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2004/12/25(Sat.) 夢幻の如くなり [長年日記]

[Essay] 専門高校の復権

大学に入ってまず驚くのは,工業高校,商業高校出身者の優秀さだ.このことを間近に知り得たことは,岩手での大きな収穫であった.

商業高校卒のひとは,まず会計関連用語に対する免疫がしっかりあり,簿記なども縦横無尽なようにみえる.さらには,COBOLのようなプログラミング言語の体験がある点で,まず大きなアドバンテージである.情報関係の資格も「あれは対策をすれば簡単なんだよ」と既に取って来てしまっている.

工業高校卒のひとは,まず機械耐性がずば抜けているといえる.私の父は工業高校卒で,家電製品をよく分解して直していて,私自身は父親たるものはそういうものなのだと思い込んだまま成長してしまったのだが,そんなのが普通だったら電器屋はたまらないかもしれない.半田ごてを私なんかは中学高校では1回も触らなかったが,工業高校出身者は回路まで扱いがお手の物だ.

もちろん,商業高校も工業高校も,得ている成果の割にはありふれた「楽しい高校生生活」を満喫してきているようだ.3年間と言う短期間でこれほどの成果を生徒に付けて出すとは,先生が優秀なのか制度が優秀なのか,その両方なのか.少なくとも,最適解によって卒業生を出す方法論が確立されているのだろう.

岩手に来てから高校受験に関わることがあったので,どういった生徒が商業高校,工業高校を受けていったかは見てきたつもりだ.ともすれば,「コーギョー」「ショーギョー」という響きにはネガティブな空気が,いわゆる「進学校」への合格者数が次年度の顧客動員に直結するビジネス現場では流れてがちであったと思う.しかし,大学で見ている限りでは,ペーパー試験の学力がちょっと上だったからと普通高校に行った人間より,遥かにピカピカになって高校を卒業してきているとしか思えなく,ギャップを感じていた.たしかに専門高校では数学をあまりやらず,英語の時間数の絶対値も低く,国語もがっちりはやらないだろう.しかし,英数国というのはあくまでツールであり,何より「手段」である.英語論文輪講を見ている限り,高校時代の差が普通高校と専門高校で出ているとは到底思えないし,数学に関しても「情報学基礎」を見ている限りは同じようなものだ.納めた物のエクスペリエンスがあれば,そのような手段はどのようになるという証左ではないか.

大学に来るのは少数派の様だが,彼らから伝わり聞く話の限りでは,大抵の人間は成人前に社会人として実戦配備,すっかり根を下ろしたプロになっているように感じる.私の母校のように,20代前半まで金銭的インディペンデンスを果さない人間ばっかり(私もだ)のようなところとは天と地の開きである.

学歴社会は終わったと言われて久しい.それは確かな面があるだろうが,自分が経験し得なかった経歴を知る機会はそれほど多くなく,似たような経歴の人間で交遊が束縛されやすいのは事実だと思う.これが,果たしてどれほどの損失を社会に生み出しているのだろうか.

ある専門高校卒の先輩が仰った「普通高校は,普通でしかない」という言葉は正鵠を得ている.スペシャリストはジェネラリストでなければならないという言説に従うならば,ジェネラリスト養成機関はよほどの何でも屋を輩出し得なければ融解してしまうだろう.


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