2004/06/14(Mon.) 月曜日の1/4は日曜日(休日出勤だけどw) この日を編集
■ [Computer][Web] Netscape Ver.4
私はインターネットを始めた96年夏からNetscape嫌いになって以来のIE派(珍しい)だが,一応Webマスターという職業(は?)柄,ネスケでも動作確認はするようにしている(Opera,Safariなど然り).CSKが配布していたNetscape1.12でも確認するくらいのストーカーっぷりだが,さっき学内ページをネスケ4で見たら白地に黒字のページになっとる…日本語フォントを指定したせいだと思うが,よくない.かといってこれを直すにはすべてのスタイル属性に色指定をしないといけないので(どうも親のエレメントから引き継ぐことを知らないらしい),切れたので放置してしまった.というわけで,Solarisでご覧の皆さんはご承知してください.読めます.
思えばこのエティログもNN4ではサイドバーが表示出来ずに下のほうに表示される.HTML標準化主義者たちの望む結末通り,ということだ.まあ,確かに(テーブルに比べると)表示は軽いし,現実的な代替案を出せるわけでもないのだが.古いブラウザを使う人々にはそれ相当の理由があるのでしょう.たとえばICSが押し付けてくるとか(w 私はそういう人たちにもあまねく見て欲しいと考えて…おっと,これは私のホームページ哲学につながる話なのでまたの機会に.
■ [最近] 眼の痙攣
少し心配になって調べてみたらhttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Thaz6/hfs/symptoms.html
…やや症例似てますが(w
でもここ3ヶ月ほど痙攣してなかったので,ただの眼精疲労か精神的ストレスかも.まあ,病院いったほうがよいのかもしれませんが.
思えば19歳の誕生日のときも,霰粒腫なるものになっていたっけ.精神的ストレスは,小学生時は頭痛,中学生時は腹痛だったが,最近は眼に来るようになったのかな(w
そういうわけで,これを(上のリンク先含め)見た人は心配してあげましょう.こころからの心配も可,「えてぃ〜,お前今度入院するんだってな〜」というのも可.こういうコミュニケーションが一番の薬なので…
役に立つサイト→ぎもんしつもん目の辞典.私のように目がやぶぁいひとはどぞー.人の心配しないでまず自分の心配しろ
■ [ETilog] ETilogは学内限定後悔です
後悔違いだが,この「ETilog1」は学外公開する予定は一切御座いません.理由はいろいろあるので,追って話す機会もあるでしょう.
まあ,学外公開用のためにETilogにナンバリングされているわけで(w
2005/06/14(Tue.) 離れれば離れるほど愛しい人だと気付く この日を編集
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■ [Computer][Web] IBM・DB2
Database Watch 6月版 livedoorが惚れたデータベース、社長ブログも…::@IT
2005年5月に開催された「IBM Software World」では「DB2が支えるlivedoor Blog」という講演がありました。あの有名な社長ブログや広報のお仕事日記はDB2が支えているのですね。
あの不安定なlivedoor Blogで使われていることが晒されたら、DB2の評価が下がるんでは… 実際に自分で使っているからなんともいえないが。確かに、使える可能性は高い気がするが、安定性でlivedoor Blogはいい話を聞かない。
アクセスが重いといえばはてな。はてなダイアリーはレスポンスが遅い。8秒ルール(懐かしい)にひっかかるんじゃあってくらい。
■ [Diary] 青組優勝!!
城研OB板をみていたら、今年はなんと私の母校の体育祭で我等が青組が優勝したとのこと。めでたい。うれしい。
「我等が」といってもピンと来ないだろうから説明する。私が中学・高校6年間同じ学校に通ったことはご存知ですな(なお、高校から入ってくる人はいない)。
入学すると、赤・白・青・黄の4色の組に分けられます。この色分けは卒業するまで変わりません。各色ごとに上級生が下級生を指導して競技に対するノウハウを継承するので、各色の”カラー”が受け継がれてゆきます。そのため競技種目は昔とあまり変わりません。企画運営は、体育祭実行委員会が担当する、生徒会の一大行事です。ご父母までも巻き込む応援合戦も非常に盛んで、見ものの一つです。在校中のみなず卒業後も自分の色とこの行事への愛着は強いものがあります。
そんなわけだ。自分は青組だった。体育部には入っていなかったので応援団ではなかったのだが、中2の時の学年担当の高3が何を気迷ったか、「お前ら全員援団」として、普通文化系人間は皆逃げるのだが俺は逃げることが出来ず、高3まで援団をやり続けた。俺が援団ということはウチの母校の7不思議の一つに数えられていた。青組は4色(赤・青・白・黄)の中で1番きつい組だった。体育祭前の金曜日、渋谷ハチ公前でエールを切るのが「伝統」で、自分も青組応援団として高2のときは参加したし、高3の時も応援歌を切った。自分が母校にいた頃は黄色組の連覇が続いていて、自分が6年(高校3年生)のときに赤組が優勝して連覇記録が止まった。黄組の連中はみんな泣いていたが、自分も泣いた。結局、青組の優勝を経験することが出来なかったから。
高2の時、惜しいところまでいった。最後の種目、色別混合リレーで黄色組に負け、惜しいところで優勝を逃した。あの時、「青よく頑張ったー」とギャラリーが叫んで、眼から涙がすーっとでてきた。高3の時はぶっちぎり最下位で、最早負け方、散り方の問題だった。負け戦をいろいろ学んだものだ。
女々しかった私を、男らしくしてくれたのは体育祭前1週間、援団として振舞った経験が生きている。もちろん、普通の応援団と違って所詮は1週間限定である。普段は優しいと受験業界で有名な母校の先輩も、この週だけは鬼になる。体育祭があるから、先輩・後輩との絆、同輩との固い結束が生まれる。
自分たちと入れ替わりの代が引っ張ってくれたんだと思うけど、本当に嬉しい。ほんとうに、彼らには有難う、ご苦労様と言いたい。
次は、城研の大衆賞(@文化祭)……まあ、無理かなw
何かあればwebmaster@etilog.netまで