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2009/04/26(Sun.) 僕を受け止めてくれたこの街に感謝 [長年日記]

[Diary] 飲み会の幹事をする

大学時代の研究室で飲み会をした。自分がちょうど先輩も後輩も知っている人が多いということで幹事をした。

……決断力が鈍っている、判断力が弱っている、自分に自信が持てないでいるこの時期に、やる仕事ではなかった気がしている。

仕事には、良い評価も悪い評価もついてくる。良い評価は継続して出せるように踏まえ、悪い評価は改善に向けて対処していかねばならない。だが、今の自分には、悪い評価のみを過大に受け止め、自信をなくす一方にしかならない。労いの言葉、感謝の言葉を額面どおりに受け取ることが出来ない。

実は私、典型的ないじられキャラである。そのイジリはネタかもしれないが、その人にとっての本心かもしれない。本当に自分は悪く思われているのかどうか、相談するに値する適切な目上の人がいない。

今回ばかりは、私ももうダメかもしれない。

[歴史ネタ] 学校にあるのは魚津城だけじゃない! ‐玉縄城探訪記‐

魚津城に絶望した!は、富山逃避行の一連のエントリより遅く投稿したものの、細々とやっているこのウェブログの中では少なからぬ反響があった。なんとわざわざ「魚津城に絶望した」でググって来られる方までいらっしゃる。

魚津城は、上杉謙信歌碑こそ大新幼稚園看板で「立ち入り禁止」になっていたわけだが、正真正銘立ち入り禁止の城はいくつも存在する。立ち入りが出来ないことが分かっていれば、行かないだけである。だから絶望することはない。……しかし、魚津城のことを書いた手前、関東在住の人間として行っておかねばならないだろう、玉縄城に。

玉縄城は鎌倉市にある。切通しの手前側にあり、最寄駅は大船駅だ。

玉縄城址は清泉女学院中学高等学校の敷地になっている。中学受験経験者の私にとっては、一定の難易度と、女子校らしいきちんとした教育方針をもつ学校として馴染みが深い。しかし、なにせ女子校。男一人で入るわけには行かないだろう。

学校になった城として、自分の中でのメジャーどころは玉縄城だった。そこで、西大井駅から横須賀線でふらりと出かけて見ることにした。


大船駅西口に出る。大船観音がお出迎え。

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大船駅を出てすぐに、観光案内の看板が。ここの時点で「見学には事前に学校の許可が必要。土・日・祝日・学校行事のある日は不可。」とかかれており、完全に城オタどもへシャッターを閉じられている。

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バスもあるが、歩いて行くことにする。

途中には栄光学園がある。

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神奈川屈指の進学校だが、キリスト教系学校らしく、「ウチは進学校じゃありません」と言い切るスタンスが素敵である。


清泉女学院についた。

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大新幼稚園と同じく、「立入禁止」の看板が。かなり頑丈そうだ。

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しかも、「防犯カメラ作動中」って……こうして写真を撮るのも本来は憚られる。

仕方ないので、住宅街になっている裏側から城に近づこうとする。しかし、どーも私道じゃないかという道しか続いていない。

「玉縄城址緑地保全地区」となっているが、「無断立ち入りはご遠慮ください。」とある。

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素直に引き下がる。

だが、近くにあるマンションに公園が付属しており、そこには玉縄城址の看板がある。

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うーん、賢い。これを見れば玉縄城を訪れた気になる。なお、マンションにある公園は「住民以外利用不可」と謳うところが多いが、ここはそういう看板は見られなかった。

玉縄城は、北条綱成ゆかりの城。里見氏との抗争の舞台にはなったが、魚津城のように、日本史における一大事件たる本能寺の変に関わったというほどの歴史的事項はない。

私が今まで訪れた城では、丹波亀山城も立ち入り禁止であった。大本教管理になっており、「聖域なので立ち入るべからず」とある。魚津城と同じく本能寺の変のキーとなるプレイスだが、こちらはどうやっても入れない*1

そんなわけです。ちょっとくらい入れなかったからと言ってあわてる必要はないのですよ、魚津市民の皆さん。「小学校だから完全立ち入り禁止」という選択肢もあるんですぜ。(つづく)

*1 事務所に頼めばお祓いの上で見学できるとも

[歴史ネタ] 魚津城はどうあるべきか

私の立場を、改めて明らかにしておきたい。

私は、魚津城は大町小学校のままで良いと考えている。富山城や墨俣城のような、「模擬天守」は御免蒙りたい。嘗て天守を誇った城が、戦災その他で失ったためにシンボルとして鉄筋コンクリートで建てちゃうのまでは許せるようになった。しかし、そういう歴史がない城が、いかにも城っぽいイメージで勝手に城跡に建てるのは歴史への冒涜である。堀や土塁だけだった城は、そのままの形であるのが望ましい。

一方で、藩の中心だった藩府たる近代城郭ならともかく、戦国期の城はそれこそ保存とか言い出すと開発が全く出来なくなってしまう。そのように考えると、城跡を完全に破壊せずに、ある程度その形を活かしつつ利用できる「学校」というスタイルは丁度いい。


今回の私の失敗は、公立学校ならある程度は開かれているから見学可能だろうと踏んで行ったことだ。……既に東京の学校はシャットアウトだが、その流れは全国的なものだったようだ。

富山逃避行は、私にしては珍しく極めて満足度の高い旅であった。高岡の文化の香りあふれる城跡と博物館に町並み。城端への美しい田園風景。氷見線や能登半島の穏やかな海とあふれる緑、和倉温泉で海を眺めながら足湯に使った後は、金沢百万石の都会ぶりに目を見張り、富山の白えび天丼に舌鼓を打つ。総曲輪フェリオやライトレールなどの変わる富山市街に触れた後の、富山地方鉄道ののんびり旅。

……電鉄魚津ステーションデパートを、当該エントリでは口悪く書いているが、個人的にはスリーベースヒットだった。これもひとつの産業遺産ではないか。古くてどきっと怖い思いすらするが、立派な歴史的建造物である。

それだけに、魚津城で「関係者以外立ち入り禁止」の看板を見た時にへなへなとしてしまったのだろう。

公立学校が立ち入り禁止だなんて寂しい時代になった。嘆いてもはじまらない。小学校や幼稚園が、あるいは女子校が「関係者以外立ち入り禁止」の看板を立てるのは当然の趨勢だと思う。それが分かるからこそ、絶望できるわけだ。

このエントリを書くに当たり、少しブログ検索をしていたら、きちんと学校受付に挨拶をして見学されている方が。 なるほど!と目から鱗だった。自分は「立ち入り禁止」とか言われるとすぐ切れちゃうので(苦笑)……

そんなわけで、これから魚津城を見学される方は、土日でも受付へ行ってみることをお勧めします。というか、学校は「関係者以外立ち入り禁止」って看板で終わらせるのでなく、「ご用の方は受付まで」って書き添えて欲しい。単純に立ち入り禁止だと、敷地内にある受付にも行けないじゃないか(笑)


魚津市にも課題はある。

魚津市は、「突発観光客リスク」に対する危機管理はしておいたほうがよかったと思う。コメントを拝読した限りでは、やはり魚津城が持つ歴史的ポジションについて地元の方があまり認知してなかったのではないかという節はある。「天地人」で感動的な魚津城落城が描かれてしまって、観光客殺到なんて事態になったら小学校の授業が危ない。熱が冷めれば一気に観光客は減るが、突発的に人が殺到するのが大河ドラマというものである。

本来は、その手の観光客を受け止めるのは、ハコモノであるべきだった。どうせ造るのであれば、広く一般に歴史を伝え、史料史跡その他の資料を保存する役目以外に、そういった事態にも備えられるようになっていたほうが良い。魚津歴史民俗博物館になぜ行かなかったかといえば、自家用車/レンタカー以外での適切な交通手段が見当たらなかったからであった。天神山城跡と絡めての立地だったかもしれないが、鉄道やバスがないのは痛い。かといって、タクシーで訪れるほどではない。

コンパクトシティと騒がれているが、実際にショッピングセンターは地元の人間だけが使うのだったら車でしか行けない田んぼの中にあっても良い。しかし、市町村役場なり、博物館・資料館といった余所者の人間が使う可能性が高い建物は、駅の近くにないと困る。駅の近くでも車で利用しやすい場所というのは、いくらでもあるはずだ。

魚津市は、セコく利益をあげることが出来るポテンシャルを持っている。黒部観光の乗換え点にあって、まだ開拓の余地がある。JR魚津駅と電鉄魚津駅のあいだの地下道だって使える。駅前にプレハブで立てても良い。……だが、そのようにがめつく考えてしまうのは、日本中を歩き回って各地を見聞きしているゆえの私の性かも知れない。何もしないというのもアリかなとは、小学校に駐車場をというコメントを目にしたあたりからだった。

結局、地元の問題は地元で考えるしかない。私が「街づくり」にあまり興味が行かないのもそのあたりにある。典型的放浪者である私には、根差すべき街が少ない。街づくりを見て楽しむ立場にいさせてもらっている。


魚津の皆様には、多少痛い部分もある該当記事に、丁寧にコメントを多数頂いた。有り難い限りだ。他所の人が思ったことを、咀嚼して受け止めて頂けたものと理解している。富山県人が多く政財界で活躍し、県力が高いのも頷ける気がする。こうして他者の言葉に耳を傾け、商売を必死にやった結果が、今の富山県の繁栄なのだろう。見習うべきところは多い。

あらためて北陸を旅して良かったと思う。私は一度行った城はあまり行かないのだが、魚津城はもう一度行ってみようと思う。その時はまた電鉄魚津駅で降りて、電鉄魚津ステーションデパートの雰囲気を楽しみたい。


いよいよ大河ドラマ「天地人」で魚津城の戦いが描かれるのが来週となった。丁度連休中のことでもあるし、魚津での盛り上がりにも期待したいし、上杉と織田の一大ドラマが広く世の中に伝わることを願うばかりである。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]
越川隆文 (2009/06/16(Tue.) 03:57)

ご無沙汰しております。魚津市議会議員の越川隆文です。昨年の9月に貴サイトを拝見いたしまして、9月議会で引用させていただきました。今から思い起こせば、あのころはまだ市民の魚津城に対する関心も低く、まさか「天地人」でここまで大きくとりあげられるとは思っていなかったころです。魚津市の対応もまだまだ意識が醸成されておらず、その後暮れにかけてようやくNHKへの働きかけなどを行い、あわてて魚津城の戦いなどののぼりを作成したような状況でした。上杉の里、米沢などでは3年以上前からその原作の火坂氏の小説のドラマ化をNHKに陳情するなどの地道で熱烈な活動をやっておられたとのお話を聞くにつけても、今回の魚津はそれらのお蔭を持って世に出させていただいたと感謝しなければならないと思います。しかし、これで喜んでいるわけにはいきません。このラッキーをなんとかものにして、少なくともettieさんのようにむなしい思いを抱いて魚津を去られることのないようにしたいと思っています。今回の「天地人」効果で魚津城址を訪れたかたがたは1700人を数えました。そして何よりもお知らせしたいのは、その観光客をおもてなしするために大町地域振興会の地元の皆さんと大町小学校の先生方が、手作りの案内板を作ったり、お城の白壁を作ったり、愛と毘沙門天の大きなのぼりを大町小学校の入り口に設置したり、ゴールデンウィークには手弁当で小学校の空き教室を臨時の資料館として、訪問される方々を案内したりと、地域住民パワーが盛り上がったことです。今、6月議会の真っ最中です。今日改めてettieさんのブログを再度引用させていただきたいと思います。旅をしなければ何も始まらない、本当にいい言葉だと思いました。有難うございます。

ettie (2009/06/16(Tue.) 21:51)

>越川隆文さん<br>再度のコメント有り難う御座います。<br>魚津市民・出身の方に多数コメントを頂けたことは、望外の喜びです。<br>期せずして該当の記事には「その国ににはその国にしかない声があり、実情がある。旅ですべてが分かると思ったら大間違いだが、旅をしなければ少しも分からないのも事実である。とっかかりとしての加速をつけるために、私は旅に出るのだ。」と書いておりまして、まさにとっかかりとして作用したことは、やはり世に対して書かなければ何も始まらないなとの思いをあらたにしております。<br>魚津市大町地域では手作り感があふれるおもてなしを実践されたとのこと。東京都下に住んでいるとそのように「迎える側」の視点を持つことが少なく、それでいいのかと自問することしきりです。ですから、住んでいらっしゃる方が心よりおもてなし出来ていることは、自分が住んでいる地域に思い入れがあるという証左であり、見習わなければならないことだと思います。やはり今回のケース≪学校の安全と観光をどう両立するか≫というのは、貴重な事例であったと思います。凄惨な戦いが行われた城跡が、子どもの笑顔あふれる小学校になっているという経緯を、訪れる側としても味わい深く感じ入りたいものです。<br>富山県に魚津有り!というプレゼンスが高まるメリットを確立する一方で、ごみごみしていない、のんびりとした町が維持できれば最高だと思います。


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