«前の日記(2005/09/24(Sat.)) 最新 次の日記(2005/09/26(Mon.))» 編集

ETilog.net

2004|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2013|01|02|03|04|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|04|

2005/09/25(Sun.) 垣間見 [長年日記]

[大学] 今回の登山

私が機材下ろし登山に参加しただけでも快挙ですが、車も出しました。帰りも運転してきました。

[大学] 初・研究室登山機材なし

※このエントリは、8月28日第2項とあわせてご覧ください。

8時半に大学に集合し、出発。後発隊のメンバーは、先生、M田さん、ヒロ君ことえろき、ちいちゃんことおっさん、Yすけ君ことマッスル(逆か)、そして俺と6人……俺だけ体力的に場違いだなw

滝沢分レローソンにアベニールで寄ると言う、takaやなっちゃんが心配しそうなことをやりつつ馬返しへ。車多いぞ。

記念写真を撮ってから*1

登山者カードへ記入して、いざ登山開始(午前9時35分)。機材なし登山で1回経験しているから楽勝だぜっ……と思っていたのはつかの間。3年生3人がハイスピードなのなんの。やっぱり元気だなあ…って、俺は辛いですから! なんと、1合目まで30分で到着した。機材有りの半分の時間である。私は後ろを向いて風景を愉しむ体力がないほどに青色吐息、先生も少し疲れていた。2合目までも15分で到着。なお、そのときの私のへたり具合は、Yすけ君がもっていったHDVカメラでフルにHiVision画質で収録されているw というかあんな重いのもって登山できるなあー 私がとろとろ登る間に風景撮影を十分していたようで。正直、15分かけて2合目到着に到着したときは「このまま上に言ってもこの体力では荷物になるだけだから、いまから引き返そうか」と思うくらい本当に辛かった。去年の岩手散華残部岩手山下山部(凄い誤変換されたー)の誰よりもバテていたとおもう。3合目に着いてハイチュウをもらってから少し体力が復調しはじめる。まあ、ペースは遅いままだけど。10分で4合目着、15分で5合目着。もちろん合間に休憩挟みながらだが、ヤングパワーは楽勝みたい。仕方ないので、一緒に登っていたProf.とM田さんに「あの3人とこっちの3人では年齢差40歳あるんですよね」とか言って誤魔化す(「僕が平均上げてるんじゃないかな」by教授)

Prof.が5合目でパンを食べたら、体力が一気に回復。ハイスピードでおいていかれはじめる。かわりに、ヒロくんのスピードが落ち始める。高山病のようだ。6合目にいたときに12時になる。ようやく、デジカメを取り出す気力回復していた。前に3年ふたり&先生、後ろにひろ君と付き添いのM田さん、挟まれて私はひとりでとぼとぼ登る。気力は回復していたが、それでも去年より辛かった。休みながらでないと登れなかったもん。6合目でM田さんが栄養剤飲んでいて「即効性あるよ」と言っていたのを見て、次は絶対持ってくることを誓う*2

7合目を経由して、12時46分8合目避難小屋到着。…この俺が3時間10分で登ってきてしまったー!

*1 Prof.に「ettie君だけ写さないようにしておこうかな」と言われたけどw

*2 え?次も登るの?

[大学] 登山・今回の敗因

今回辛かったのは

  • 1合目までで体力消耗した
  • 朝食を取っていなかった為4合目から先はずっと空腹で腹が鳴っていたw

というところか。

体力消耗の原因ではないが、あと水も飲みすぎでやばいかなとか思ってしまった。

[野球ネタ] 球団社長の無能

少しここで登山ネタをブレイク。きょう25日は朝8時に1回目がさめてしまい、ふと河北新報を見るとこんな記事が。

田尾楽天監督交代へ 一両日中にも決断

十分な戦力も与えられず、現場トップの首だけ据え違えればいいと思っている「球団首脳」はバカではないのかね? それでいて山下二軍監督とともに来季編成会議に参加させたり、だいたい秋のフェニックスリーグの指揮は山下二軍監督が取るって言うけど、それで来年への引継ぎは出来るのか? あ、もしかしたらクビは田尾監督だけで、田尾監督が連れてきた山下二軍監督は残すのかな? 1年目なのに球団コーチ陣をそうひっかえしたらどんな大変なことになるのかね? さすが新規球団、野球球団らしからぬことをたくさんしでかしてくれる。

しかも、8月以降マスコミに情報漏えいしまくって、あきらかに現場の式を削ぐことばかりしてきたのは楽天球団幹部。それで連敗をするのが自分たちに責任がないとでも思っているのだろうか?

一方、最近になりファンからも監督交代を望む声が球団に多く寄せられるようになった。とある。能力の是非は確かに真っ二つだろうが、それでも「田尾続投でいい、少なくとも来年は」という声のほうが多いというのが私の印象だったが。

田尾監督の采配には、ヒットが確実ではない選手にエンドランさせて自滅するなど「お笑い」な部分もある。でも、仮に無能監督だったとしても新規参入のドタバタの特殊事情、今やめさせたら「悲劇の将」ということになってしまい、真の実力は分からないまま解説者に戻ることになる。巨人監督だったら日本シリーズ進出くらい出来てるかもしれないぜ(笑)

そういえばその巨人も、原監督に「耐えがたき」干渉を行い堀内に据え替えたのがこの結末。当時の球団社長の三山氏は、いったいどうファンに責任を取ってくるのかね?

ゼネコンは「地図に残る仕事」だという。球団ビジネスというのは「歴史に残る仕事」なのである。優勝や逆転劇の華々しいドラマは人々の記憶のみならず、記憶が書き起こされて記録にも残るのである。言わずもがな、球団の恥部も記録に残る。

楽天フロントは監督を替えて来年Aクラスになるとでもおもっているのだろうか? 是非知りたいところである。

楽天野球団が馬鹿で不愉快なので、早々に二度寝することにしたのであった。現在、『完全戦国年表』から「インフォシークアクセス解析」を引き上げることを検討している。

[野球ネタ] 田尾解任

田尾監督解任を発表 プロ野球楽天::河北新報

シーズン終了時発表にこだわっていたわりには2試合残してか。

最近、馬鹿から見たら俺が馬鹿なんだろうなと確信している。所詮はみんな自分本位、それを否定するものではないが。

[大学] @岩手山8合目避難小屋

12時46分、避難小屋に着いた。先発隊が既に着いており、I先輩に「来ると信じていたよ」と声をかけていただく。

雨のときは14度とかいう話もあって、荷物覚悟で上着を持ってきたのだが、避難小屋の電子温度計では21度。でも、風もあり雲も出てきてやはり寒かった。上着を着込んで元を取ってみたが、どちらかというと替えのシャツを持っていったほうが良かったかも。

飯を食う。機材なしなので『感動』というほどではないねとおっさんと二人話していたけど、なんせ空腹の食事なので結構食った。

避難小屋から機材を回収する。場所は入ってすぐのところから、去年takaたちと泊まったときの下あたりに移されていた。バッテリが4つもあるよ〜(去年上においてきたものリストを作っていなかったのか、機材の確認が出来ない状況で機材下ろし登山を決行したのであった。リストは登山携行機材リストと持って帰ってきたもので比較して地上組がつくるべきであって、自分に責任があるのだが)。避難小屋管理人の方によろしく礼を申し上げた。

変化といえば、避難小屋トイレに「使用料」のボックスが出来るようになっていたことか。

13時56分(先生いわく13時52分)、避難小屋を後にした。

[大学] 岩手山下山(機材有り)

結論から言うと、自分だけでも3時間50分下山にかかった。機材なしで3時間弱だったから妥当なのかどうなのか。

はっきり言えば、去年より慎重におりた。…若いのはバッテリを持ってすっす行けていたようだが、自分には走っておりるということは「物理的に」無理である。今回のメンバーで唯一私と一緒に登山した経験を持つゆんぼが「ettieさんは慣れた感じですいすい降りていくように思いましたけど」と降りる前に言っていたが、はっはっは、そんなん俺は無理だもんね!

機材を持っておりたが、担当はicom(中身スカスカ)とレンチ程度だったので軽い部類だったのだが、1合目でバッテリ1個+荷物のKもんのフレームと交換してみた。重くて腰に来るのも確かにあるが、それよりも肩がぴくぴくするの(苦笑) 肩というよりは頚椎に来るんじゃないかとビビッておりた(1合目から先はほとんどの区間先生と二人っきりで降りたw)。

今回の登山は、体力有余り組(二日酔いで完徹で挑んで全然へっちゃらなI先輩やHDV持って登る「超マッスル」ことYすけ君)に加え、帰り復調して唯一でかいバッテリをフレームに入れて下りたひろ君や終始ハイペース組のちいちゃん、結局バッテリかついで降りたProf.まで「弾」が揃っていた感が強い。とか言いながら俺も、機材持って降りてきたことには変わらないので、登山メンバーに入れても大丈夫という証明になりかけてもいるけどw 今回はバッテリを分散していたこともあり、荷物交代がほとんどなかったので*1、なんとも言えんなあ。

ゆっくり降りたので、足の先が痛くなったのは2合目以降だったし、足が痛いということも周りよりはなかった(荷物の重さが違うのでなんともいえないが)。

*1 それでは登山組の状況が掴めないので、無理を言って1合目でKもんと荷物交代した面もある

[大学] 登山終了 - 嵐の前夜 -

最後は暗くなったが、3年生が懐中電灯持って引き返して迎えにいって無事皆帰還。

馬返しには、ほんとたまたまH田くんが来ていて、「なんでメールしてくれなかったの? 俺もいけたのに〜」と残念そう。Prof.は「あれ?メール行ってなかったっけ」と言ってたけど。

荷物整理はとりあえず月曜日ということで無事に解散。

[Diary] ありえねえ〜

その後、1回着替えに家に戻り、H田くんを囲んで天一へ。登山のあとの天一…ありえねえ〜

その後、朝早かったのに1時くらいまでH田くんを囲む。酒なしではあったけど。

こうして1日は過ぎていった・・・

[Diary] 先週は

日曜日はベニーランド、火曜日はHさんとボーリング、木曜日は22日でスターレーンへ。そして土曜日は登山だったので、1日ごとにイベントがある波瀾な週だったよなあ。

[時事ネタ] 愛知万博終わる

まあ、行くこともなかったわけですが、同じ中京圏に行く機会があるなら、愛知万博よりは伊勢神宮なり飯田線なり、滋賀になっちゃうけど小谷城や安土城にいくこと選ぶなあ。

「博覧会」確かにそれぞれのパビリオンは楽しいんだろうけど、行ったことあるのは横浜博覧会くらいだなあ。ま、時間的余裕がなかったということか。どうも炎天下並んで待つほどではないなー。

万博がらみで気になったのは、愛知環状鉄道がどのくらい儲かったのかってことですな。岡多線が特定地方交通線指定されて三セク化されたけど、収支状況はIGRなんかよりはるかにいいわけで。八草駅が「万博八草」駅に改称されてたけど、万博終了とともに戻るようですね。直通列車は引き続き運行のようだけど。1回岡崎から乗ったときは、複線化できるのに単線になっている高架が印象的だった。万博はどうせ1日でみられないから愛知環状鉄道乗りつぶししたかったなあー

…どうも、世間と感覚がずれている気もする。

[大学] 筋肉痛キター

去年、登山しておきながら一人筋肉痛が来ず、2・3日は「1週間後くるんじゃね?」とエティー年寄り説が流れてましたが、結局来ずに「エティー実は超人説(わらうところ)」が噂されたものです。

で、今回。

肩がいたいのは降りてからずっとなんですが、昨日の夜から下山中は感じなかったふくらはぎ、ふとももへの感触があり、今夜少しばかり歩いてみたら、これは筋肉痛に入れてもいいかなという「張り」を観測いたしました。ついでに、左のアキレス腱もかるく張ってます。

……でも、歩けないってほどではないんだよね。階段も下りるとき痛いけど手すりが必要なほどではないし。去年ETilog更新停止する前に高水寺城行って、紫波中央〜矢幅まで歩いたときほどの痛みではありません。あの時はひざの裏が痛くて足引きずってたもん。

とはいえ、登山者の中ではバテ気味だったということは登山同行者の皆さんは見ておられると思います。私は最高時速が制限されているのでしょう。しかし、荷物は全然軽い部類だったので、「HDV抱えて登った」Yすけ君が歩けないほどだとしても、比較にはならないな。


«前の日記(2005/09/24(Sat.)) 最新 次の日記(2005/09/26(Mon.))»

何かあればwebmaster@etilog.netまで