋もれがちな、前田利長以来の高岡の歴史を指摘できるコンパクトな説明が心地よい。
城からは少し歩いて万葉線で戻る。
低床車両アイトラムで高岡駅へ戻る。
……としたら、なんでもきょうは線路の補修工事で途中からはバス代替輸送であった。珍しすぎる。
単線の路面電車とは珍しい。しかし、1時間4本では気軽な利用はしづらいと感じた。バスも頻度よく出ているのである。ただ、バスが先着していたにもかかわらず、多くの人が万葉線を選んでいたことを考えると、高岡市民の支持は万葉線にあるようである。
高岡市街を少しばかり歩きがてら帰る。北陸地方の地場百貨店・大和に人が多い。イオンの洗礼を受けている街だというのにこの人出は何よりである。だが、残念ながら商店に閉まるシャッターは多い。百貨店が元気で商店街が元気ないというところは、実は珍しい。両方元気か、両方死んでるか、あるいは商店街は元気でも百貨店は閑古鳥というところは多いのだ。このあたり、富山の県民性であろうか、そんなことを考えた。
■ [trip] 七尾へ<バス移動>
「北陸フリーきっぷ」の有効区間には、七尾線の和倉温泉~津幡も含まれる。やはり、これを機会に七尾線にも乗っておきたい。…ホントは七尾城見学とも絡めたかったのだが、これは時間が相当かかるのと、この山城は一人で行くのが多少気が引けたので、泣く泣くパス。
となると、金沢周りで行くのが妥当なのだが、氷見駅からバスで七尾へ抜けられることが判明した。要乗り継ぎなのだが。いい機会なのでこのルートをチョイスした。……鹿児島のときバスでさんざん懲りていたのに、これである。
氷見駅から乗っても良かったが、氷見駅滞在時間確保と、氷見駅クラスの場所で氷見駅口のバス停に乗り継ぐのが不安だったため、バスの始発駅から乗ることとした。氷見線とは違うルートを通るため、市街を多く見て回るという観点でも良い選択であろう。
高岡駅を出た。高齢の方が4,5名乗ってらした。大きな道路もあるが、バスは路地を進む。
氷見市街を途中通る。商店街が長く続くのだが、高岡よりも寂れている感じがしないのである。やはり、当初規模、キャパシティの問題があるように感じられた。寂れる傾向にあったとしても、もともとの規模が大きくなければ、シャッターが閉まっていても寂しさを感じない商店街にすることは可能なのである。
脇停留所に到着。
しかし、ここで乗り継ぎが出来るとはとても思えない場所である。こういうところへふらっと来てしまうのも悪くない。
25分強の滞在時間であるが、これは乗り継ぎ時間としてはいい方で、1時間待ちがデフォルトのようだ。乗り継ぎは考慮されていない。
AQUOSケータイのワンセグ(富山県内局)が入った。
バスはきちんと来た。4名程度降りてきた。このマダムの方たちは乗り継ぎのようだった。
冷房が壊れているようで、運転手氏が窓を開けていっていた。潮の香りに包まれる。次第に冷房も効き始めた。
七尾駅に到着。
駅前に回転寿司屋がある。ふらりと吸い込まれるように入って昼食とする。
回転寿司は、海沿いの街に来たときの一人食事ポイントとして悪くない。いつも当たるとは言えない。事実、鹿児島駅前の回転寿司は良くなかった。地場産のにぎりをおいしく食べてしまった。通常の寿司屋と比べると乾いたネタがある分、完全なる堪能は出来ないが、これは仕方ないところだろう。ここは満足できた。
■ [trip][Train] のと鉄道
七尾駅からのと鉄道に。
座れないほどの乗車率である。和倉温泉、田鶴浜で相当数降りていった。
七尾線の非電化区間は、まさに木の茂みの中を突っ込んでいく痛快な走行が楽しめる。
それでいて隣は港である。すこぶる絶景で気に入ってしまった。
穴水駅到着。
古くは七尾線輪島方面と、能登線の分岐駅だったところである。
構内には立派だった頃のなごりが見て取れる。
廃線になった今でも、車止めまでには多少距離があるようだった。
路線の一部をもがれて、造られた終着駅に悲哀を感じた。終着駅めぐりにもいろいろな気分がある。
■ [trip] 和倉温泉
和倉温泉で下車。和倉温泉総湯にでも日帰り入湯しようかと思ったが、1時間しか滞在時間がない。歩いていくと間に合わない。かといってタクシーは癪である。バスがあれば良かったのだが、逆方向からの列車に接続しようだなんて考えはあるわけもないようだった。
そんなわけで、足湯!
湯っ足りパークでは海を眺めながら足湯につかることが出来る。
実は屋外での足湯初体験なのであった。温泉もきちんと熱く、だいぶ気持ち良かった。
とはいえ、30度を超えたこの日、ここまでの徒歩往復30分はけっこう辛かった。途中のファミマでスポーツドリンクを買ってしまった。
■ [trip] 金沢1時間ステイ
和倉温泉駅からは、特急サンダーバードで一度金沢へ出る。
金沢駅到着。新幹線スタンバイ!の気合いみなぎる様子だった。
金沢にはコアがない。いや、香林坊や武蔵ヶ辻はそうかもしれないが、金沢クラスの規模にしては小降りではないか。しかし、金沢の魅力は延々と広がる古い町並みだったりする。
今回は、武蔵ヶ辻まで街歩きをするにとどめた。街中にあるリブロが、悪くない。一度住んでみたい街だ。駅前もフォーラスも出来て、だいぶ華やかになった。
盛岡駅にないのは、風格だ。いや、東北新幹線の終着駅だったころには、きちんとあったのだ。それが改修でずいぶんと縮こまった狭苦しい駅になってしまった。駅は、街の顔である。…
しかし、金沢駅には風格がある。
金をだいぶかけただろうし、一部にはデザインにも疑問ももたれているようだが、派手な造りは都市に重厚さを与えている。あの盛岡駅2階の安っぽい造りはあまりに耐えられない。恥を覚えた方がよい。とりあえず、盛岡駅の看板、夜にはライトを当てるようにしたらどうか。あれを放置してよしとするのは、盛岡市、岩手県、および盛岡市民の怠慢である*1。
*1 去年3月以降から変化があって、今は変わってるいるようなら、私の調査不足の怠慢です。
■ [trip] 富山へ
名古屋からきた特急しらさぎで一路富山へ。
富山湾と田園風景が美しい。
富山着。
富山の駅ビルで白えび天丼を食す。
富山と言えばますのすしくらいしか思いつかなかったが、白えびそのものは古くから富山で取られていたようだ。保存技術の発達も、白えびのメジャー化に寄与しているらしい。ぷりっとした感触ではない白えびの天ぷらは、しかしかき揚げのようなもろさを持たない。天丼のタレもまた違うように感じられた。
ステーションビルにこの手の店があるのは助かる。民衆駅もまた、駅ビルなのだ。
新幹線の開業で、富山駅駅ビルはなくなるらしい。「新幹線の開業でどうなるの?」と絡む男性客がいて、店の人が「富山市が決めることになる。出来ればここでやっていきたいのですが」と答えていたのが印象的であった。
富山は幾分かガラが悪い。若者が地べたに座り込んでいる。ただ、言い換えればまだ若者がいて、集まる場所として選ばれていると言うことで、微笑ましいこととも言える。ホントに寂れた街なら誰も集まらない。
■ [trip] 富山城、富山市街。
富山城見学。
3階とないのにエレベーターがある。このエレベータは、あくまで2階の郷土資料館へのバリアフリー配慮のようで、展望台は長く天井の低い階段で行かなければならなかった。
なんでも、富山城はコンクリート復元天守の先駆けのようだ。もともと天守がなかったのに、犬山城などの他の城をまねて造られた天守のようだ。この手の天守閣には、多くの場合「市民のシンボルとして親しまれている」と書いてある。とりあえず、分かっている人には「所詮模擬天守」と心の中で馬鹿にされているのである。この流れの一般化は、本物志向の昨今において止められないだろう。じきに、「あんなの造りやがって」と市民に卑下される時代が来るかもしれない。だが、その流れをつくった歴史的モニュメント、是非遺産として遺していってもらいたいものである。
富山城は改修中。整備が進むようだ。
富山市街見学。
県庁所在地に来たときは、とりあえず県庁は見て回るようにしている。
富山市庁には展望台がある。
残念ながら曇っていて、山手線ラッピング広告のような雄大な立山連峰は望めなかったが、しかし市街が広い。
大和方向へ。地方の街を歩くときは、とりあえず百貨店のある方向へ歩くことにしている。
近代的な百貨店のビルと古くからの商店が混在する不思議空間。
富山の大和は、レストラン階の上に紀伊國屋書店がある。よくわからん。
この大和は昨年9月に移転してきたようで、移転前はより古くからの繁華街であった場所にあったようだ。年季のある建築物だが、この放置ではただの廃墟である。
しかし、商店街を歩いてびっくりした。
どう考えても閑古鳥鳴いてます。
県庁所在地で「やばい」と思ったところが3カ所ある。秋田、鳥取、佐賀である。秋田はともかく、鳥取と佐賀は行ったのが昔だし、今どうなってるかはなんとも言えない。だが、日曜日の日中にここまで人のいないアーケードに出くわしたのは初めてである。
一応富山を弁護しておくが、反対側の総曲輪ではイベントもやっていて人出はあるのである。しかし、商店街によってここまで人出に落差があるところも珍しい。
富山地鉄の路面電車で富山駅へ戻る。
乗客は多くなく、絶対に座れるようであった。
■ [trip][Train] 富山ライトレール
駅北口に出て、ライトレールに乗ってみる。
しかし、人出が凄い。1時間4本ヘッドだが、ずいぶんな人気である。
岩見浜駅着。
最後まで乗り通す人は多くなく、競艇場前駅でだいぶ降りていった。
奥田中学校前で、旧富山港線の専用軌道を離れ併用軌道区間へ出るところが見られる。
ホントに低床車両である。
見たところ、2コインで釣り銭の必要を最小限にしている点、専用ICカードで安くなるためカードを持つ優位性がある点、そして何より専用軌道区間が多く、スピードが比較的速い点がポイントだと感じられた。
■ [trip] 魚津城に絶望した!
富山から富山地方鉄道で電鉄魚津駅へ。
(以下、2008.8.10記す)
せっかくの北陸フリーきっぷ、当然JR北陸本線を利用する方が安上がりであるが、移動時刻に特急がないこと、出来るだけ多くの路線を乗って沿線を見ておきたいという点から地鉄利用とした。
特急「うなづき」に乗車。乗車口で特急券を確認してくれる女性駅員が、そのまま乗務員になって宇奈月温泉まで車内で案内してくれるようだ。
ここで、北日本新聞を電鉄富山駅の売店で買って読む。きのうは、のと鉄道の車内で北國新聞を読んだ。両新聞とも前日に全通した東海北陸道の話題で持ちきりであった。メリットとともに、ストロー効果などの懸念される問題を指摘する一方で、早期の2車線整備を主張していたのが印象的だった。ここには東京では絶対に聞こえてこない地方の声があるのだ。いくら東京の人間が借金してまで無駄な道路を造るなという意見が大勢を占めているところでも、地方では道路を求める声の方が優勢なのだ。この事実は、私も岩手に移り住むようになるまで分かり得なかった問題であった。
他に目を引いたのは、「カターレ富山」の存在だ。北陸電力とYKKがJFLでそれなりのポジションを築いていたのは私も知るところだが、まさか一緒になってJ昇格を目指していたとは…富山もだいぶ盛り上がっているらしい。
その国ににはその国にしかない声があり、実情がある。旅ですべてが分かると思ったら大間違いだが、旅をしなければ少しも分からないのも事実である。とっかかりとしての加速をつけるために、私は旅に出るのだ。
電鉄魚津駅到着。しばらくはJR北陸本線との併走だった。
降りてみると年季の入った改札にすこしアテられる。
だが、改札を抜けると暗い切符売り場に駅トイレ。階段を下りると閉まったシャッター。駅を出て振り返るとそこにあったものは!
寂れ果てた立派なステーションデパートであった。
このデパートも、往時は栄えて、若夫婦や子ども連れで賑わっていたのかと考えると、心がきゅっとつかまれる。切ない。
だが、電鉄魚津駅前の商店街も切ないのであった。陸前高田の比じゃねえぞこれは。この町をこんなにしたのは誰なのか! イ○ンのせいか! 東京のせいか! …犯人捜しはとりあえずやめよう。岩手で言えば釜石がそうなのだが、もともとのキャパシティが大きかった街ほど、抜けたときのインパクトが大きく寂れているように見える効果がどうしても出てしまう。逆に、もともとそこそこの栄え方だった街は、却っていい雰囲気を醸しだせたりするから、なんである。最近私が見てきた限りでは、身延、高遠、延岡のあたりはそうなのだ。
さて、魚津探訪の目的は「魚津城見学」である。
魚津城が今は小学校になっていて、碑があるだけというのは知っていた。それでも魚津城は訪れなければならない。魚津城は本能寺の変に関わる重要なポイントである。天正10(1581)年、本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれた翌日、柴田勝家が攻略中だった上杉方の魚津城が陥落する。柴田勝家ら織田の北陸方面軍が本能寺の変を知ったのは更に翌日の6月4日であった。備中高松城を攻略中だった羽柴秀吉が本能寺の変を知ったのが6月3日、備中高松城が落ちたのが6月4日である。華やかに語られることも多い備中高松城の裏面が、まさに魚津城だったわけだ。これは訪れなければなるまい*1。
魚津城は現在、魚津市立大町中学校になっている。駅から小学校へ向かうと、「魚津城址にある大町小学校」なる看板がある。その看板に従い、簡易裁判所を越えると小学校の正門がある。
日曜日だが、学校は開放されている。正門には「通り抜けを禁ずる」と書いてあるだけで、関係者以外立ち入り禁止とはないようだったので、碑だけ見学させて頂くこととした。
まさに、「あるだけ」の碑である。遺構がない城というのも悪くはない。
続いて、上杉謙信の歌碑の見学へ。住宅街をぐるりと回る。
と、こちらには「関係者以外立入禁止」の看板が、小学校に並んで立つ大新幼稚園の園長名で立っているのである。これはなんということか。「ご用の方は職員室までお越し下さい」ともあるが、敷地立入禁止じゃあ職員室にも行けないじゃないか……それは厳格運用に取りすぎなのでともかく、少なくとも幼稚園が休園している日曜だとか夏休みなどの長期休暇中は見学できないと言うことになる。
と、敷地内に立ち入らないとなると、見学もなにもないのであった。
昨今、初等教育機関でその手の事件が発生しているのは承知している。立入を厳しくするのが、手っ取り早いことも理解している。しかし、魚津城址という県外に存在をマニフェストしている観光地において、来てみておいでよと言っておきながら拒絶するとは、何たる仕打ちであろうか。これが富山県のおもてなしの心なのだろうか。
ひとり旅が少しずつ苦しくなっていく。魚津の住宅街を歩いて帰ったが、確かに浮いている。こうして、お決まりのコースを辿るだけの旅に人は流れていくのだろうか。その「お決まり」に漏れた地は、観光立国など出来ぬということである。一人の旅人を大切にして欲しいなんて言わない。一人の旅人が来ることを、魚津市には認めて欲しい。
さて、魚津の観光スポットと言えば、魚津城以上に有名なのは「蜃気楼」であろう。蜃気楼と埋没林の博物館である魚津埋没林博物館を訪ねてみた。
変わった建物であるが、建物と道路を挟んで反対側から入るようになっている。地下道をつたって本館へ行く仕組みである。
と、ここでは「魚津城址」がしっかりと観光場所として記載されているのである。確かに、立入禁止化されている観光スポットと、あの寂れた電鉄魚津駅をリンクして見学すると、魚津市について考えるところが多く、とても勉強になるので大変にお勧めである。
さて、中に入ったには入ったのだが、あまり時間があるわけでもないのに見るべきところが多く、「しまった」という感じでもあった。埋没林についての見学を優先した。貴重かつ珍しいものだそうで、国の特別天然記念物でもあるらしい。
駅までひたすら、歩く。バスがあるようだが、時間帯柄すぐには来なそうだったことから、結局最後は時間を気にしながらの徒歩強行軍となってしまった。
ようやく魚津駅まで歩いてきた。だが、駅入り口まで田んぼと住居が広がっている。市の中心部にあるJRの駅で広がるこういう風景、最近ようやくなんかアリかもねと思えるようになってきた。
JR魚津駅に到着。JR魚津駅から伸びる道路は訪れ得なかった。ぱっと見た限りは、往時は電鉄魚津駅の方が栄えていたのかもしれない。今ではこちらの方がまだ商店が残ってるかもしれない。
(追記:2009.4.26)関連記事を書きました。
*1 ちなみに、備中高松城には既に行ったことがある
■ [trip] 帰路
魚津からは特急はくたか。
北越急行車両かと思っていたが、JR西日本車両。中身はほぼ同じと言うことは分かっていても、昨日既に乗っているからなあ。
車中でますの寿司を遅い昼食とする。切るのはともかくとして、笹の葉が難儀だと言うことが分かった。
直江津で懐かしいJR東日本の駅名標に。帰ってきたんだと実感する一瞬である*1。
さて、帰りの楽しみは北越急行初乗車である。
乗ってみての感想としては、「これはすごい」。トンネル区間が多いのは聞いていたとおり。もっとスピードが出てあっという間かと思ったが、それを実感することはさほどなかった。しかし、米所新潟の田園の中を突っ切るだけでなく、山の中をも裂いていくのである。新潟には田だけでなく山もあるということを教えてくれるのだった。そして、駅が誰も使わないだろってところにわざわざあるのがすごい。誰も使わないところとはいえ、秘境駅というわけでなく、集落の外れに設置されているのである。これは高速鉄道の宿命か。
越後湯沢で乗換。
MAXでないとき。200系車両は、東北新幹線ばかりに乗ってきた身としては貴重に感じられる。
東京駅到着。
*1 この戻される感を阻止するには東北旅行するしかない
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