2005/03/18(Fri.) キラキラしたい [長年日記]
■ [ETilog] ボツ
ライブドアネタを1本、結構な分量でETilog2用に書いていたのだがボツにしそうな勢いだ。他人と同じことを言ってもつまらん。どっちの立場も取れるけど、どっちでも突っ込み食らうのは確実だし。
誰も言っていない予想を先んじてしておいて預言者になれるのであれば、その言説は言うだけの価値があるといえる*1。あとは、あらゆるリスクを冒してでも言いたいと思うパトスが生じしたときも別だけど。
立場を明らかにしなければならない立場でもないしなあ。
*1 ただ、悲観的予測の場合は、外れた時でも楽観的予測が外れる時と違って「良かったじゃないか」と言えてしまう為、悲観的なことを言って予想が当たるのを愉しみにする輩がいるのでこのあたり難しい
■ [時事ネタ] 奥州市応酬しクラッシュ(か)
合併特例債目的な不純な合併が多いのは確かだろう。
ただ、合併しないのならしないで、どうやったアイデンティティを保つのか、合併しない時よりも魅力的なコミュニティを示せるのか、自己満足だけでなくて他者にも魅力的に思ってもらえるコミュニティを提案できるのか。
申し訳ないのだが、私見では5市町村中胆沢町が1番「持ち物」がないと思う。あるとすれば胆沢郡の「胆沢」が町名になっていること。胆沢城跡があるのも水沢市佐倉のようだし... まあ、合併そのものには賛成なようであるが。このあたり偏見もたれないような反対の仕方をしなければあっという間にヒールになってしまうと思う。
「合併しない宣言」の福島県矢祭町は応援してあげたいと思う。自力で魅力的なコミュニティを作り上げられるのなら。自らのレゾンデートルを守るための中央に対してのNoならば、言うべきである。事実、第3子から100万円支給だとか魅力ある施策を打ち出していることは評価する。
しかし、ごく一部が伝えたように、「Noを言っても中央からの補助金を打ち切られることがないだろう」だとかいった甘えは一切捨てるべきだし、そんな考えなら私は許せない。反逆するのであれば反逆相手に頼ってはいけないのは当然だ。なんとかして自活の道を見つけなれば真の独立は有り得ない。干殺しに遭う前に飯の種は探しておくべきだ。それがアイデンティティを見つけるということだと思っている。
私の出身地・座間ならば「座間ニュータウン」…多摩ニュータウンのパクリだが、というか私が言ってるだけだが、ベッドタウンとしてやっていくというだけでも良かろう。滝沢村が「日本一の村」にやけくそになってこだわるのならばそれで注目を浴びるのも良いだろう。江刺の観光施策・前沢のブランド・衣川の歴史遺産は大変に重要なアイテムであろう。私が生まれた三鷹・吉祥寺のあたりは個性ある若者の街を有するだけでなく、ガイナックスからジブリから「アニメ」にこだわっている。
尊厳を守るための造反は正当な行為である。
しかし、世の中には反対する立場を「十分な議論が必要だ」「拙速な議論は避けるべきだ」と表現する人たちがいる。今回のような場合、反対するのなら腕力も使う覚悟でしっかり駄目なものは駄目だと言った方がいい。
…自分探しが出来てなければ、反対する立場を説明するのにも一苦労だろうけど。
■ [雑感] 楽天イーグルス
ベテランがやたらめったらミスをしている気がする。
時にはファンプレーを見せてくれるんだけど、どうもブレが大きい。
ミスしながら80敗で4位になるよりも、ノーミスで100敗で最下位のほうがいいと思うんだが、どんなんだろう。
■ [Essay] わたしはなぜ市町村合併に反対しないのか
政治的立場というのは、実体験に結びついたものほど強いものはない。国家を大上段に語っても、実感なき国家観は空虚である。
ETilogをご覧になられてきた方はお察しのとおり、私はどちらかといえば市町村合併には賛成である。理由はいくつもある。たとえば、出身地の「座間」というのはアイデンティティをあまり持っていない、感じない。座間の東半分、出身小学校のエリアはよく遊んでいてなじみがあるが、座間の市庁舎のあたりは遠くてあまり行っていない。それよりも電車で簡単にいけた隣の海老名市街地や大和市街地のほうが、スイミングスクールや塾通いで馴染み深い。それらの街と合併することになんらの違和感があるはずもない。「座間」というなじみのない西半分の地名発祥の市名にこだわりはない。幼い時期を過ごした風景にこそこだわりがあるのである。同様に、生まれた武蔵野市、戸籍上の生まれた市である三鷹市も、母に手を引かれて歩いた吉祥寺の街や井の頭公園にこそ思い入れがあり、市名に思い入れはない。この点は、私が特異な点かもしれない。関東圏ではそういうもんだが、実際にはあまり市町村合併は進んでいない。自活できてしまっているところが多いのだろうし、合併しなくても十分な人口を持っているからだろうか。
市町村合併すると、市庁舎が遠隔地に行ってしまうという弊害が指摘されているが、首都圏ではそうでもないと思う。電車アクセスがしやすい市庁の位置を選定すれば、多くの住民がハッピーになれること請け合いである。
それから、私が市町村合併したほうがいいと思う理由は、公共施設が座間のような弱小市では貧弱であることが挙げられる。この体験はじわじわと6年間実感し続け、決定的なものとなった。
私が中学になってから、神奈川県央の自治体の図書館ならどこでも借りられるようになったが、それまでは自転車でしかいけない座間中央図書館に行かないと借りることができなかった。移動図書館で「まんが・日本の歴史」を借りていたが、種類などたかが知れたものである。横浜市民なら、決定的に蔵書数が多い横浜市中央図書館が使える。たしかに位置としては遠い向きもあろうが、せいぜい電車で30分圏内である。人口の多い図書館ほど、図書館の施設が豪勢だった。
私は城研で撮影班を友人Sとやっていくことになり、どっちがビデオ担当でどっちがカメラ担当になるかを話し合っていた。彼がカメラ(一眼レフで城を撮影)担当になり、私がビデオ担当になった。しかし、彼の住んでいた市川市にある市立図書館*1には立派なビデオ編集設備があったので、編集作業は彼がすることになった。しかし、編集方針やそのあたりの連携で、彼とはいらぬ対立をしたと思う。…それを考えて担当を決めればよかったという話もあるが、しかし住んでいる市によって提供されるサービスがここまで違うのかと愕然としたものであった。ビデオ編集設備は人口規模が2倍弱の座間の隣・大和にはあったが、大和市民以外は利用できなかった。「大和・座間・海老名・綾瀬」合併を訴える地元政治家を支持するようになったのはそういう成り行きだっただろう。住民サービスには結構な格差があり、生まれた市町村とか特別な思いがあるのでなければ、人口規模の大きい市がどんどん選択されていくのではないか。だいたい、学校だって隣にあるのに違う市町村の学校だから通学できずにかなり歩く学校に行くというケースも結構あるではないか。北稜中学校は滝沢村に敷地があるのに盛岡市の学校だけど、どんなもんなんだか。滝沢村にあるけど盛岡北高校、滝沢村にあるけど盛岡大学ってのとは話が違う。
しかし、岩手に来て少し考えが変わっている面もある。
「市」であればコアとなるべき中心市街がきちんとあるべきである。したがって、磐井・胆沢・江刺全合併だとか、花巻・北上合併だとか、遠野と釜石合併などは反対である。一関と水沢という二つの旧城下はどう考えてもひとつの市ではコンフリクトを起こす。花巻と北上が合併してしまうと、1970年後半来続いた両市の競争が消えてしまい、岩手経済は壊滅的打撃を被るだろう。遠野というのはひとつのブランドであり、まさしく岩手内陸と沿岸の間にあるオアシスである。岩手で地理的に沿岸でもなく内陸でもないコミュニティとしてやっていける可能性があるのは川井村と遠野市だけだが、川井村には残念ながら緩衝地帯としての独自性を保てるだけの体力がないだろう。もう「市」であることだし、遠野には岩手オブ岩手の独自性を持ち続けて欲しいと思う。
岩手は全県的にコアとなる市街候補が存在する。内陸沿いであれば東北新幹線の駅があるところがそうだろうし、沿岸であれば釜石・宮古に、気仙地方と久慈となる。したがって、岩手は全部市にしてしまうことも可能だと考えられる*2。
岩手は比較的街が点在しているけども。例えば鳥取で全部市にしようとすると、県が3市に集約されてしまう。奈良県南部などは見渡す限りの郡部でこれも「市」として扱うのは至難の業だろう。地方には地方の事情があることを、岩手に来て痛感した。
小沢一郎や大前研一など、すべての市をフラットな規模の市に再編しようと主張してきた人間は多い*3。しかし、この「平成の大合併」のようなニンジンをぶら下げての地方自治体主体の合併でも難儀しているのに、中央政府主導の合併はどう考えても出来そうにはない。
だが、5万人の村があって1万人を切っている市があるのはどう考えてもいびつだ。そして、中核市、特例市、政令指定都市から東京23区まで、市といえども権限が違うのも不自然な気がする。とくに政令指定都市は県の権限がほとんど及ばないため、県としての政策施策にはいちいち該当政令指定としての協議が必要でこれが厄介である。大阪や神奈川と東京の都市政策のダイナミズムにおいて決定的な格差が出来てしまっている。全部の市を政令指定都市規模にするか、政令指定都市を中核市規模に分割したほうがスマートな気がする*4。
結局、声高に訴えかける改革が進むには、もう制度は雁字搦めである。これは仕方ないのだと思う。少しずつ直していくより仕方あるまい。市町村において大事なのは、住民がコンセンサスのいく、最低でも「ま、いっか」、あるいは「おしょす」と思いながらも住民の怒りエナジーが爆発しない共同体境界線をいかに上手く画いていくかであろう。
*1 私は彼に戦国時代やPCに関して多大な影響を与えたが、彼が私を追い抜くほどの知識を身につけたのは市川市立図書館の充実もひとつの要因だと思う。図書館が充実しているか否かは、その市の住民の知性を決定付ける重要なバロメータである
*2 以前、全市町村を合併して岩手県岩手市にして、現在の市町村はすべて区にしてしまうという案が岩手日報に出ていたが、はっきり言って検討に値すると思う。70万+70万の2分割でも政令指定都市化は可能なのかもしれないから
*3 「日本改造計画」では小選挙区程度の規模30万都市に、「平成維新」では小選挙区と市は別単位のほうが良い、道州制の下部としての共同体して目が届きやすい20万規模に再編しようとなっている。
*4 そう言えば、女性で市町村合併論を声高に主張している人を寡聞にして知らない。住民レベルではそんなこと絶対ないが、地方自治制度で何か主張を聞いたことがあるのは、前回の東京都知事選に出馬した上智大学教授の猪口邦子くらいだ。このことは考えてみる価値のある事実かもしれない
■ [時事ネタ] 果たして私はは彼ら彼女らに社会で敵うだろうか
卒業アルバム:最後のページは白紙 佐世保・大久保小::MSN毎日インタラクティブ
彼ら彼女らが、大人なら放棄してしまいそうな問題を、彼らなりの頭で一生懸命考えたんだな、と伝わる記事だった。
被害女児の父親の子供たちへの思いやりも。
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