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2015/07/19(Sun.) あなたにあげたい [長年日記] この日を編集

[Review][Book] リブロに学ぶ仕事術

リブロ池袋本店が2015年7月20日で閉店する。期せずして、2014年は以下の3冊の本を繰り返し読んでいた。

「今泉棚」とリブロの時代
今泉正光/著
論創社
¥1600

リブロが本屋であったころ
中村文孝/著
論創社
¥1600

書店風雲録
田口久美子/著
筑摩書房
(no price)

私とリブロの接点は、西友町田店にあったリブロ町田店(1996年3月開店)だ。私はニューアカの砦だったころのリブロ池袋本店を知らない(中に入ったこともない)。でも、町田のリブロはよく通っていた。ファミマの子会社になったリブロ新体制の頃の開店だが、まだまだ残滓は多分にあった頃のリブロだったはずだ。茶色の濃いブックカバーの紙質も好きだった。歴史小説やパソコン書籍、学習参考書をそれなりに買ったのではないか。そして、歴史書の品揃えが通学途上小田急沿線の書店では素晴らしく、リブロは「好きな書店の一つ」になった。


書店そのものに興味がある状態で、書店について書かれた本はよく読んでいた。そんなこともあり、町田でなじんだ書店であるリブロの本も立て続けに手に取ることになった。結果、書店における仕事というものが見えてくることになり、1年で何度も読むことになった。

"書店風雲録"には、本が売れたらとにかくストックから補充することの大事さを説く今泉氏の姿が見えてくる。

「こまめに売上カードを回収して、ストックのある本はすぐに補充する。それが本屋の仕事だ」

なんてことはない。在庫があるのに販売するロスをとにかく防ぐという商売としての基本を、店長として徹底していたのだ。なんてことはないというが、何事も基本を守り抜くのが一番難しい。難しいが、体にたたき込まないと仕事は出来ない。

"リブロが本屋であったころ"は中村氏の書店談義が満載である。中村氏によると、小学生の学習参考書と中学生の学習参考書は通路を替えて、必ず背中合わせにする。なぜなら中学生がその通路になっていたら、小学生はその通路に入っていけないからだという。実用書であれば、前に囲碁将棋、奥に手芸の本が置いてあったりするのは、基本的なマーケティングがまったくできていない。これらは、利用者の立場に立って、利用シーンを想定し、徹底的に思考を積み重ねていった結果なのだろう。お客様の立場に立つのは、商売の基本スタンスだ。


今泉氏も中村氏も団塊世代であり、リブロ全盛期にはアラサーからアラフォーにかけての脂がのった頃であった。中村氏は地方・小出版流通センターのフェアを百貨店でやる際、百貨店の催事部に「ふるさとの本まつり」というタイトルで企画書を出している。百貨店の催事部が喜びそうなこのタイトルにより、百貨店にはNHKの取材も入り、売上をはるかに上回る広報価値を百貨店にもたらした。中村氏は言う。

相手をよく見ていわないと駄目なので、最初から言葉を選んでいる。つまり現地へいったら現地語でしゃべる必要があるし、それは痛感していたからね。

会社により言葉が違うのは当然だ。だが、部署によっても言葉使いというのはそれなりに違う。営業でしか通じない、技術でしか通じない言葉というのは多分にある。仕事を効率よく進めるには、なによりも現地語で説明するのが手っ取り早い。社内の人間を味方にするのに手を尽くすのであれば、あらゆる現地語を覚えるに限る。あらゆる現地語と、現地の作法(話を通るべきキーパーソン)を押さえた人間は、強い。

池袋店の店長となった今泉氏は、百貨店との関係の前面に立つようになる。利益率の低い書籍売場に対しても、西武百貨店は他の売り場と同様に絶えず厳しい数字を要求してきたという。とはいえ、毎月達成できると限らない。だから、年間を何勝何敗でいくかが大事だという。年間6勝6敗でオーバーしていれば何とかクリアーとなる。予算に行かなければ検討会が開かれる。百貨店の店長・部長・役員が並んで査問されるのだそうだ。気の弱い人は追い詰められてノイローゼになるという。それが、厳しい流通の最前線ということになる。だが、今泉氏は査問にかけられても、大学時代までの議論の積み重ねの経験を元に、何を言われても、突つかれても、論を切り返し、納得させていったという。今泉氏は言う。

要するに言い訳名人になることが必要なんです。

そう、大事なのは「言い訳」なのだ。

「言い訳」というと良い響きではない。だが、出来ない理由でもっともらしい話があると、途端に皆が腑に落ちる。

営業が商品クレームで謝りに行く。そこで、納得のいく理由があればお客様も仕方ないかということになる。なんてことはない。営業が謝っているお客様は、社内で謝る必要があったりする。自分が謝る際の武器は、あらゆる盾を貫く矛となる言い訳である。

言い訳でも屁理屈でもいい、事象に対するまっとうな理由が仕事では必要なのだ。「言い訳するな」と言われても、論を切り返し、「ほう」と言わせた人間の勝ちである。


結局、仕事の質をより高めていくにはリブロ初代社長の小川道明が『棚の思想』で述べた「恐れを知らぬ対話」しかない。議論とデーター分析に尽きるのだ。

リブロは複数の人間により証言が書籍化されており、1企業としてのケース・スタディとして語られていることが突出して多い。「あのリブロ」として語られる一連の書籍からは、80年代のセゾン文化特有な時代情勢だけではない。いつの時代にも当てはまる、「本屋としての基本」「本屋として生き残るためのテクニック」から学ぶことが出来る「あらゆる仕事で大切な、基本を守ることの重要さ」「あらゆる仕事に適用できる仕事のテクニック」なのだ。


2015/07/20(Mon.) セクシー担当になりたい [長年日記] この日を編集

[Review][Book] 今泉正光氏が語る「理想の書店」

"「今泉棚」とリブロの時代"の本文中、級数を下げられた注釈扱いだが、今泉正光氏が実現しかった「理想の書店」が語られている。リブロが地下1階に降りる時のリニューアル検討のくだりだ。

私は中国・ヨーロッパ・日本・イスラム等の文明史のBookインShop、また、十坪くらいのKeywordによる十軒くらいの本屋のストリート街(半年から一年度で内容を変更する)を作りたかった。

Keyword、Keybook、Keypersonはニューアカの砦たるリブロを語る上でのコンセプトワードだ。池袋の百貨店内に書店街を作ろうとしていたのだ。書店の粒度という概念に対する重大な問題提起をしようとしていたのではないか。総合書店において、「ついで買い」を誘発させるのはどこまで可能なのか。人文書とアイドル書籍、哲学書と料理本がセットに売れるのか。全く違う分野より、同分野の関連書籍の方が「ついで買い」が期待されていたとみるべきだろう。知の海図たる今泉棚がある程度閉じた分野の関連書籍サジェスト機能だった前提において、書店に人を吸引するには「特定の分野における絶対優位な書店」という看板が必要と考えられていたのだろうか。

2015年現代、これらのBookインShopが比較的実現しているのは蔦屋書店ではないか。代官山蔦屋書店、MORIOKA TSUTAYAなどは、広い空間にボックスで区切った書棚を配置する手法を多用している。ただ、人文書でなく実用書や旅行・地図の書籍での実現となったあたりは時代というものだろう。「ついで買い」というよりも書店空間の充実の側面でしかないと思われるが、リブロを買収した日販帳合のスター書店であるCCCが実現しているのが皮肉でならない。

また、その他の書店のエッセンスとして以下も語られている。

  1. 都会のオアシスとしてのBookセンター内を空調で上高地レベルにすること。
  2. ニューヨーカーの書評に対して、リブロ・クリティックスを創刊する
  3. ニューヨーク、ロンドン、パリなど特派員と契約し、世界の文化情報を顧客に提供する

「2.」「3.」は80年代らしい動きを見て取れる。80年代後半から90年代の国際化のうねりは凄かった。それまでの遠いあこがれから、生の情報を求める風潮に沿ったものだろう。

が、ここで刮目すべきは「1.」だろう。


書店、暑すぎませんか?


震えながらでも知識欲があれば活字を追ってしまう。だが、汗がだらだらでは読むのも憚られる。紙の本が濡れてしまう。知に応えるべき環境温度に言及した書店員は本書の今泉氏以外に居ない。上高地の高原のような環境こそが、本を読むに相応しいのであった。思えば、古くは渡部昇一が"知的生活の方法"で、書斎にはクーラーを入れるべきと力説していた。

上記は実現せず、結果できあがったのが「-POST」であり「CONCORDIA」であるわけで、それはそれでひとつの成果なのであるが、なぜ実現しなかったのかは書籍で確認して欲しい。

「今泉棚」とリブロの時代
今泉正光/著
論創社
¥1600


2015/07/21(Tue.) 噛み7 [長年日記] この日を編集

[Review][Book] セゾンにとってのリブロとは何だったのだろうか

青土社のユリイカ 2014年2月号「特集 堤清二/辻井喬」、に、中村文孝氏と田口久美子氏の対談(というか、田口久美子氏による中村文孝氏へのインタビュー)が掲載されている*1

同記事にはリブロについてそれまでの書籍になかった話題や新視点が多いのだが、あまり話題になっていない。


読んでいてちょっと驚いたのは以下のくだりだ。話は、ジュンク堂副店長だった中村文孝氏が、2007年にジュンク堂池袋本店のイベントで辻井喬と話をしたときの証言である。

言い過ぎかもしれないけれど堤さんはけっきょく小川(道明)さんのことも評価していなかった。

堤清二が詩人・小説家なだけでなく、経営者でありビジネスマンであった。堤清二がその間を揺れ動く以上、「小川さんもある意味経営者的に変節しなければならなかった」としている。

一方、リブロ池袋閉店の末期を飾ったカルトグラフィア企画展「堤清二/辻井喬展」で展示された2010年のリブロの社内報では堤清二の寄稿が展示されていた。そこでは、西武百貨店の書籍売場をみて、書籍は専門の売り手を育てねばならないと気づいたことが書き起こされ、リブロが特色ある書店になったのは初代社長の小川道明の功績だとされている。

まさに、矛盾・分裂する堤清二/辻井喬の率直な思いを網羅しており、どちらも正しい認識なのであろう。リブロが特色ある書店になったのは事実だ。だが、もっと経営として上手く出来たのではないか、と。


ユリイカ誌にはもっと重要な指摘がなされている。リブロで実現できたことは、との田口氏の質問に対し、中村氏は「学参で稼ぎながら、美術と人文と文学という三悪ジャンルのような分野をやって、視野狭窄になったふりをしてマイナー志向のお客さんを集める」こと、自分の意志で売ることをするようになったことがうれしかった、としている。それを受けて田口氏が

それは西武百貨店の売り方でもありましたよね。平場のプロパーもちゃんとつくるし、とんがったショップもつくる。その両方を活かしたというのが西武百貨店が他の百貨店と違うところだった。

と返している。「リブロは西武のミニ版なんです。」と中村氏が受けて対談が続くのだが、なんてことはない。ラーメンデパートと呼ばれていた西武百貨店を立て直そうと努力工夫していた堤清二の書店版がリブロだったわけだ。三越、そしてダイエー。紀伊國屋書店・丸善といった同業のガリバーに対抗するには同じことをやっていても仕方ない。如何に差別化するか。その結果がリブロの特色になったというわけだ。差別化はするが、基礎体力を培うために独自性を出すに過ぎない。田口氏の"書店風雲録"でも、総合書店においてはひとつのジャンルはあくまで店の売り上げの数%であり、学参や話題書や雑誌や児童書などの日々の積み重ねが重要で、それらの分野が堅調であったのでポストモダンが終息を向かせても、リブロの売上は順調だったと述べられている。

スーパー出身の書店は多い。だが、百貨店出身の書店はリブロだけである*2。陳列業で返品が出来る点は百貨店業界と出版業界の類似点が対談では指摘され、自主編集への回帰が書店においても起こるかもしれない、と中村氏は言及している。


ユリイカの特集では、飯田一史氏が「堤清二の事業の実態はオペレーション軽視、一番乗りした事業はほとんどなく、独創性は皆無」という論考を寄せている。事実だろうが、いくら編集部の要請あっての論調とはいえ冷たく一方的に過ぎる気がする。セゾングループは流通業の覇者であったダイエーと比して、クレディセゾンや無印良品など残ったものが相対的に多く、旧セゾングループ各社では西武生え抜きの人材が堤清二引退後それぞれの会社をリードしていた点が特異である。とくに後者は大きく、ダイエー出身者はダイエー以外で名をなしていることが多いが、旧セゾンの会社の各社の経営者はでは堤清二との関わりについて触れられることが多い。堤清二の下だから経験を積めたとする一方、堤清二を否定することをみんなやっている。部下は上司に似るという。皆堤清二のように分裂したアンビバレントを内包して経営者したわけだ。セゾンは人を育てることに成功したといっていいだろう。セゾングループこそ解体してしまったわけだが、ある意味あらゆるところに散らばってセゾンのDNAが生きのびているわけだ。セブンアンドアイにも大丸松坂屋にも伊藤忠傘下にもセゾン上がりの企業がおり、三越伊勢丹傘下の岩田屋にリブロが入っている。そして、高島屋までもクレディセゾンのカードを出してるわけで、すさまじい影響力である。無印良品以上に成功したプライベートブランドがあったのだろうか。西友ですらウォルマート化して個性的に生き残っているのだ。

経営者として会社を存続させないことには成功とは言えないが、セゾンには事業として残ったものが多い。堤康次郎の資本をあらゆる生活に分散し、豊かさをばらまいたともとれる。西武百貨店のプレゼンスを高めるための手段がエルメスほかの海外ブランドであり、セゾン美術館であり、スタジオ200であり、リブロであった。リブロのプレゼンスを高めるための手段が、大理石のブックフェアブースであり、今泉棚であり、アール・ヴィヴァンと一体化した美術書棚であった。商業としての工夫、と一言で言えてしまうわけだが、商店の工夫こそが消費者の愉しみなわけで。

特集*堤清二/辻井喬 : 西武百貨店からセゾングループへ…詩人経営者の戦後史

青土社
(no price)

*1 百貨店という箱庭~西武百貨店とリブロの入れ子構造~

*2 今のリブロの半分はスーパーたる西友・いなげや出身であるが


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