2005/02/28(Mon.) forbidden lover この日を編集
2006/02/28(Tue.) 美人局に気をつけよう! この日を編集
■ [Diary] 夜行バス
今回はらくちん号。最上とされるJRバス関東車にあたったけど、前のハゲオヤジさんが最大限リクライニングしていたせいで足が窮屈であまり寝られなかったヨ。揺れが少ないのはわかるが、足が伸ばせるって点では岩手県交通の方がいいかもって想定外の結論だった.いすはいいんだけどね。
■ [Computer][Mac] すいっちのかんそうぶん
すっかり移動生活のせいでメインマシンにしないとやっていけない状況ですが、まあメインに使ってるのはSafariともw あとMail。うーん、脆弱性報告のあったソフトばっかり。
最初に悪い点.液晶がヘボイ。ひどい。PBだったら2万円高くなってもシャープとか積んでほしかった。あと、キーボードが滑る(笑) わかってはいたけどことえりになれない。意外だったのは、MSオフィスの体験版がはいっていたらしく、オフィス製品版を入れても、関連付けが体験版になってるという罠。
いい点としては、最初からSSHでどこにでもいき放題。マ社のソフトがUnixのくせに使い放題。BloglinesはSafariのほうが機嫌良い。小さくてDVD焼けていい。重さは許容レベルだし。フルキーボードもいい。SafariRSSではてブの注目エントリとか読んでるが便利。トラックパッドで二本指でスクロールできるの便利。まあまだダッシュボードやエクスポゼやスポットライトは恩恵うけてないんですがね。
これから少しずつUnixとして使い込んでいくようにしたいです。そのための投資ですんで。
■ [Diary] 瀕死
こっちで暇で時間つぶし〜とは過去のシュウカツ生からたびたび聞いていたが、まったくそんなことないと言わざるを得ない。岩手に日帰りしたときはなんとか予定をこなしたが時間きつきつだったし、こっちにかえってきて完全に不良債権が超過しだし、いくつかの企業をあきらめざるを得ない状況。あ、絞りきれてないとかそーゆーことかな。
Macのおもりが追いつかない。
2016/02/28(Sun.) プリンスの選択 この日を編集
■ [地域ネタ] 盛岡のさわや書店本店で感じる絶望と希望
岩手を離れて2016年4月で9年になろうとしている。しかし、岩手には毎年行ってる*1。盛岡は必ず寄っている。
大通りも盛岡に行く度歩いている。岩手に住んでいた頃気づかなかった風景があったり、あの頃と変わらない景色があったり、発見はいろいろだ。
肴町の東山堂書店本店*2や、大通りのさわや書店本店にも寄っている。さわや書店本店はジュンク堂が来てもなおサバイブしており、頼もしさを感じていた。2013年までは。
2014年頃から、さわや書店本店2階の棚が寂しいことになり始めた。新書が2階に移ったのも2014年ではなかったか。それはいい。2階の棚が埋まらないようになり、急激に2階の滞留人数が減り始めた。あのさわや書店の寂れが始まったのか。私は愕然とした。
さわや書店フェザン店は相変わらず興隆だ。私もフェザンカードを作った方がよいのではというくらいフェザン店で毎年散財している。しかし、書店好き界隈の雀たちはフェザン店のPOPの華やかさや棚の素晴らしさをブログで持ち上げることはあっても、さわや書店本店2階の惨状に言及することはない。これは欺瞞ではないのか。
とは言え、もっと恐ろしい事態が盛岡では進行中なのだ。さわや書店本店2階並みに人の入りが残念な書店がある。ジュンク堂盛岡店だ。MOSSビル3Fのジュンク堂はジュンク堂のくせに恐ろしいほど人が入っていない。金曜日の夜だというのに、3・4列に1人いるか程度なのだ*3。同じ非政令指定都市の地方にあるジュンク堂も巡回しているが、なんてことはない。ジュンク堂だけでさわやが潰れる心配をしている段ではなかったのだ。今の盛岡市中心部は、ジュンク堂とさわやが共倒れする可能性すらあるのだ。
これらは以前触れた盛岡市民の民度の問題ではないだろう。これは、私の認識不足と当時の情勢からの進展による。盛岡市民は、市街地を歩き回って本屋のはしごをするのではない。盛岡市民は、車でエムズエクスポ・MORIOKA TSUTAYA・東山堂イオンモール盛岡南店をはしごするのだ*4。
エムズエクスポ盛岡店*5 | MORIOKA TSUTAYA*6 |
事実、これらの書店には人が入っている。たとえ、盛岡市街に自動車通勤している層でも、わざわざさわや書店本店やジュンク堂盛岡店に5分、10分と歩いて行くことはないだろう。とにかく地方の人間は歩かないのだ。
そんな状況の最中、さわや書店フェザン店店長・田口幹人さんの著書「まちの本屋」が出たので、盛岡に行ったときにフェザン店で買って読んだ。
まちの本屋 : 知を編み、血を継ぎ、地を耕す
ポプラ社
¥1500
第一書店時代の(ライバル店店長であった)伊藤清彦さんとの出会い、郷里の書店を継いで店を畳んだ時の苦悩、3月11日のこと、イオンモール盛岡の未来屋書店やジュンク堂出店時のエピソード、「伊藤清彦の一番弟子」松本大介さんやアルバイトが休むと本店のレジに立つ社長などさわや書店の人々、売場づくりや販売の仕掛け、雑貨取り扱い開始の話など、話は多岐にわたる。そんななか、「新しい外商」の一節がある。まちづくりに参画し、異業種と交流し、そこに本を介在させていく。著者と読者を結びつける場をつくる。講演会や勉強会で人と本をつないでいく。本屋が何かをやろうとするときの地域からの信頼が極めて高く、有効なのだそうだ。
この一節を読んだとき、少し安心した。
何事も、最後は人と人の結びつきがものを言うことが多い。都会であれば出会いの多さや人の多様さが強い。地方は地方でその濃厚な関係が時として重たくもあるが、決定的に助けとなることが大きい。人が少なくなっても、その濃厚さは覆りそうもない。地方の状況は苦しい。都市と地方の対立は、残念な方向へ一直線だ。地方がささやかに何事もなく暮らしていくにはどうすれば良いのか。地方特有の人の連帯こそが、とりあえずの財産となるのではあるまいか。
顔の見えている人間関係が基調にある都市ならば、恥をさらして2階を空き棚にしている状況を、赦し、そして飲み込んでいかねばなるまい。地方の中で長年やってきた人たちを信じるしか出来ない。
「あのときは良かった」と、昔の良かった時代と比較ばかりする。今置かれている立場を冷静に見て、どう対処するか、という話をする人が少ないと、同書の中で出版業界の状況に田口さんは言及している。だが、それは出版業界に限った話ではない。シャッターを開けたあとどうするかを考えるより外にあるまい。
2014年にさわや本店の2階だけ見て不安になったので、2015年はさわや書店本店の1階の棚をじっくり眺めた。レジ前の平積みに響く本はなかったが、店の壁沿いに書棚を眺めてみたら、10年前に感じたわくわく感が再現できた。
(2016.5.8追記)上記の記事を書いてから半年で改善があったようなので、記事を書きました。
*1 だが、三陸沿岸には2006年12月以来行けていない
*2 東山堂本店は東日本大震災以前から規模縮退していた。だが、東山堂はイオンモール盛岡南のブランチが賑わってるし、少なくともフロアを閉めて対応しており、無残に本を入れていない棚を晒す事態は、私が見た限り発生していなかった
*3 もっとも、4階のJunku.COMはそこまでではないので、問題はないのかもしれない
*4 東京や関西圏のような、電車通勤通学が盛んな地域では、電車で本を読んでいる層をスマホ全盛の昨今でもそれなりに見かける。だが、車通勤当たり前の地域では、運転しながら本は読めない。自宅で読むのだろうか。通勤通学にかかる時間が東京より短いから問題ないのだろうか。私はそう思わない。地方では、電車通勤なら20分でも50分かけて自動車通勤している人がたくさんいると思う。こうして読書量が東京と地方で差がついていくことが地域格差につながっていくのではないかと強く懸念している。が、これはまだ仮説の前段階に過ぎない。
*5 写真は2014年10月撮影
*6 写真は2014年10月撮影
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