2004/12/16(Thu.) ちゅっ!! この日を編集
■ [ETilog] きのうのえてぃろぐ
昨日は朝から起きていたのですが.大学に行くと雑務が振ってくる可能性があるので,家で作業してたわけです(結局,本読んで1日過ごしたが;余裕だね,エティー).12時ごろ「あー,大学行かないならVPNで更新しないとなぁー」と思ったものの,「でも,1日書かないで,みんなに心配されるのも悪くないかなー」とかとか思ったんです.でも,そんなことあるはずはないし,だいたい,この手の「毎日更新」を掲げていなくても行っているサイトってそれが途切れた途端,「今日は更新してないかもなー」と思われて,毎日来て頂いているリピーターを失うことになることを経験上知っていたので,「やめよう」と即座に却下したのですが,夜に更新する前に寝てしまったわけですね.そんなわけで,素ではじめて落としてしまいました.
そんなわけです.夕方になってじゅん★じゅん★から「まだー」と催促くらってますが.
ということで,自分がアクセスしない場合のアクセス数の目安は「3」でした.
■ [時事ネタ] 上越新幹線「とき」
中越大地震*1で,今も上越新幹線でトーキョーから新潟に直接行くことができないわけです.正直,東京駅の電光案内板が「たにがわ 越後湯沢行き」ばっかになっていたのが,ショックでありました.
で,その前に見つけていたサイトだったか.「『あさひ』を『とき』にしよう」というサイトがあって,それが成就したのを見て少し泣けてしまった.
私なんぞは,「あさひ」「とき」に慣れ親しんだ世代なので,各駅タイプの「とき」が速達タイプのものに格上げされるのに違和感を覚えたこともあったが,いまや各駅停車の新潟行きも「あさひ」が付けられていたことを考えれば,「あさまとの混同を防ぐため」の改名は理に適うものだったかもしれない.新潟県民の「朱鷺」への誇り,そして,特急「とき」に親しんだ世代……ひとつの列車にこんなに人々の思いがこもっているとは…厚くなりますねえ.
「あおば」はもう使われないのかな?*2
■ [大学] 新学長発言の波紋
新学長決まったときは,エティログも止まっていて,新学長の記者会見も見事に見逃したわけで(だれか持ってない?).
んで,今朝,takaに盛岡タイムスに記事が出ていることを聞いた*1.
http://www.morioka-times.com/news/0412/15/04121511.htm
またしてもブーたれる県議会のお歴々よ,という印象だ.
かつて,県立大学における県内出身者が6割に留まっていることに問題にし,あまり県内への就職率が良くないことに,県議(だったかな)が文句を言ったという逸話を思い出してしまった.その時,西澤学長は「(鈴木)善幸さんが出て岩手は良くなったでしょう,新幹線を持ってきて,高速道路を造って」に近い趣旨の発言が載った雑誌のコピーを,総合政策学部棟で見た記憶がある.東北新幹線盛岡暫定開業は,鈴木善幸首相に因るものではないとの説が有力だが,私はこの意見に同意だ.もちろん,岩手に残る人は絶対に必要ですよ.しかし,県外で活躍する岩手シンパを増やさないことには,岩手の将来は暗いと言わざるを得ない.魑魅魍魎が跋扈する東京砂漠で,岩手を誰が弁護するのか.陳情だけではやっていけないですよ.
いわて発で国際的に通用する人間を仮に輩出できれば,岩手県にとって有益であろう.「第2の新渡戸稲造を」という表現を増田知事はしていたかと思うが,それは「外交官を輩出したい」という言葉よりもより説得力を持つなあ.岩手という風土でしか育たない,国際人(あまりこの言葉を使いたくないが)というのがあることを信じて.
私が気になったのは「地元に役立つ人間を育てるのが県立大の役目ではないか」という部分だ.地元に直接還元する人間を育てたいのであれば,防衛大学校みたいに,岩手県内(もしくは,岩手県内に事務所を置く企業)に就職しないのであれば県費で補っている分の授業料を岩手県に追納させれば良いだろうが.
現状でこの大学から外交官が出るわけねえしとリアリズムに徹してニヒリズムに浸るのも良いが,地元限定で人材バンクにしようとする考えよりは,よっぽど外交官を出そうとする考えの方がマシだと言わざるを得ない.だいたい,だったら岩手に県大卒業生を全部受け入れるだけの求人キャパつくれって(笑).
西澤学長も,当初の理念と,学生の現実のギャップで,「中途半端なんだよな」と「学の世界入門I」で漏らしていたのを思い出すが,学長なんて職は,自分に出来る範囲で職を努めるより他にない.仮にも国連や外務省でやってきた経験があるのなら,それを活かすことを考えなければならないだろう.新学長が,本気でウチの大学から外交官を出すことに成功するのであれば,それは大いに評価しなければならないし,お手並み拝見といったところである.外交官を育てようとして始めて,国際社会で活躍するNGO,企業の人間を育てられるという考え方だってあるんだしさ*2.
県議会は,どうも県立大学に文句しか言っていない印象があるのだが…まあ,県立大学に尽力された方も多いだろうし,これほどまでに予算を出していただいた以上,「親心」として,有難く受け止めておきますが,今は.
*1 でも,あとでmitachi logを見たらすでに記事になってましたが,元ネタはここですかT橋さん(笑)?
*2 ただ,私と新学長の間には,政策上のスタンスの違いはあるかもしれない.西澤学長と違って,メディアセンターにあるような雑誌で見た記憶がない.新学長は,あまり論壇誌に寄稿されるひとではないのかな.「世界」にはある程度記事を寄せているようではありますが.正直,西澤学長の雑誌記事を見て共感するところあって岩手に来たようなことは,新学長にはないかもしれない.記事の本数の絶対数が違うので,判断しようがないのですな.説得力ある論考だったら,名前が残っているはずなのだが,それはないし.どこか,谷口誠の著作一覧とかないのかね? ググると問題になりそうなのが出てくるんですもん(苦笑)
■ [Computer][Web] FireFox最適化ビルド
t先輩にご教授いただいた最適化ビルド.大学のPen4・1.5GHzマシンでは確かに短縮化されたので,家のWin98,K6-2・500MHzマシンで入れてみた.
が,結果は起動に10秒(2回目以降の起動)以上かかり,IEの2倍かかるという結果に.やっぱ,OSべったりのIEかなという結論でした.
だいたい,「MACHIDA PC MAP」の作者の言いたい放題「私とNetscapeNavigator」(1997.5.23)ではこんなこと書いておる.
「ネットスケープ社から日本半国与えられようとも私はネットスケープ社には降らない。」
ね.IEは私にとって大恩あるブラウザです.安易に乗り換えるわけにはいーカーぬーノーよ*1
そんなわけで,とりあえず大学マシンのFireFoxにプラグイン入れてみてます(爆).講談の真田幸村には遥か及ばないワタクシでした.
*1 でも,FireFoxはいちおオープンソースコミュニティ発祥だろうが←ひとりツッコミ
2005/12/16(Fri.) すれ違うふたり この日を編集
■ [Web] FeedBurner
1ヶ月くらい前からFeedBurnerを使ってます。ETilog2やETilog6のRSSはそのままじゃGREEの日記に登録できないんだけど(mixiはできる)、FeedBurnerをかますと外部日記としてGREEでも使えます。そもそもETilog6は暫定的にグローバル公開できるWeb日記として作ったもので、SNSで外部日記利用できないとちょっち困る類のものだったので良かった。
でも、こんがり焼いた結果としてはせいぜいがXSLとCSSの情報が付け加えられたくらいなんだけどなー。
FeedBurner.jpが年内始まるというので首を長くして待ってます。まだー?>GMO いちいち様々なバージョンを自前生成する必要がなく、どのくらい参照されたかも分かるので病みつきですが、密かにETilog1のRSSを移行させようとしていたことは秘密です。
2006/12/16(Sat.) 年をとって良いことは、忘れてしまいたいことは忘れてしまえることです。 この日を編集
■ [Essay] 大学院と就職後、どちらが大変か
高校時代の友人達(の一部)が就職して3年目、大学で同期だった友人達が就職して2年目であります。そういえば、今年就職していった後輩達も、アフターファイブな夜に電話してもまだ忙しく働いているようです。
研究室OBの人たちはけっこう「大学時代よりマシ」と口にすることが多い気がします。ある先輩だけ「大学生の頃の方が良かった」と正直におっしゃってくれました。その先輩の言うところの文脈ではそれは真実なんだと思います。
ですが、高校時代の友人達で、とくに文系学部を出た人たちは「今の方が絶対に大変、大学院生なんてラク」というきらいにあるようです。
私は断言しておきたいと思います。就職してからよりも、大学院の頃の方が遙かに大変です。
就職してもいないのになんでそんなことが分かるのかと訝しむ向きもあると思います。ですが、これは自明の理です。100%そうです。断言します。
理由を説明します。もし仮に、就職してからの方が大学院時代より大変だったら、大学院に進学した意味がなくなるからです。簡単なことです。就職してからの方が大学院の頃よりも大変だったとしても、絶対に、口が裂けても大学院の頃の方が良かったとは言えない運命にあるのです。
今、こうして自由に休みを取って、寝たいだけ寝て、仕事中も好きなサイトを見て…ということが出来る境遇にあっても、お金はもらえません。そこを取って、大学院時代の方が大変だったと言い続けざるを得ない運命にあるのです。
■ [Essay] 来年から実家暮らしに戻る件
けっこぉぅ悩んでいたんですが、おそらくは実家暮らしに戻る予定です。通勤時間なんかも周りの内定者に比べて大きくなりますが、やむを得ない感じがします。
両親ともに60を越えていて、それはまあ良いのですが、父は卒論真っ最中にぶっ倒れてER運ばれたと思ったら、就活中にも病気になって自宅療養してたしw*1*2 母も母で足腰悪くて各方面から心配されていて、ついでに白内障で手術ってww(なお、無事に終わったらしいとメールがあった) それでいて貯蓄がない上に持ち家でもないので家賃を払わなければならないと。
一人暮らしして仕送りするのもいいのだけども、今の実家が2人暮らしにしては大仰すぎる(3LDKって…)のと、二人とも力の衰えが激しくて間違いなく2人だけでは引っ越しもままならないと。なにこの駄目状況www
そんなわけで、自分が実家に戻った上で生活費を圧縮して(光熱費は半額、通信費は2/3にはなるでしょうし、食費は今の二人暮らしと同額に収まるに違いない)、3年半後に父が嘱託も退職するまでに、貯蓄してもらわないとってのが現状です。「25過ぎた男が実家で一人暮らしってどーよ」って話もこの間皆で話しているときに出たのですが、こういう事情があるのでした。表向きには私が結婚するまで…ってことで告知する気もしますが、まあそれは当分ない気がしてしたし。。。*3
ま、気ままな一人暮らしに慣れた私がこういう共同生活に戻れるかははなはだ疑問だけど。キレて実家とは縁を切るとわめくかもしれないし、誰か言えに泣いて泊まらせてって行くかもしれないし。知らね。
■ [Essay] わたしは再度、故郷を捨てる。
私は盛岡の街が好きですし、6年間お世話になった滝沢村に愛着を抱いています。岩手県は私にとっての故郷だと思います。
でも、今はつらい思い出がつのるほうが先行して、しばらくは岩手に帰ってくることは出来ないかもしれません。結果としては、せっかく得た念願の本願の地を捨てることに、形としてはなるのだと思います。これが、首都圏から岩手に飛び出してきたときと決定的に違う点ではあります。そういうとき、自分のしでかした罪の大きさを感じざるを得ません。
…10年、いや3年したら平然と戻ってくることが出来るかもしれませんが。。。でも、その時には訪ねてくるような知己は激減していることが予想されると。あー…*1
*1 でも、一人でもいればそれこそ各駅停車で訪ねてくるかもよ? ってことで、たかだか3年くらい会わなくても僕のことを忘れないでくださいってことで
何かあればwebmaster@etilog.netまで