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2006/08/02(Wed.) [長年日記]

[ETilog9][Place] 郡山の街を歩く

私は、高校時代に属していた同好会の合宿のおかげで、日本各地の城を廻ることができた。城へ行くということは、半分以上が「主要都市へ行く」と同義である。もちろん、中世山城のような城も「軍事施設」の粋を凝らした趣向を垣間見ることが出来て良いのだが、やはり私は、その歴史の連続性を感じ得る近世城郭が好きである*1

だが、旧城下町でない大きい都市となると、なかなか行く機会がなかったりする。途中、宿泊のためだけに立ち寄ったり、古都古寺がらみで訪れたりってことがあるのみで、港町や宿場町というのは疎遠だったりする。ただ、だいたいの県庁所在地が旧城下町であることが多く、だいぶ見てこられたというのが実際である。

翻って、東北。盛岡……これは私にとって最早特別な街だから、「別格」であるとして、山形、仙台……これらは、立派に城跡があり、高校時代に訪ねる機会に恵まれた。秋田は、卒業旅行で訪れることができた。青森はそうではないが、幸い、行く機会に恵まれた。福島だけが、あまり歩く機会がなかった。いや、会津若松は2回降り立っているからよいとしても、いわき地方は1回通ったことがあるだけだったし、福島・郡山といった中通りは既に十数回から数十回通ったことがあるはずなのに、歩いた記憶がない。これはいけない。そう思いながら、途中下車しようしようと思うのであるが、なかなかそうは行かなかった。実家のある首都圏に帰れば、家族もおり古い友人もたくさんいる。幸福なことに用事は多いのである。帰るのはいつも夜のはやてである。

今回、夜行列車で朝に東京へ着く。これは福島を見てまわるチャンスである。私は、生まれて初めて、自分が生まれ育った関東を「素通り」する決意をあっさりと固めた。まさしく、東京パッシングである。

予定外に4時間ロスしたが、MAXやまびこ号へ乗り込む。指定席では窓側は埋まっているとのこと、やまびこ号もはやてに劣らない混雑ぶりである。いや、はやてよりも混雑しているやも知れぬ。かつては、多くの「スーパーやまびこ」が福島県内に停車したのだ。それが、今では仙台-盛岡ノンストップでないはやて号に苛立ちを禁じえない自分になっている。自分も、ずいぶんと人生を生き急ぎたくなったようなものである。今回は、完全に各駅に止まるやまびこに乗った。小山から那須塩原から全部とまるやまびこに乗ると、のんびりとしていて良い。無論、途中で追い抜かれていくのだが、それでも在来線特急に比べると贅沢な通過ぶりではないか。速すぎず、遅すぎることもない。旅ってこんなんだったろうなと、思わずにはおれなかった。

郡山駅へ到着。

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郡山の街は、賑やかだった。駅直結の商業施設には、人があふれている。同じ休日でも、小山や宇都宮とはまた違うようだった。早速、駅から出てアーケードのある商店街へ。シャッターの降りている店も少なく、いいじゃないか。そう思っていたら、歩いて1分もしないうちに、私は思わず立ち止まるような光景に出くわした。

……ポルノ映画館である。

艶やかな看板が、いくつも目に入る。その場からちょっと目をやると、親子連れも歩いている。郡山はなんて解放的街なんだろう。……いや、少し最初から裏通りに行ってしまっていたようでした。

目抜き通りへ出て、開成山公園までは行って見るかと歩きだした。……今にして考えると、すこし無謀だったようだ。遠い。しかし、びっくりするのは、延々と歩いてもなお果てることのない郡山の街である。無論、ちょっと入れば住宅があるようなところではあるのだが、それでもオフィスビルが途絶えることはない。大きい。郡山の街に対して考え新たにしたのであった。

ようやく、郡山市役所のあたりまで着いた。

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開成山公園は、この近くである。

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ふつう、このテの30万都市級の町は、旧城下町であり、市民の憩いの場所が城址だったりする。しかし、城跡というは、石垣巡らされた山だったり岡だったりである。二の丸や三の丸が憩いの場となり得ないこともないが、こうやった水があふれる、ゆるりとした遊び場とはなり難いのである。

私は、ここで疑問に思った。旧城下町でもない郡山が、なぜここまで発展したのであろうか。私は、自宅に帰ってからその答えをネットで探すこととなる。


さすがに疲れたので、帰りはバスで帰ろうと思った。市役所前で待つが、なかなか来ない。しびれを切らして歩いて帰ることを決断して60mほど離れた瞬間、バスは立て続けにやってきた。悔しくなったので、意地でも歩いて帰ることにした。

郡山駅までの途中には、共学化された安積黎明高校があったり、ショッピングセンターである「THEMALL」があったりする。郡山はだいぶSCが出たともいうが、それでなおあの市街中心部を保ちえているというのは、ずいぶんな街のポテンシャルである。

途中で、ブックオフに寄って古本を物色。文庫1冊とCD1枚を210円で購入した。

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その後、市街中心部をいろいろ見て回る。

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ヨドバシカメラでは数少ない、県庁所在地外の店舗である。前から1回は行ってみたかったのだ。10年位前からあまり変わっていないのではなかろうか。それでも、車の列は相当に長かった。

丸井もあれば、うすい百貨店も健在。正直、秋田の街とは比較にならない元気の良さである。

お約束(?)で、駅のウラにも行って見た。

期待どおりか、がらーんとしている。タクシーがちゃんといたので良しなのではないだろうか。びっくりしたのは、非常に長大な連絡通路である。長い。本当に長い。


郡山は、農業も旧新潟市を上回る米生産量だったと言うし、工業もだいぶ企業が進出したと言う*2。自然にそういった産業の活力がわいてくるのか、吸引力があるのか。放っておいてもいきて行けそうな都市だ。ただ、その分「観光」としては辛いのが泣き所なのかもしれない*3。しかし、観光に頼らずとも良く、「政都」でなくともやっていけるとは、東京でも享受し得ない幸せな位置にいる市である。


暑い中を歩き疲れたので、スターバックスのバニラフラペチーノをチューチュー吸い込みながら、東北本線の普通列車へ乗り込んだ。東北本線の郡山以北に乗るのはおそらく3回目である。出来るだけ多くの景色を見ようと心に決めながら、郡山をあとにした。

*1 そういう城は、よく分からない模擬天守が安易にポリシーもなく立てられていたりすることもあり、残念ではあるが

*2 このあたり、ウィキペディアを参考にしました

*3 http://www.kanko-koriyama.gr.jp/kankou/index.phpにあるように、十分資源あるだろって突っ込みはあるかもしれない。これは、私が歴史遺構に興味が傾いているがゆえの偏見かもしれない点は書き添えておく

[ETilog9][Place] 二本松城址で二本松藩の歴史に思いを馳せる

行ったことのない出来るだけ著名な城は攻めておこう、という気があり、福島県で立ち寄るべき箇所として二本松をチョイスした。二本松といえば、やはり二本松義継と伊達輝宗の相討ち(というか、伊達政宗の無差別発砲か?)だろう。とりあえず、城へ向かおうとすると、途中に資料館があったので寄って見ることにした。

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資料館に入ると、暗い。……かつて、水沢の記念館(斎藤実・高野長英・後藤新平)を回ったときもそうだったが、あまり人が行くようなところではないらしい。「大人一枚」と告げると、資料館の方は館内展示室内の電気をつけてくれた。館内は、冷房も効いており、まったく人が来ないと断定していた様子ではないようだった。

館内1階は、二本松ゆかりの芸術家による絵画や彫刻が展示されている。さほど興味もないので、いつもなら見ないでスルーしがちであるが、今回はわざわざ電気をつけてくれたってこともあり、見ないわけにはいかないのであった。しかし、これだけの芸術家が二本松に集中していたのは驚きである。

2階へ。2階へ古代から今に至るまでの二本松の歴史について展示している。もっと、二本松氏について触れられていても良かったのではないかと思うが、メインは丹羽氏が入って以降の二本松藩の歴史のようであった。

ところで、ここで謎がある。戊辰戦争のとき、奥羽越列藩同盟に組みした二本松藩であったが、親藩・譜代の会津・庄内両藩はともかく、二本松藩は必要以上に戦いを官軍に対して挑んでいる。ここで、「時勢を読めなかった守旧固陋の藩」と断定するのはあんまりだろう。あくまで、助命嘆願が発端だった奥羽越列藩同盟に対する薩長側の不誠実にぶち切れたというのは、いかにも東北人らしいではないかという感想を持つのは、私が余所者ゆえであろうか。私は、あくまで血祭りをやりたかった薩長軍を責める気にもなれない。彼らは彼らなりの怨念があったのだろう。幕末にまできた歴史の悲しみは、それぞれが背負っているもののしがらみがありすぎることであり、逆に幕末が戦国時代に比べてつまらないとされるのもそのあたりの重さが理由かもしれない。背負子の重みは、近現代に生きる者すべての宿命であり、それが悲劇の伏線でもあり、一度ハマったら逃れられない近現代史の醍醐味である。

資料館では、かの有名な「二本松少年隊」についても詳しく触れられていた。二本松藩の悲劇は、官軍が迫って来るのが一番早い場所に藩があったことかもしれない。仙台藩や盛岡藩は、みちのまだ奥にあり、それで新政府軍にswitchした久保田藩を攻めていられたというのは相対的幸運だったのかもしれない。二本松藩・会津藩といった前門が崩れるのを見ることとなったのである。これが、地理的位置が逆だったら、仙台藩や盛岡藩が二本松藩や白川藩のように居城を攻撃される運命になってもおかしくなかったのである。

二本松城へ移動する。これが遠い。なにせ、細い住宅街としか思えない道を、山を越えて行くのである。駅からひと山越えて行く城というのは珍しい。

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霞ヶ城に到着。駐車場も完備していて、立派な石垣が迎えてくれる。入り口には二本松少年隊の像がある。

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門を越えて、二の丸では「二本松菊人形」の準備がなされているようだった。

こちらはだいぶ盛況のイベントのようで、城の入り口も一部立ち入り禁止になっていた。ところが、山の上は立ち入り禁止になっておらず、降りてきたら立ち入り禁止のところへ出て来たというわけである。

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工事を担当している人たちに、「城に入っても良いか」と聞くと、全く構わないという。早速城を登り始めた。すぐに、池がある。小さな滝もあり、ずいぶんと変わった城である。洗心亭、傘松などを見ながら、展望台に到着。

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晴れた日には磐梯山も望めるのだろうか。とにかく、山に囲まれている点では岩手に似たようなものである。


本丸へ来た。

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歴史資料館でみたところだと、二本松市は相当のお金をかけて、本丸の石垣だけを復元するということをやっている。つい天守とか立てちゃいそうなものであるが、この石垣の整備は、「遺構である石垣を保存するために」やったものだという。高松塚古墳の放置による文化財破壊の件を見ても、こうした「埋めることによって保存を図る」という決断に舌を巻いた。

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本丸から二本松市街を望む。十分城が高い位置にあるので、別段天守がなくても眺望は確保できるのであった。

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蒲生氏郷によって整備された「大石垣」 あの、穴太衆の手による石垣を東北で拝めるのである。

しかし、二本松城は随分な城である。伊達政宗が攻めあぐねたと言うのも分かる気がした。


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二本松の街は、老舗の和菓子店が並んでいたりと、しっとりとした上品な街で大変に好感が持てた。だが、よく考えると二本松「市」なのである。市中心部としては物足りなさも感じる。人口6万の市ならこんな売り手も買い手も顔見知りでいられそうな商店が並ぶ街の方が安心出来そうである。

二本松は、どちらかというと戦国時代の故事ではなく、丹羽氏の歴史に親しみを感じているらしい。連続性をそこにもっているというところだろうか。福島へも郡山へもアクセスしやすく、その点ではなかなかに住みやすかろうが、「二本松県」だったのに県庁や商業集積をそちらへ持っていかれた悲運の都市とも言える。だが、豊臣秀吉の織田家からの天下争奪を許してしまった丹羽長秀の怒りの男気を脈々と受け継いでいるような気もして、悪くは感じないのだ。

[ETilog9][時事ネタ][地域ネタ] 梅雨明け

気象庁は2日、東北地方が梅雨明けしたとみられると発表した。

[Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 東北地方で梅雨明け、これで全国すべてより引用]

何がうれしいって、東北南部と同時に梅雨明けしたこと。

だいたい、今までは東北北部だけ延々と梅雨ってカンジだったからなあ。

で、さんさの最中も梅雨による雨が降ってて、さんさを踊り終えると「夏もおわったぁ」ってなって、「んなばかな?」とか思ってると2週間くらいで涼しくなり始める盛岡歳時記…これで、さんさも熱気帯びた夏のひとコマとして今年はなりそうですわな。

[ETilog9][Place] 福島市街散策

二本松から福島へ。移動にはたいした時間もかからなかった。福島駅は駅ビル直結改札へ出て行くひとが多いようだった。

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福島に降り立ったことで、東北六県の県庁所在地はすべてコンプリートである。

とりあえず、歩いて見る。福島の街は賑やかではないとも聞いていたのだが、車は多く人が歩いていないということはない。おしゃれなつくりをした道もあり、危機感を覚えるような侘しさというものとは無縁のようであった。

途中、福島城堀跡という看板がある。福島城は明治維新後、破却の上堀も埋め立てられ、今の官庁街になっているという。福島藩は3万石の小藩だったが、今では県都になっている。だが、地理的に北に偏りすぎていて、郡山への県都移転が何度も言われてきたのは分からなくもない。福島県内のテレビ局のちょうど半分が郡山に本社を持っていることからも、福島のディレンマが伝わってくるような気がしていた。

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国道4号まで出て、架かる橋から阿武隈川を望む。盛岡と同じく、福島も川に挟まれた要害の地にあるが、駅から大きな川(盛岡だと北上川)までのキャパが広く、川までにすべて収まりきっているようだった。

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福島県庁。警備員のひとの直立不動が印象的だった。

中合百貨店のなかへ入ってみた。中合といえばあのダイエー系の百貨店で、東北以北の百貨店事業をすべて受け持つことになったことで話題になった。中は……秋田の木内には圧勝、北上のさくら野にはやや及ばず、盛岡の川徳にも及ばず、中三の盛岡といい勝負って程度の人入りである。もっとも、エレベーターの利用率はよかったので、見たフロアが悪かっただけかもしれない。……だが、地方の駅前百貨店と言うのは(言葉は悪いが)どんぐりの背比べなのかもしれない。さくら野が唯一撤退したというのも分からなくもない。街に人がいるのだが、店の中が賑わっているってこともない。駅ビルのエスパルは相当の人出だったから、いわゆる百貨店の地位低下という範疇の問題であって、地方経済活性化で扱うエリアではないのかもしれない。

駅反対側へ。……と思ったが、どこからいけば良いのか分からない。しゃらくせェってんで、入場券を買って通り抜けてみた。そしたら、東西自由通路というのを発見した。そんなもん。

駅前にイトーヨーカドーが聳え立つ西口。1階の食品売場メインの利用がなされているようだ。吹き抜けの階段にあった七夕飾りが微笑ましかった。


福島は、北へ行けば東北最大の商業集積仙台、南へ行けば東京商業圏の東北出張所たる郡山があり、なかなかに商業としては厳しい側面があるかもしれない。だが、選択の自由がこの県庁所在地には与えられている訳で、山形新幹線も相まって、南東北のコア足り得る都市でもある。だが、同じく北東北のコア足りえる地理的位置を有する盛岡と違って、東京からの最短地点でないこと(大宮からならはやて利用で仙台の方が早く着く)、そして、その仙台からも山形・福島へ等距離で繋がれることという、ハンデも背負っているのが事実だ。福島は農業・工業では悪い話をあまり聞かないが、その好調さが故にひとまとまりってやりかたがし辛い側面もある。だが、各都市が勝手に競い合って個性を出しながら都市のヒットポイントをレベルアップによって高められていくと、福島県民の粘り腰強い気質も相まってなかなかに侮れない地域になりそうである。ライバルとしてみれば、誘致合戦で足を救われるだろうし、同じエリアの隣人という枠があるのだとしたら、これほどに力強い友人はいないということになる。

福島県中通りは、戊辰戦争で逆賊の汚名を背負った会津の苦渋、仙台の苦難、盛岡の忍耐とはまた違って、意外とのほほんと明治・大正とやってこられた気がする。その傍目からみた釈然ぶりと、小型原子炉のような尽きることのない継続して発せられるエネルギーが魅力的である。


[ETilog9][Train] MAXやまびこ1階席

かえりは自由席で仙台まで。2階席が混雑していたので、1階席へ。

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目線が駅のホーム! 歩いている客を見上げるようなかたちだ。

たまにはこれもいい……って走行中は

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と、こうなるわけでした。


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