2004/09/02(Thu.) 目覚め この日を編集
■ [Diary] 岩手山登山&下山の写真
今日の朝出来たので取ってきました。まあ、思っていた程度の出来栄え(外れは5枚程度におさめられた)。これならスキャンすればA4までは余裕でいけそうだ。takaさまも満足していただいたようだし。ほかに見たいひとー、はご一報を。
携帯で撮ったのもまとめたいな。だいたい、各合目で撮ってあるので、かわりゆく私をのせてやれ…
ところで、筋肉痛はまだ来ない。だいじょうぶかな、あたし。
■ [時事ネタ] メガバンク・サバイバル
http://www.asahi.com/money/aera/TKY200408250231.html
他人事としてみると面白すぎ。
7月下旬の蒸し暑い夜。都心の居酒屋にUFJ銀行の男性行員が集った。30〜40代の5人。旧東海銀行の「同志」たちだ。話題は当然ながら、UFJホールディングスと三菱東京フィナンシャル・グループの経営統合問題に集中した。
「UFJになってから、三和の出身者に好き放題やられた」
「三菱東京と一緒になっても、俺たちに明日はないぞ」
暗い会話が続いたところで、こんな声が上がった。
「だが、考えてみろ。俺たちが受けた屈辱を、今度は三和の連中が味わうんだ」
瞬時に5人の意気が上がった。
「そうだ。それだけでも胸がすく!」
三菱出身者は確かに「お公家集団」で、野武士旧三和に適わないというのみ見方だが、それでも旧東京銀行出身者を人事課から全追放するなど、やりたい放題のご様子。三和+住友が「わが事ながらすごい取り合わせだ」というのはかなり笑える。たしかにそうだが、住友の救済合併の観のある三井住友は、「『三井住友銀行』と三井を(住友より)前にしてくれた」*1だけで、旧さくら行員が感動しているのだとか。
最後にある、みずほ銀行出身の小説家・江上剛氏の言葉が痛すぎる。
*1 ちなみに、英文表記は住友が先である
2005/09/02(Fri.) 死ぬ時はみんな一緒!! この日を編集
■ 中学1年・3年の時の担任だったケロヨン(数学)はこの言葉をよく発していた。「もうぅ、みんな馬鹿」とか発言が面白くて人気の先生であったと思う。であると同時に「数学が面白い」ということを愚直なまでに信じていて「これ面白くないか?」を連発していた。苦手だった数学も、なんかアテられた気がして「そうかも」と釣られて思ったりもしたものだった。
2006/09/02(Sat.) この日を編集
■ [ETilog9][時事ネタ] もったいない
ノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイさんが提唱する「もったいない」をアピールする「MOTTAINAIブース」が2日、東京・有明の東京ファッションタウンビルで始まった「アフリカン・フェア」に設けられた。
[Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <アフリカン・フェア>「MOTTAINAIブース」も開設より引用]
最近、というか、ここ数年「もったいない」がブームだ。毎日新聞はとくに熱心だ。やっぱりマータイ氏の尽力は大きいし、エコ的な面で一躍買ってるのは事実だろう。
だが、日本にはこういう面もあるのだということを、大曲で知った。
大曲の花火、食中毒防止月間とのことでアナウンスが。「もったいない 母ちゃんそれが 悪い癖」 一緒にいったメンバーは皆爆笑していた。会場も盛り上がっていた気がする。絶対、このMOTTAINAIムーブメントが裏にあったに違いないのだ。
日本は徹底してもったいないを突き詰めてやっていて、それで昔の人は存外食べても大丈夫だった気がする。でも、やわな現代人じゃもったいないの閾値が高くなってしまうのは仕方ないところだろう。
2007/09/02(Sun.) あなたはもういない。 この日を編集
■ [雑感] 「お疲れ様」と「ご苦労様」
【メモ】人をねぎらう場合、相手が目上なら「お疲れさまでした」、目下なら「ご苦労さま」が正解とされる。
[「【溶けゆく日本人】新人議員、先輩に“ため口”」リビング‐暮らし経済ニュース:イザ!より引用]
この二つの言葉の違いを知ったのは、某雑誌で北朝鮮出身の誰か(忘れた。スパイだったか高官だったか)がこの二つの言葉を使い分けを知っていたという記事を読んだ後だ。だから、中等教育まででは教わらなかったということになる。
で、目上の人に「ご苦労様」と言うことはなくなったんだけど、目下の人間には使い分けてしまうわけだよなーと。こっちに、結構重い仕事をやらせてしまったという負い目がある場合、経緯を込めて「お疲れ様」と使ってしまうわなと。…逆に、ふんぞりがえってねぎらいの言葉をかけるときは、「ご苦労様」でなくてこう言う。
「役目大儀!」
2010/09/02(Thu.) ズバリ「リアル」 この日を編集
■ [Diary] 誕生日@カウントダウン
きょうは誕生日。またひとつトシをとった。
今年こそは誰からも祝福されねえよ夏。そう思っていても、毎年祝福してくれる人がいらっしゃる。ありがたい限りだ。自分が誰かの誕生日を祝福する(忘れる or メール等出来ないこともある)で概ねやめてしまったというのに、申し訳ない気もする。きちんとどこかにメモを作ってお祝いすべきだろうか。悩みはつきない。
きょう9月2日を対日戦勝記念日として終戦記念日とする国もあるそうな。女性にとって、出産は命がけだ。だとすれば、すべての誕生日は終戦記念日でなかろうか。自分の誕生日と同列に並べるのはおこがましいのは分かる。ただ、そのようなことに思いが馳せられるようになったのは、自分が女性を孕ませて子が生まれてくるというリアリティが実感出来るようになってからだった。こればかりは惜しい限りだ。
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