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2006/09/16(Sat.) [長年日記]

[ETilog9][Diary] 大曲全国花火競技大会

大曲の花火大会と言えば、それは花火大会中の花火大会である。

8月26日、ホントはアメリカ行く準備もしなければならないのだが、今年で東北最後という落し文句にあっさりと私は落城して行く気になってしまった。今回は、同輩・後輩総勢8名での旅路である。自分が行き出してからは雨にたたったことがない(行きだす前の年は丁度雨だったと聞く)後輩マスター氏のナビである。彼がトヨタ・アルファードのレンタルから、停めるべき場所から完璧な手筈を整えてくれていたので、今回は付いて行くだけであった。この場を借りて(自分の場所だから「使って」か)、改めて感謝。

珍しく遅刻者ゼロ(自分が少し遅れた)で、出発。国道46号を西へ。テクニカルターム乱発のマジカルバナナで車中は盛り上がる。運転手のマスター氏がおいしいところだけ持っていったり、「適齢期」という言葉に自分がグサっときたりしながら、角館までついた。

角館からは国道を離れるわけだが、ここで少し混んでいる。そんなもんかなと思っていると、果たして少し飛ばした頃には空きはじめた。大戦死大仙市内、大曲市街も快適に走ることが出来た。マスター御用達の駐車場にて車を停める。この場所はナイスポジション。だから詳述は避けておく。ただ、市内であれば3000円出せばいくらでも停められそうであった。ただ、路駐も多かった。よくない。

場所を確保するため、会場へ移動。ものすごい混雑に、いつものがらーんとした平和な大曲住宅街を想起させる。大曲駅前は人口の割には商店がある雰囲気であったが、少し出るとのどかに住宅が広がる風である。田んぼはあまり見かけなかった。

会場で場所のメドがついたので、食事へ。その食事をする場所も、「マスター氏御用達」である。いつもは平和そうなラーメン店だが、その日ばかりは戦場であった。

開始時間までだらだら過ごす。皆は車でトランプをしていたので、自分は街をぶらついてみた。スーパー、ホームセンターと小さいながらも生活には困らない環境。意外と喫茶店が多い。コーヒーでも飲んで落ち着こうかと思ったが、単独行動でそれは余裕かましすぐやろってことで止めた。

その後、皆でさらにまたーり。ババヘラアイスやら缶コーヒー(俺だ)やら。コンビニやホームセンターで涼めるのは良い*1。この時点でトイレに列である。でも、私が見つけた某スーパーでは女子用トイレが10人待ち程度なのに、男子トイレは1人程度の待ち、それも個室は空いているという事態になっていた。男女兼用のところは、どっちにせよ行列である。

夕方になったので、会場へ移動。相当な人出になり始めていた。

どうにかして、見学体制が整う。

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東北でここまでの人出を見たのははじめてだろう。

まもなくして昼花火が始まる。珍しいのだが、そこどまりのものである。ただ、30程度あるもののうち、3つほどうなるものがあったので侮れない。が、少し眠かったので花火の音を肴にここでは睡眠を取っておいた。

ここで、1時間ほどのインターバル。皆、食事に行ったりトイレへ行ったりしていたが、自分はアメリカ出張で行うプレゼンテーションの読み込みが全然だったので、祭りに来てまで仕事を持ち込むことに。私が飯を食べていないことを見かねた、後輩マスターが焼き鳥を3本ほど差し入れしてくれた。それを見ていた、ゆんぼとなっちゃんが、私は貢がれるタイプなのかなみたいな議論をしていた。私は貢ぐタイプだと思うが、岩手に来てからは貢がれた回数の方が多い気がする。良くない。


いよいよ夜花火の開始である。

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最初にあるナイアガラ系のものは、場所柄見ることがあまり出来ない。こればっかりは有料の座敷席でないと駄目のようだ。


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はっきり言って、凄い。右で打ち終わったかと思うと、左で打ち上げ始める。作りこまれた花火だから、単純な美しさではなく、変化の美しさが見て取れる。「定型」な割物花火は、シンプルであるが故に作りの手の哲学が垣間見れる。音楽に合わせた創作花火は、心を打つ。

ただ、その日私は花火の「音」に感動していた。もともと、火縄銃生産が戦国時代が終わって下火になったのでってことで出てきた花火、戦争産物がかくも平和に心を和ませてくれている現実に思いを馳せていた。

あと思い出してたのは、

「まるで焼夷弾の音みたいだ。戦争を思い出すな」

傍らにいた五十近い男が吐き出すようにいって、離れていった。思わず徹と陽子がそのうしろ姿を見送ると、男は松葉ヅエをついていた。戦争を知らない陽子は、そのとき生まれてはじめて戦争の、いいようもない恐ろしさを肌にじかに感じた思いがした。

[氷点 (下)より引用]

そう言えば、アニメーション映画の「火の雨がふる」では、お母さんに背負われた子供が、焼夷弾を「母ちゃんきれいだね」というシーンがあったかと思う。

浴衣姿も艶やかな女性も多く見られる「祭り」である花火大会で戦争学習なんて馬鹿げているが、花火は見ていられることの有り難さを一層感じさせてくれる。冷ややかな夜の風もセンチメンタルに、仲間の中にあってひとりそんなことを考えてしまった。


花火と言えば、どうしてもカメラで記録してしまいたくなる。以前のエントリで書いた通り、Caplio RXがイカれていたためLUMIX FZ-10をお借りした。これが通常モードではシャッタースピードが1/8にしかならず、大弱りだった。夜景モードはあるのだが、それだとシャッタースピードが8秒という、花火にしては長い露出になってしまう。Caplio RXではコンパクトカメラの癖に露出時間を指定することが出来るので、1秒か2秒でやっていけばいいのだが……致命的なのは、三脚がないということだったわけだが。

最後は、花火で明るくなったときにうまく2秒以下のシャッタースピードに出来そうなことが分かり、それで撮影を行う。それから裏技的なものとして、もしシャッタースピードが5秒以上にしかならないときは、ある程度花火を撮ったら煙もなく雲もないところへレンズをそむけてしまう方法が使えるかと気づいた。バッドノウハウってかんじだけど。

カメラを持っていってしまうと、花火そのものの楽しみのほかに、花火を撮る楽しみも出来てしまうのが悩みどころ。純粋に花火を楽しむのなら、決意を持ってカメラを持っていくべきではないのかもしれない。


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出し物としての競技の花火だけでなく、企業広告として提供される花火も多い。人権を守ろう!という旨の広告なのに、笑顔になるべきはずの顔が上下逆にしか出ず(難しいのだ)、このキャラクターの人権はどうなるんだとかつっこみをされていたり、「もったいない 母ちゃんそれが 悪い癖」に爆笑したりとこちらでも楽しませてくれる。

途中、東北電力の提供の花火で歌が流れていた。Hちゃんが「ettieさん、この歌分かります?」と尋ねてきたのだが、答えられなかった。そこに追い撃ちをかける一言が笑顔とともに発せられた。「東北の人なら皆知ってますよ」 やっぱり5年ちょっとじゃまだまだ東北の人間にはなりきれんっちゃことですわ。


時間も過ぎ、いよいよ大会提供花火に。

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すべての場所から打ち上がる花火。音も光もMAXである。


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皆、ケータイで写真を撮っている。上手く撮れていたのだろうか*2


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と、大会はまだまだ続くのだが、我々はここで撤収をすることにした。花火を最大限楽しんで、帰りの混雑に巻き込まれないためには、この時間で離れるのがベストなのだ(書いて大丈夫なのかな)。すごいスピードで混雑のなかを集団で歩く8人の集団。私は歩くのは速いことで有名なので慣れたものだったが、やっぱり走らないと追いつかないみたいな感じにもなっていた。おかげで、迅速に抜けることができた。

だが、タクシーで道が埋まっていたりする。秋田自動車道に入って、ようやくそこそこに流れるようになった。

あとは帰るだけ~なのだが、ゆんぼ持参のiPodから流れる音楽によって意識は消滅した。負けた。


無事帰着。


もし、これで飛行機があんなことになっても、最後に祭りらしい祭りを思い出として作ることが出来て良かったかな、と思っていたことは内緒である。

*1 無論、買い物はしてちゃんとお金落しておきました。

*2 ケータイならそれほどはっきりしてなくても満足出来るんだよなー

[ETilog9][地域ネタ] 谷藤盛岡市長はわざと愛称制定している

結論から言えば、盛岡ブランドが傷ついたのではなかろうか。

http://www.iwate-np.co.jp/news/y2006/m09/d16/NippoNews_6.html

結局、「盛岡城跡公園(もりおかじょうあとこうえん)」となったようで。ぶっちゃけた話、私のような歴史愛好者(城ファン、城オタク、歴史マニアなどなど)は、「盛岡城跡」に行くって感覚だろうから、その行き先が千秋公園だろうが霞ヶ城公園だろうが岩手公園だろうがあまり関係なかったりする。城研マンくらいの城愛好者なら、地図を見れば一発で岩手公園が盛岡城跡だって見抜けるしね。岩手公園は花見の名所でもあるけど、花見客は言いやすさが肝要になってくるだろう。「いわてこーえん」ってのは言いやすいが、「もりおかじょうあとこうえん」はまだ長ったらしい。まあ、「もりおかおしろあとこうえん」よりはマシだっただろうが。上がったものでは「もりおかじょーしこーえん」は語呂良かったけどな。

さて、私としては「やるならそれでもいいけど、ちょっと欠けてるものが君たちにはないのかね」って立場だったわけだが、最後まで賛成に回りたくない体たらくだったなあ。

岩手日報や在盛のテレビ局はいろいろこの問題を取り上げていたようだけども。日報には私と同じ意見がきちんと載った。

市内の建築家伊山治男さん(60)は「これまで使われてきた『岩手公園』とどう使い分けるのかあいまいな部分が多い。公園にゆかりの作品がある石川啄木、宮沢賢治の研究家が異論を唱えないのは不思議だ。名前や由来の持つ重みをもっと真剣に考えるべきだ」と議論の不十分さを指摘する。

[盛岡市が6案に絞る 岩手公園名称問題より引用]

皆に祝福されるのでなく、疑問符も残る中でこういう方向に決定づけられたのは惜しい気がする。結局、改称賛成派は盛岡城跡としてのビジョンを示せぬまま、そして、文学的価値の持つ岩手公園に唾するのみで改称を強行した。開園100年に改称しなければならない義務感もあったのだろう。

盛岡市民ではない私は遠慮なく言うが、この改称は盛岡市民30万人の自己満足でしかない。盛岡のエゴとして、盛岡に泥を塗った面は少なからずあると言わざるを得ない。盛岡市民の中には、反対の人も大勢いらっしゃるだろうが、盛岡市が改称するということはそういうことである。奥州市という市名を望まない奥州市民も、「僭称」たる奥州市を使っていかなければならないのと同様に、盛岡市民もこの愛称と心中しなければならないだろう。今からでも遅くないから、南部藩の城下町の中心であった盛岡城の現代における在り方を、改称という作業にパワーを使い果たして満足しきって燃え尽きているであろう市長・市役所に代わって考えていかなければならない。

おっと思ったのは、朝日新聞の地方版。

また、国指定史跡としての城跡の名称が「盛岡城跡(じょう・あと)」であることから、「愛称として違和感がない」(市幹部)と判断した。

[asahi.com:岩手公園の愛称 「盛岡城跡公園」 - マイタウン岩手より引用]

だったら、愛称とか訳分からないこと言わずに、「今後盛岡市は、盛岡ブランド促進のため、公園名ではなく国指定史跡の名称をパンフレット等に採用する」と宣言すれば良かっただけな気がしてならない。ま、ここで第2意見だった「盛岡お城跡公園」を採用するとか、アンケートに真っ向勝負するようなことはしなくて正解だったとは思うけど。

とにもかくも、岩手公園はこの一件でけっこうクローズアップされたのではないか。広告宣伝効果はどれくらいだったかなぁとか考えている谷藤市長のにやけた顔を想像するのも悪くない。


じゃあ、最後に蛇足。そんなに盛岡ブランンド盛岡ブランド言うんなら、岩手県を盛岡県に改称することを考えたらどうだろう。1817年以降は、下北のあたりも「盛岡藩」だったのだから。磐井・胆江のあたりはそぐわなくなっちゃうけど、それは「岩手」も同じだし。藩名をつけることかなわなかった、戊辰戦争逆賊の汚名を今こそ晴らすのじゃあああ!!!って、焚き付けるだけ焚き付けておく*1

*1 もしかしたら、今の盛岡市は岩手ブランドではない盛岡ブランドに魅力を感じていて、岩手の他のものと一緒にしないでほしいわよふんっ、とか考えているのかもしれないけど

[ETilog9][Diary] 世間は3連休

なんか、この3連休は珍しく(?)テレビを見ている気がしてきた。久々だなあ。


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